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海へ行こう 後編

作者 ソルさん


「お兄ちゃん、こっちこっち」
「ああ・・・今行くよ、可憐」
10メートルほど沖で泳ぎながら手を振っている可憐のところへ、俺は平泳ぎで向かう。押し寄せる波をかき分けて・・・
ふう・・・暑い時に冷たい水につかるのはいいもんだな・・・塩っ辛いのが少々気になるが。
可憐たちと一緒に海に飛び込んでから、かれこれ1時間は経つ。その間にも灼熱の太陽はその役目を放棄せずに職務を全うしてたし、観光客たちも夏の暑さと比較して海の冷たさを実感しているようだ。
今日の海は比較的穏やかで、こうして泳いでいてもそんなには気にならない。時々妙にでかい波が来て塩水を味わうことはあるが、それでも海は山とはまた違った気持ちよさがある。
時折吹いてくる湿っぽい風も、この塩っ辛いたくさんの水も、海特有のもの。山にはない海の表情・・・か。
海と山との違いについて感慨にふけりつつ可憐のところへ泳いでいた俺は、いきなり後ろから足を引っ張られてバランスを崩した。
「掴まえたわよ、お兄様っ♪」
「こんどはおにいたまが、ヒナたちをつかまえるばんだよ」
何とか体勢を立て直して後ろを振り返ると、右手で俺の左足首を掴み、左手でゴーグルを外している咲耶と、その咲耶の後ろで浮き輪につかまって足をばたつかせている雛子がいた。
二人ともすごくすがすがしい表情で、海を心底楽しんでいる様子だ。
「残念。今度は俺が鬼か」
「私としてはこのままこの手を放したくない気分なんだけどなあ・・・」
器用に立ち泳ぎをして海に浮かんでいる咲耶は、俺の足を掴んだまま体を寄せてきた。だが俺のほうはそんなに器用ではないし、その上、片足の自由を奪われているのだ。両手で水をかき回して何とかバランスを保っているものの、少しでも気を抜こうものなら塩水をたっぷりと味わう羽目になる。
「それじゃあ鬼ごっこにならないぞ」
「いいの、お兄様と二人っきりになれるなら・・・」
と、さらに距離をつめてくる咲耶。それに伴って俺は塩水のご馳走をもらう時間が刻一刻と迫っているのを覚悟した。
咲耶・・・いいかげん足を離してくれないかなあ・・・
どんなに簡単なお願いでも、言葉にしなければ相手には伝わらない。俺はその事を知っていたのだが、眼をきらきらさせて詰め寄ってくる咲耶に言いも知れぬ迫力を感じ、声を出すことが出来なかったのだ。
「ねえ・・・お兄様・・・・・・」
もう・・・駄目か・・・!
恍惚とした表情を浮かべて迫ってくる咲耶を前に、俺はいろんな意味で覚悟を決めた。
だがしかし、その覚悟も俺の背中を支えてくれた腕によって取り越し苦労に終わる。いつのまにか可憐が俺の後ろにきていたのだ。
「大丈夫?お兄ちゃん・・・」
「ああ・・・助かったよ、可憐。危うく塩水をご馳走になるところだった・・・」
「ええーっ、ごちそうーー?いいなあ、ヒナも、ごちそう食べたいなー」
かろうじて海の洗礼を免れ、ほっと安堵のため息をついた俺の右隣で、浮き輪で必死に泳いできたらしい雛子がうらやましげな声をあげる。どうも何かを勘違いしているようだ。
ええと・・・・・・どうしようか?説明するのも難しいし、かといって本当にご馳走するわけにもいかないし・・・
「雛子ちゃん、このご馳走はね、すごく辛いのよ」
「それにね、お腹がたぷたぷになっちゃうんだから」
「え゛!?ヒナ、ひりひりさんはやだよう・・・」
俺がどうしようか考えていると、可憐と咲耶が助け舟を入れてくれた。そしてその言葉を聞いた雛子の表情が恐怖にゆがむ。
なんか今・・・雛子の表情が異常に崩れた気が・・・・・・雛子の珍しい一面を見た、という事にしとくか。
それにしてもすごく辛くて、お腹がたぷたぷねぇ・・・まあ、間違ってはいないな・・・
「アニキ、鬼ごっこ終わった?」
3人の会話を聞きながらそんなことを考えていると、左側から鈴凛の声が聞こえた。
声のしたほうに視線を向けた俺は、思わず目を大きく見開いてしまった。水色のスタンダードなワンピースを着た鈴凛が海に座っていたのだ。
「ああーっ、鈴凛おねえたま、おみずにういてるー」
「え?・・・ええ!?どういうことよ、これは?」
「鈴凛おねえちゃん・・・凄い・・・」
雛子、咲耶、可憐がそれぞれ驚いた声を上げる。
「やだ、皆、そんなに見つめないで。特にアニキ・・・私、照れちゃうよ・・・」
鈴凛の言葉に思わずしのび笑いを浮かべた俺は、左腕に何かが当たるのを感じた。細い棒のような感じだ。
ん?何だ・・・?
