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One week
第四章 千影 『魔術師の恐怖の週末』

原作者・雷帝紳士さん 文・パンドラさん


 マンドラゴラ(マンドレイク)

 根が人の形をした人参に似た植物。
 有毒。
 麻薬・催眠薬として用いられることも。
 地中から引き抜かれるときにあげる悲鳴を聞いた者は死んでしまうため、犬に引き抜かせるとよい。

 「薬草大辞典」より抜粋


 金曜日 19:53 自宅 リビング


 千影はリビングに居た。
 ソファーに座り、なにやら考え事をしている。
 千影の目の前にあるガラスのテーブルの上にはカードの束と三枚のカードが並べられていた。

 一枚目のカード・・・LOVERS

 二枚目のカード・・・DEVIL

 三枚目のカード・・・MAGICIAN

 千影はそれらのカードをずっと眺めながら考え続けている。
 特にLOVERSのカードを気にしているようだった。
 そんなところに四葉がやって来た。
「千影姉チャマ!頼まれた物が出来たデス!!」
 千影はゆっくりと四葉の方に顔を向ける。
「本当に・・・全部調べられたのかい?」
「名探偵四葉に不可能はないデス!」
 千影はジャケットのポケットから無言でカードの束を取りだした。
「報酬の・・・物だ」
 千影は、四葉から紙の束を受け取るとそれを差し出す。
 四葉は喜んでそれを受け取った。
「本当に兄チャマのデス!!」
 兄の写真を元に作られたタロットカードを見ながら喜んでいる四葉を無視して、千影は四葉の持ってきた紙の束に目を通してゆく。
 どうやら可憐についての物のようだ。
 あるところで突然千影の目が止まった。
「四葉くん」
「なんデスか?姉チャマ」
 タロットカードを見ながらニヤニヤしていた四葉に千影は話しかけた。
「月曜日の放課後・・・可憐くんはピアノの練習をしているようだが・・・四葉くんも一緒にいたのかい?」
「Yes、見学に行ってマシタ」
「他には誰か居たかい?」
「他にデスカ。村沢先生が一緒にいたデス」
「他には・・・?」
「居なかったデス」
「君は、最後まで一緒に居たのかい?」
「NO、途中で帰ったデス」
「そうか・・・」
 千影は紙の束に目を戻すと残りのページに目を通し終えた。
(動機が見あたらない・・・)
 口に手を当てると考え込み始めた。
(なぜ、可憐くんの部屋からあれが出てきたんだ・・・?)
 千影は立ち上がると部屋を出ていった。


 同日 20:17 自宅 可憐の部屋


 コンコン・・・

「はい・・・」
 千影がドアをノックすると、中から可憐の声がした。
「私だけど・・・中に入ってもいいかい・・・?」
 少しするとドアが開いて可憐が出てきた。
 部屋の中に満ちていた空気が廊下に流れ出す。
 その時、千影の顔に変化があった。
 少し顔をしかめたのだ。
(この・・・香りは)
 可憐に招き入れられた千影は部屋を見渡す。
 そして、机の上で目が止まった。
 火のついたアルコールランプと三脚の上に乗った白い皿がある。
 近くには小さな小瓶があった。
「千影お姉ちゃん・・・何か用?」
「可憐くん・・・・・あれは・・・?」
 千影は机の上にある物を指さした。
「アロマテラピーだよ、千影お姉ちゃん」
「この香りは・・・どこで手に入れたんだい?」
「貰ったやつだけど」
「だれから・・・?」
「村沢先生からだけど」
「そう・・・」
 千影はそれを聞くと可憐の額に触れた。
「え、・・・」
 すると可憐は糸が切れた様にその場に倒れ込んだ。
 床に倒れた可憐は静かな寝息を立てている。
(悪いけど・・・この事は忘れてもらうよ)
 千影は可憐の耳元で何かを告げると、机の上にある物を片づける。
 最後に小瓶を手にすると部屋から出ていった。


 同日 21:30 自宅 千影の部屋


 様々な魔術の道具がある薄暗い部屋。
 そんな中に千影は居た。
 机に向かっている千影の傍には、可憐の部屋から持ってきた小瓶が在る。
 千影は小瓶の中にある液体を調べているようだ。
(なるほど・・・やはりな)
 不意に千影の手が止まる。
(これが・・・デビルの正体か・・・・・)
 千影の顔が笑った。