視線を鈴凛から左腕に向けると、視界に何か板のようなものが飛び込んできた。よく見ると、青色に塗られた細長い板が海に浮かんでいる。
「青い・・・サーフボード・・・?」
「あはははは・・・ばれちゃった?」
俺がぼそっと呟くと、鈴凛がばつの悪そうな声で明るく言う。
「これぞ『鈴凛特製ステルス式サーフボード』!」
「不可視にしてどうする気だ、一体・・・」
俺たちのほうを向いてサーフボードを叩きながら、自信たっぷりの表情で説明する鈴凛に、半眼で即座に突っ込みを入れる俺。
「あはははは・・・まあ乗ってみてよ。私の自信作なんだから」
笑ってごまかしつつ海に飛び込む鈴凛を眺めながら、俺は鈴凛特製の不可視のサーフボードに目を向け、
「これ・・・普通のサーフボードじゃないな」
思わず呟く。
板にボタンがいくつもついてて、真ん中がへこんでるサーフボードなんてまずないからな・・・さすが鈴凛特製、というところか。
「あ、判る?ステルス機能のほかにもいろんな機能がついてるんだよ」
「どんなのがあるんだ?」
「まず1番のボタンを押してみて」
そう言ってボードの先端部分を指差す鈴凛。つられて俺も鈴凛が示した場所に目を向ける。
ボタンの数は合計8個。ボードの真ん中あたりに横に4個、それが2列ある。ボタンには番号がふられており、左上から右に1,2,3,4、下の段、左から5,6,7,となっている。
なんだこれは・・・
右下のボタン、本来なら8の番号がふってあるはずのそこには、なぜか鈴凛の顔が書いてあった。頭にはゴーグルをつけ、背景にはスパナとボルトが書いてある。
・・・・・・・・・すっげぇ気になる。あえて押してみるのも面白いが・・・
「で、これを押すとどうなるんだ?」
取り敢えずボードにまたがった俺は、1番のボタンを押しながら鈴凛に聞いてみる。だがボタンを押した途端激しい振動が俺を襲い、ボードが前に動き始めた。
「おにいたま、おみずの上をすべってるー」
「うわ・・・すごーい・・・」
「へえ・・・たいしたもんね、鈴凛」
「えへへへヘ・・・凄いでしょう。1番を押すとゆっくり動くんだよ」
ちょっとしたエンジンのついたボートだな、これは・・・
雛子、可憐、咲耶、鈴凛の話す声を聞きながら、俺はそんな感想を持った。とはいえスピードはさほどでもない。普通に板に寝そべって水をかいたほうが早いくらいだ。観光客が多いから逆にいいかもしれないが・・・
「スピードが出なくて物足りない?」
そんな俺の心を読んだかのように隣を並泳している鈴凛が聞いてくる。後ろを見ると、可憐と咲耶、雛子までもが俺の後について泳いできていた。
鈴凛の言葉は正に思っていたことそのものだったから、俺は黙ってうなずいた。
「じゃあ2番を押してみて」
言われるままに2の番号がふってあるボタンを押す。するとボードの振動がより激しくなり、スピードも上がり始めた。
体を軽く左に傾けると、ボードも左に曲がる。その先には観光客の姿はない。沖のほうにボードを走らせ、吹きつける海風を満喫した。
いい気持ちだ・・・海風ってこんなに気持ちのいいものだったのか。知らなかったな・・・
それにしても凄いじゃないか、このサーフボード。正に鈴凛の最高傑作・・・いや、最高はメカ鈴凛か。
そんなことを思いつつ妹たちのところへボードを向ける。ふと見ると、花穂と衛、四葉や春歌が可憐たちに合流していた。
「おーい、鈴凛ー、これどうやって止めるんだー?」
「もう一回2番を押してみてー」
ふと頭に浮かんだ疑問を鈴凛に聞いてみると、両手でメガホンを作った鈴凛が大きな声で教えてくれた。
その操作をすると、ぎゅぅぅという音とともにボードのスピードが落ちてきて、最初の速度、1番を押した時のスピードで安定する。
ということはこの状態で1番を押すと止まるわけか。
比較的予想のしやすい結論に達した俺は、自分のひらめきを信じてそれを実行に移す。そして結果はその通りだった。
ボードが止まった場所が妹たちからちょっとはなれたところだったので、海に飛び込んでボードを持ったまま泳いでいく。
「いやあ、凄いねアニキ。『鈴凛特製ステルス式サーフボード』を使いこなしてるじゃん!」
「鈴凛こそ、こんな凄いものを作るなんて凄いじゃないか」
妹たちに合流したところで鈴凛が驚嘆の声を上げる。俺も鈴凛を素直にほめてやった。残りの機能はどうか知らないが、とにかく凄いものだ。
「ところで他のボタンは何なんだ?いろんな意味で気になるんだが」
「他のボタン?ええっとねえ・・・3番はエアバック機能、つまり浮き輪が出てくるの。で、4番を押すとボードの形が変わるんだよ」
変形・・・?ロボットにでもなるってのか?
「5番は酸素ボンベの吸気口が飛び出してくるし、6番は水鉄砲だよ」
水鉄砲・・・ねえ。どれどれ・・・
水鉄砲と言う言葉に興味を引かれた俺は6番のボタンを押してみた。するとボードの先端の部分が少し開いて水が飛び出し、咲耶の顔に直撃した。
「きゃっ、やったわね、お兄様」
水がまともにかかった咲耶はお返しとでも言わんばかりに、両手で水をすくい上げて俺めがけ投げつけてくる。
「わーい、ヒナもおみずのかけっこするー」
「可憐もやるーっ」
「じゃあ、皆で兄チャマに攻撃をかけるデス!」
四葉の言葉がきっかけとなり、みんなが俺に向かって水をかけてきた。俺もボードの水鉄砲で反撃をする。
きゃあきゃあとあがる妹たちの歓声に舞い上がる水しぶきが彩りを加え、その光景は一枚の絵として完成をみた。
「本当に凄いぞ、このボードは・・・」
妹たちとの水のかけあいも収まった頃、俺は鈴凛に向かって呟いた。
「アニキにほめられるなんて、私照れちゃうなあ・・・」
「照れっぱなしだな、鈴凛。ところでこのボード、一つだけしか作ってないのか?」
たくさんあればもっと楽しいだろうになあ・・・
右手で頭の後ろを掻きながら照れ笑いを浮かべている鈴凛に、俺はふと思ったことを聞いてみた。
「うん、一つだけだよ。量産型も作りたいんだけど、今ちょっと資金が不足しててさあ・・・」
「判った判った。開発費は出してやるよ」
いつものように『鈴凛のおねだりモード』に入りかけたので、機先を制して告げてやる。
俺にはこれぐらいしか出来ないからな・・・
「わーい、さすがアニキ。じゃあいっぱい作って、今度また来ようね」
思わず黄昏モードに入っていた俺は、鈴凛のそんな嬉しそうな言葉に激しい衝撃を覚えた。
”今度”・・・・・・か。”今度”なんて、もうないんだ・・・
ふいに胸が切り裂かれたかのような痛みが走り、心臓が見えない力で圧迫される。そして頭、いや脳に直接電気が走ったかのような錯覚が生じた。
苦しい・・・痛い・・・どうしたんだ、俺は。もう吹っ切ったはず・・・
「お兄ちゃん?」
「アニキ、どうしたの!?」
「お兄様、大丈夫!?」
「あにぃ、すごい汗・・・」
「兄君様、どうなされたのですか?」
「おにいたま、くるしそう・・・」
「お兄ちゃま、元気出してよぅ・・・」
「兄チャマ、苦しそうデス・・・お水いりマスか?」