 土曜日 15:47 十二姉妹学園 四階廊下


 半日の授業で終わってしまった学校の放課後。
 ほとんどの生徒が帰ってしまって静かな廊下。
 千影は一人、その廊下を歩いて行く。
「どこに行く気デスか?千影姉チャマ」
 千影の行く手にある壁の出っ張りの影から四葉が出てきた。
「君こそ・・・何をしてるんだい?・・・四葉くん」
「もちろん!千影姉チャマをチェキするためデス!!」
「君は・・・どうやって・・・私が居るところが・・掴めるんだい?」
「企業秘密デス!」
 千影は肩を竦めた。
「ついて来るな・・・と言っても・・ついて・・・来るんだろう」
「当たり前デス」
「そう・・・」
 そう言って千影はジャケットのポケットから何かを取りだす。
 それは、カプセルの錠剤だった。
「四葉くん・・・もし・・私について来ると・・・言うのなら・・・これを・・・飲んで・・・もらうよ」
「中身は何デスか?」
「単なる・・・魔除けだよ」
 四葉はそのカプセルを疑惑の目で見ている。
「安心・・・したまえ。・・・死には・・・しないよ」
「死んだら困りマス!!」
「どうするんだい?」
「呑んだらどうなるんデスか!?」
「どうにも・・・ならないよ。・・・私も・・・既に呑んでいる」
「本当デスか!?」
「本当だ」
 四葉は千影からカプセルを受け取ると、それを呑み込んだ。
 それを確認すると、千影はまた歩き出す。
「四葉くん・・・会わせてあげるよ。・・・兄くんを襲った元凶に」


 同日 16:10 十二姉妹学園 音楽室


 ガラッ・・・

 千影達は音楽室の扉を開けた。
 辺りを見回す。
 すると、中には既に先客が居た。
 教卓に寄りかかり腕組みをしている。
 眼鏡を掛けた細面の男。
 その男はアロマテラピーをしているようだ。
 教卓の上にはアロマテラピーの用具となぜかハンドベルがある。
「誰だい・・・?」
 男は千影達に気づいた。
「む、村沢先生!!」
 千影の後ろから顔を出した四葉が驚きの声をあげる。
 村沢は四葉に気付いた。
「四葉さんじゃないか、そちらの人は?」
「四葉の姉チャマの、千影姉チャマデス」
 四葉は前に出ると、千影を紹介した。
「そうか、きみが・・・」
 村沢がそう言ったとき。