可憐・・・みんな・・・俺は間違った答えを出したかもしれない。でも・・・もう戻れないんだ・・・
「はぁっはぁっ・・・大丈夫だ。心配いらないよ」
未だ少し残る痛みをこらえながら言うと、一斉に安堵のため息が聞こえた。皆、心配そうな、しかし安心した目を俺に向けている。
この痛みも、俺に与えられた試練・・・この後、もう一度乗り越えなくちゃいけないんだ。
その決意を新たに可憐のほうへ視線を向ける。
最初はいきなり見られて戸惑いを隠せないものの、すぐにきりっとした表情に変わった。
(本当にいいのか、可憐・・・)
(うん、可憐はお兄ちゃんと一緒にどこまでも行くよ)
可憐・・・?・・・・・・気のせいか。心の声が聞こえるはずないもんな。だけど・・・
「お兄ちゃん、可憐お腹すいちゃった」
「そういえば私も・・・」
「ボクもボクもー!」
唐突に可憐、咲耶、衛が声をあげる。そのために俺のシリアス気分は吹っ飛んでしまった。
ま、確かに昼時だしな・・・しょうがないか。
「じゃあ、浜に戻るか」
俺はそう言って、平泳ぎで砂浜に向かって泳ぎだす。そのあとを妹たちが追いかけてきた。
「あにぃ、お先ー」
「わーい、ヒナ、おにいたまといっしょにいくー」
「私ももちろんお兄様と・・・」
「お兄ちゃん、一緒に行こっ♪」
まず衛がクロールで悠々と抜かしていった。雛子は俺の右隣で並泳しながら浮き輪をばしゃばしゃやり、咲耶と可憐が俺にぴったりとついてくる。
「アニキー、まだプロトタイプの説明が終わってないよー」
「待ってー、お兄ちゃまー」
「お待ちになってー、兄君様ー」
「兄チャマー、チェキチェキチェキデスー」
後ろのほうから鈴凛、花穂、春歌、四葉の声が聞こえた。
砂浜に近付くにつれて観光客の数が多くなってくるので、海から上がるのもちょっと苦労する。
「みんなー、ご飯の用意が出来ましたのー」
足に感じていた水の感触が消え、今は真上からその役目を果たしている太陽に照りつけられた砂が俺たちの足を攻めたてる頃、白雪の声が砂浜全体に響き渡った。
声のしたほうを見ると、左手に大鍋、右手におたまを持ったエプロン姿の白雪がパラソルの下で夏の陽射しを避けつつにこやかに立っている。
その傍らでは、水色のドレスタイプの水着を着た亞里亞が何かを飲んでいて、さらにその亞里亞の横では、四葉や鈴凛と同じようなデザインの紺色の水着を着た鞠絵がミカエルに寄りかかりつつ亞里亞に何かを言っている。
あれ?千影がいない・・・どうしたんだろ。
パラソルの近くに千影がいないことを不思議に思った俺は、砂浜全体を眺めて千影の行方を追う。
家族連れもいれば若いカップルもいる。サーフボードをもった数人の男たちもいれば、若い女の子たちのグループもいる。
砂浜の大半が人に占領されたそこで千影を探すのは非常に困難だ。
まあ千影はしっかりしてるし、一人でも大丈夫だろ。ナンパされる危険もあるが・・・
そんなことを考えつつもきょろきょろとあたりを見回していると、ふいに視界に見知った人影が映った。だがすぐに人ごみにまぎれてしまう。
今のは・・・・・・見間違いか?でもあの子が絶対に来ないとは言い切れないし・・・
「あにぃ、早くご飯食べようよー」
考え事をしていると、衛の声がパラソルのほうから聞こえた。ふと見ると、すでに妹たちが車座になって座っている。食事の用意も出来ているようだ。
そういえば俺も腹が減ってきたな。1時間は泳いだからな・・・
妹たちのほうから漂ってくるいい匂いと俺自身の空腹には耐えられず食事の席へと向かった俺は、妹たちの中央にデン、と置かれている中華鍋を見つけた。
「何だ?・・・今日の昼食は中華なのか?」
「違いますの。これは前菜ですの、にいさま」
前菜・・・・・・コース料理か。
中華鍋を見て咄嗟に中華料理を思いついたが、白雪の一言で考えを変える。・・・あっているかどうかは知らないが。
「それで・・・どんな前菜を作るんだ?白雪」
そういえばスープを作るとか言ってたっけ・・・と白雪の言葉を思い返しながら、車座になった妹たちの中で空いた場所を探す。
「可憐の隣が空いてるわよ、お兄様」
「あ、ほんとだ、偶然だねえアネキ」
その時、声を刃に変え毒を塗りこんで飛ばしたかのように咲耶が言い、その咲耶に思いっきり白々しく鈴凛が相槌を打つ。
怖ぇ・・・・・・つうか痛ぇ・・・・・・
咲耶の文字通り毒のある冷たい言葉に何か恐怖を感じた俺は、同時に胸のあたりに鋭い痛みを覚えた。
なんでだ・・・なんで咲耶は可憐の隣を勧めるんだ・・・いや、咲耶だけじゃない。ほかの妹たちも・・・何でいつもの騒ぎが起こらないんだ・・・
・・・!?俺は・・・いつもの騒ぎが起きて欲しいと思っているのか?いつもの・・・・・・そう、日常になっていたあの騒ぎが・・・
「にいさま、後ろの袋を取ってくださいですの」
頭の中を疑問符でいっぱいにしつつ、ついでに胸をずたずたに引き裂かれながら可憐の右隣に座った俺は、白雪に言われて後ろを振り向く。
パラソルの下、妹たち12人分の荷物がまとめておいてあるところに、白い麻袋が置かれていた。
妙に軽いな・・・・・・何が入ってるんだ?
その麻袋を手に持った俺はなんとなく中身が気になり、袋の口をあけて中を覗いてみる。
「にいさま、それを鍋に入れてくださいの」
・・・・・・ヤドカリをか?
そう、袋の中にはヤドカリがうじゃうじゃと詰め込まれていて、はさみをジャキジャキと鳴らしていたのだ。
「今日の前菜は姫特製ヤドカリさんのスープですの」
「まさかメインディッシュもヤドカリじゃあるまいな・・・?」
もう嫌だぞ、と貝にいい思い出がない俺は、ヤドカリは貝じゃないにもかかわらずその形状から嫌な記憶がよみがえり、麻袋を掴んだままでうんざりしつつ白雪に確認をとってしまった。
それより一体何匹いるんだ、このヤドカリ・・・
袋に詰められたちょうど俺の握り拳ぐらいの大きさのヤドカリが一体何匹いるのか気になった俺は、番号を付けて数える事にした。
ええと・・・ひーふーみー・・・・・・・・・ひーふーみーよー・・・・・・にのしのろのやの・・・・・・
え〜い!動くなヤドカリども!!数えれんじゃないか!!
袋の中で逃げまどうヤドカリを必死に数えていた俺はしびれをきらし、取り敢えず確実な方法を取る事にした。
一匹ずつ鍋に放りこんでいけばいいんだ。何で気が付かなかったんだろ・・・
自分の迂闊さを嘆いたあと、その気付かなかったことを実践すべく、すでにぐつぐつと煮え立っている中華なべの中にヤドカリを一匹ずつ放り込む。
ヤドカリが一匹、ヤドカリが二匹、ヤドカリが三匹、ヤドカリが四匹、ヤドカリが・・・・・・ぐぅ・・・
「お兄ちゃん!?」
・・・はっ!寝ちまったのか・・・
可憐の声にびくっとして目を開けると、鍋の上でヤドカリを掴んだまま腕を伸ばしている状態でいる事に気付いた。ふと右を向くと亞里亞がいて、黒いジュースのようなものが入ったコップを持ちながら俺のほうを心配そうな顔で見ている。
ふう・・・ヤドカリも羊の仲間だったんだな・・・それよりいくつ入れた?
「ヤドカリが一匹、二匹、三匹・・・・・・今なんどきだ?」
「お兄ちゃん、時そばやってて楽しい・・・?」
鍋に放りこんだヤドカリの数をうろ覚えで指を折っていた俺は、真剣な眼差しの可憐に痛恨の一撃を食らった。
可憐、意外と落語に詳しいんだな。時そばを知ってるとは・・・それより見事な突っ込みだったぞ、可憐。
「兄や・・・チョコ・・・美味しい・・・」
突っ込みのダメージも癒えぬまま、どうやって突っ込み返しをしようかとかなり真剣に考えていると、俺の右に座っていた亞里亞が何の前触れもなく話し掛けてきた。
亞里亞が飲んでいる黒いジュースみたいなもの、実は溶かしたチョコである。海に行く前に亞里亞から、「溶けないチョコを作って」と頼まれて作ったのだ。
どうせ溶けるなら最初から溶かしてしまえばいい。一度溶けたものはもう溶けることはない・・・
四葉から得たヒントを元にこの結論にたどりついた俺は、買ってきたチョコを湯煎で溶かしてチョコジュースを作ったのだ。
とはいえ温度の調節が一番難しかった。最初に作ったときは冷蔵庫に入れておいたのだが、しばらくしたら見事に固まってしまっていた。あの時激しい自己嫌悪に陥ったのを覚えている。
その後も試行錯誤を繰り返して、何とか亞里亞の注文どおりのチョコが出来上がったのだ。
「よかったな、亞里亞」
「うん・・・・・・兄や・・・また今度も・・・これ作って・・・」
俺がそう声をかけると、聞くものをとろけさせるような甘い声で亞里亞が応じる。しかし俺は溶けるどころか、逆に固まってしまった。
”また・・・今度”か・・・もう・・・今度はないんだ、亞里亞・・・
「よし・・・ヤドカリはこれで五匹目っと」
亞里亞の言葉を文字通り胸に刻み付けた俺は、再びヤドカリを鍋に放り込む作業を再開した。
・・・それにしても熱い!何でこんな暑い時に皆で鍋を囲まなきゃいけないんだ?白雪・・・
「10・11・12・13・・・ん?」
一人一匹のはずだよな・・・何で十四匹いるんだ?
「白雪、一匹多いぞ〜」
「・・・いいんだよ、兄くん・・・それで・・・」
ヤドカリを鍋に放りこんでいく過程で余分を発見したため白雪にその事を言うと、後ろから千影の声が聞こえた。
声のした方向へ顔を向けると、そこには赤のワンピース水着を着た千影と、もう一人女の子が立っている。高校生ぐらいのちょっと大人びた女の子で、しかし長く伸びた黒髪をポニーテールにしているため見た目よりも幼く見えた。
「静流ちゃん!」
「久しぶりね、衛ちゃん」
千影と一緒にいたのが静流ちゃんだと知った俺は、衛の嬉しそうな声を聞きながら少なからず驚いた。
やっぱりあの時見たのは静流ちゃんだったか・・・それにしてもこの二人・・・・・・
赤い水着によってミステリアス度がアップしたような印象の千影と、どこか大人っぽい静流ちゃん、この二人が並ぶとあたりの空気が一変したような感じを受ける。
「千影、知ってたのか?静流ちゃんが今日ここに来るってこと・・・」
「・・・ああ・・・前に・・・連絡があったんだ・・・私たちが旅行に行くことがあったら・・・教えて欲しい・・・とね」
「そうか・・・じゃあこのヤドカリは千影が掴まえたのか?」
「・・・まあ・・・そんなところかな・・・」
俺の手の中の14匹目のヤドカリを眺めながら、フフッ、といつもの含み笑いをする千影は、亞里亞の右隣に座っている鞠絵のさらに右、なにやらサーフボードの調節をしている鈴凛の左側に腰を下ろした。静流ちゃんは俺の正面に座っている衛の右、俺から見て左に座る。
衛と鈴凛の間に雛子が座り、鈴凛の作業を楽しそうに見ていた。俺から見て静流ちゃんの左には春歌がいて、四葉、咲耶、花穂、白雪、可憐の順番で円になっている。総勢14人で作り上げる車座と言うのは、外から見ると妙に迫力があるだろう。
最後のヤドカリを鍋に放りこんだ俺は食事が出来るまでの間、妹たちとの会話を楽しんだ。
おそらくもう二度とないであろう妹たちとの食事を前に悲痛な思いを胸に抱きながら・・・

食事を終えてからずっと、俺たちは静流ちゃんを加えて目いっぱい遊んだ。
鈴凛の機械で海の水が真水に変わったり、俺の行動に腹を立てたと見えるミカエルが俺を追い回したり、俺の決意を伝えようと可憐を連れ出したところで咲耶に見つかり、極上の笑顔は、ときに見るものに極上の恐怖を与えるものだと教えられたり・・・
色々とハプニングがあったが、それすらも楽しいことだった。
そして・・・いよいよ『時』が来た。西の空が朱に染まる・・・

「ああ、楽しかったー。ね、みんな」
着替えを済ませ、俺や妹たちが全員集合したところで咲耶が切り出した。みんな疲れていて、心なしかその表情に陰りが見える。
俺や可憐も例外ではないが、疲れている場合ではないのだ。
「あにぃと一緒に泳げただけで、ボクもう最高だよ」
あれは『一緒に泳いだ』と言うのか?二、三十メートルは離されてた気がするが・・・
「花穂もお兄ちゃまの応援が出来たし、一緒に泳いだし・・・」
すまん、花穂。泳ぐのに必死で応援に気付けなかった・・・
「私だってアニキにサーフボードの機能を全部使ってもらって嬉しいよ。それに開発費も余分にもらえたし・・・」
まさかロケットパンチまでついるとは思わなかった。7番押したらボードの先端が吹っ飛んでくし・・・
「ワタクシはちょっと残念ですわ・・・兄君様と裸のお付き合いができませんでしたもの・・・」
春歌!誤解を招くようなことを言うな!・・・・・・みんなの視線が痛い・・・
「兄上様・・・ミカエルが変なことをして申し訳ありませんでした・・・」
バウッバウッ
お前とやりあうのもあれで最後だと思うと・・・なあ、ミカエル・・・
「兄チャマのいろんな姿をチェキできて四葉は最高の気分デス!」
本当にいろんな姿をチェキされたもんだ・・・おぼれたところとか、でかい穴にはまった瞬間とか・・・
「ヒナね、がんばってね、お砂をいっぱいどけたんだよ、くしししし・・・」
そうか、犯人は雛子だったか・・・
「海はいろんな素材がいっぱいあったから、料理のしがいがありましたの」
白雪・・・今日の昼のスープとそうめん、すごく美味しかったよ・・・
「兄や・・・チョコ・・・美味しかった・・・」
まさか水筒いっぱいに入れてきたチョコジュースをあっさり空にするとは思わなかったぞ。虫歯にならなきゃいいが・・・
「・・・兄くん・・・本当に・・・いいんだね・・・?」
千影に隠し事は出来ない・・・か。しょうがないな・・・
「私も一緒に楽しませてもらったけど・・・よかったのかな、家族の団欒に割り込んじゃって・・・」
確信犯がなにを言ってるんだか・・・でも楽しかったよ、静流ちゃん。
みんないろんな表情をしているが、凄く楽しんだという思いがびんびんに伝わってくる。
さあ、俺の審判の時だ。そして妹たちとの別れの時・・・
「みんな、聞いてくれ・・・大事な話があるんだ」
俺は勇気を振り絞り、妹たちに声をかける。隣にいる可憐が俺の腕をぎゅっと掴んできた。
「なに、お兄様」
咲耶が振り向いたのをきっかけに妹たち全員が俺のほうに顔を向ける。
「・・・俺はみんなが好きだ」
俺がそう言った途端、妹たちの間にどよめきが走った。特に咲耶と春歌、白雪は目をきらきらさせながら俺を見つめている。
「だけど・・・可憐にだけはみんなとは違う意味の好きという感情を抱いている」
今度は俺の言葉で、妹たちに暗く、悲しい影が押し寄せた。
さあ、これからだ!もっと勇気を出すんだ!
「俺は可憐を愛している。だから・・・」
「だから・・・?」
「お前たちを愛することは出来ない。俺は可憐とともにどこか遠くへ行く!」
そう言うなり俺は可憐の腕を取り、海に沈む西日を受けつつ砂浜を駆け出す。
そうだ、どこか遠くへ!・・・・・・みんな、さよなら・・・・・・

兄と可憐が走り去っていくのを、咲耶たちはその場に立ち尽くしたまま見送った。
追いかけなかったわけではない。追いかけられなかったのだ。
「あねぇ、何で追いかけないのさ。あにぃたち行っちゃったよ」
「そうですわ、咲耶ちゃん。追いかけましょう」
「お兄様が決めたことだもん。私たちがどうこう言っても仕方ない・・・」
衛と春歌が悲痛の面持ちで咲耶に詰め寄ると、同じく苦しそうな表情の咲耶がぼそっと呟いた。
「兄や・・・」
「兄上様・・・どうして・・・」
「花穂のこと嫌いになっちゃったの・・・?」
「・・・これが答か・・・兄くん・・・」
「にいさま・・・姫の愛情料理をもっと食べて欲しかったですの・・・」
「アニキ・・・もっともっと私の発明に付き合ってほしかったよ・・・」
「おにいたまには、もう会えないの・・・?」
「兄チャマ・・・四葉は寂しいです・・・」
そのとき、妹たちの台詞を一通り聞いていた咲耶が笑顔で振り返ってこう叫んだ。
「なんてこの私が言うわけないでしょ!さあみんな、お兄様たちを追いかけるわよ!」
「いいの?咲耶ちゃん・・・」
咲耶の鶴の一声で妹たちを一つにまとめた時、橘静流が声をかける。
「みんな、はたから見てると、結構浅ましいんだけど・・・それに人間としてどこかおかしいわよ」
「いいのよ。私たちはお兄様を世界の果てまで追いかけるんだから!みんなも同じ気持ちだと思うわ」
「うん!」X10
咲耶の言葉に妹たちが反応する。
「さあ待っていてね、お兄様。今から追いかけるわよ・・・そう、どこへ行こうともね・・・」
そう言う咲耶たち11人の顔には、固い決意の表情が現れていた。

ー了ー

=あとがき=

海での妹たちのリベンジは失敗したようで・・・さらに苦境に追い込まれてます。
それでも諦めないのが妹たちのいいところ・・・はいいのですが、この兄は何をやっているのでしょうか・・・
駆け落ちをしちゃってどうする気なんだろうと考えている今日この頃・・・どうも、ソル=ブラッサムです。
前作『山へ行こう』完結から2ヶ月半・・・『海へ行こう』がやっと終わりました。
今回山でのリベンジを果たそうとした妹たち・・・今度もまた諦めていないようです。
駆け落ちをした男女を追う・・・
なんか妙にストーリーに幅が出てきたのかそうでないのかわかりませんが、色々と大変な事になってしまいました。
どうしてこんな事になったのか未だによく分かりません・・・
まあ取り敢えずこのシリーズはまだ終わらないようです。うんざりしながらもお付き合いください・・・
おそらく次回は・・・行こうシリーズ第3弾『どこかへ行こう』になるはずです。
いつの間にシリーズ化したのか作者にも判らないのですが(笑)

最後になりましたが、『海へ行こう』作成に当たり叱咤激励忠告アドバイスなど、
色々とおっしゃってくれた雄一さん、ビューラリウスさん・・・
他にもさまざまな方にお世話になりましたことを、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

感想はメールか掲示板にお願いします。ではまた、次回『どこかへ行こう』でお会いしましょう


ソルさんへの感想はこちら
ryo23@alpha.ocn.ne.jp
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