「私が・・来るのを・・・待ってた・・・みたいだね」

 千影は突然、言った。
「どういう意味だい?」
 村沢は面食らった顔をする。
 四葉は二人の間で困った顔をする。
「四葉くん・・・こいつが・・・兄くんを襲った・・・元凶だ」
 千影はそう言い放った。
 それを聞いた村沢は、ヤレヤレと両手を上にあげる。
「随分と、唐突な子だね。初対面の人に会うなり犯人呼ばわりとは」
 村沢は溜め息をついた。
「いったい、何を証拠に・・・」
「そ、そうデス!村沢先生じゃ無理デス!!」
 二人に会話を聞いていた四葉が口を挟んだ。
 そこに千影が聞き返す。
「どうして・・・無理なんだい・・・?」
「そ、それは・・・」
 四葉は口を噤んでしまう。
 しかし、直ぐに口を開いた。
「それは!四葉の推理では内部犯だからデス!!」
 いちど堰きを切った水は止まらない。
「犯人が出入りに使った窓の下には、花穂チャマの花壇がありマス。あの日に夜は、雨で花壇の土はぬかるんでいたはずデス。雨が止んだ時はまだ兄チャマは無事デシタ。刺されたのは雨が止んだ後になりマス。でも、花壇に在るはずの足跡が無かったんデス。」
 もう四葉を止められない。
「花壇に足跡を残さずに中に入るのは無理デス。たとえ、足跡を残さずに中に入ったとしても、逃げるとき、窓枠に足跡が残るはずデス。それも在りませんデシタ。それよりも決定的なのは、兄チャマの倒れていた位置デス。部屋と廊下の仕切りを跨いで倒れていたと言うことは、ドアの近くで倒れたことになりマス。知らない人が突然襲ってきたのなら、抵抗しないのは不自然デス。あれは間違いなく顔を知っている人の犯行デス」
「つまり・・・君の結論は・・・私達の中に・・・犯人が居る・・・と言うことだね」
「そう・・・デス」
 千影の質問に四葉は、半分涙声になりながら答えた。
 四葉の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちてゆく。
 一番認めたくなかった結論なのだから仕方ないだろう。
 そんな四葉を見ながら千影が口を開いた。
「四葉くん・・・君の推理は・・・間違っては・・・いないよ」
「えっ・・・」
 さっきまで泣いていた四葉の表情が驚きに変わる。
「刺したのは・・・可憐くん・・なんだからね」
 千影は玲を刺した犯人の名を告げた。
 四葉の表情が驚愕に変わる。
 千影はそれを無視してジャケットのポケットから何かを取り出した。
 それはハンカチにくるまれた赤茶色の物体が付着した小振りのナイフだった。
「それは!?」
 村沢は目を見張った。
「これは・・・可憐くんの部屋で・・・見つけた物だ」
 千影はただ淡々と話してゆく。
「調べた結果・・・この血は・・・兄くんの・・・物だったよ」
「つまり、きみが言いたいのは、『決定的な証拠は揃っている』ってことだね」
 村沢が口をはさんだ。
「だったら、可憐さんに自首させるんだ。そうすれば少しは罪も軽くなる。それに罪は罪だ。罰を受けなくていいはずがない」
 村沢は雄弁に語ってゆく。
 千影はそれを静かに聞いていた。
「それに、それは元々、可憐さんの部屋に在った物なんだろう。だったら、それを警察に届けるべきなんじゃないのかい?そうしないと、証拠品を隠していた罪できみも裁かれることになるんだよ」
「そうだね・・・確かに罪は罪だ」
 村沢が語り終えると、黙って聞いていた千影がしゃべり出した。
「だから・・・事の大元に責任を取って貰うんだよ・・・村沢先生」
「え?」
「私が・・・最初に言ったことを・・・忘れてしまったのかい?」
 千影は村沢を睨む様な目を向ける。
「私は・・・君のことを『兄くんを襲った元凶だ』と言ったんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。さっき君は犯人は可憐くんだと言ったよね。それはきみが証明したし、私の無実は四葉さんが証明したじゃないか。それなのになんで私が・・・」
「可憐くんの部屋で見つけたのは・・・これだけじゃないんだよ」
 すると千影は再びジャケットのポケットから何かを取る出す。
 それは可憐の部屋から持ってきた小さな小瓶だった。
 それを見た村沢の顔が少し強張る。
「どうやら・・・これを知ってるみたいだね」
 千影はそれを見逃さなかった。
「この小瓶の中には・・・液体が入っている。可憐くんは・・・これを君から・・・貰ったと言っていたよ」
「た、確かにそれは私が可憐さんにあげた物だ!だけど、それがどうしたって言うんだ!!」
 村沢は千影に向けて声を張り上げる。
「それに、それを使っていったいどうやって、可憐さんをお兄さんに襲いかからせるんだ!まさか、私が可憐さんを操って襲わせたなんて言うんじゃないだろうね!!」
 怒鳴り散らす村沢を千影は黙って見ていた。
「随分と・・・よく喋るね・・・何か・・・隠し事でも・・・してるのかい?」
 千影にそう言われた瞬間、村沢は急に黙り込んでしまった。
「君は・・・可憐くんを・・・操る・・・と言ったね」
「ああ!言ったさ!それがどうした!!」
「その・・・まさかだよ。・・・君は・・・可憐くんを操って・・・兄くんを襲わせたのさ」
 千影はハッキリとそう言いきった。
 それを聞いた村沢は、
「フッ」
 っと鼻で笑う。
「何を言い出すかと思えば、可憐さんを操るだって。なにを夢みたいな事を言ってるんだい。そんなこと出来るわけないだろ」
「そ、そうデス!そんなこと不可能デス!!」
 今まで、黙って事の成り行きを見守っていた四葉が声をあげる。
「後催眠現象・・・」
 千影はこの場にいる二人に聞こえるように、ハッキリとそう言った。
「この言葉を・・・聞いたことぐらい・・・あるだろう。・・・四葉くん」
「し、知らないデス!」
「そうかい・・・後催眠とは・・・催眠術の一種だよ。・・・相手に暗示をして・・・覚醒後、何かをキーにして発生させる物だ」
「あ、あの、千影姉チャマ」
「なんだい?・・・四葉くん」
「四葉・・・訳がわからないデス。後催眠って簡単に言うと何なんデスカ?」
 四葉は千影に助けを求める様な目を向けている。
「では・・・私が君に『兄くんに会ったら、抱き付きたくなる』・・・と暗示をかけたとしよう。・・・君は催眠からさめた後・・・兄くんに会う度に・・・抱きつきたくてしょうがなくなる・・・と言う意味だよ」
「わ、わかったデス」
 本当にわかっているのだろうか。
 それを無視して千影は先を続けた。
「村沢先生・・・君は・・・可憐くんに暗示をかけ・・・何かをキーにして・・・兄くんを襲わせた」
 村沢は何も言わずに黙っている。
「どうやって・・・催眠術をかけたのかは・・・この小瓶が・・・握っている。・・・この小瓶の中身の液体には・・・マンドラゴラの成分が・・・含まれていたよ」
「マンドラゴラ?」
「薬草の一種だよ・・・四葉くん。・・・この植物には・・・催眠作用が・・・あるんだ」
「なぜ、その事を知っている」
 黙っていた村沢が口を開いた。
「私は・・・この手の物に関しては・・・詳しいんだよ」
「そうか・・・」
 村沢は息を吐いて肩をおとした。
「いつから、私のことを疑ってたんだい?」
「君の事が解ったのは・・・可憐くんの部屋で・・・小瓶を見つけたとき。・・・可憐くんが・・・刺したと解ったのは・・・ナイフを見つけたとき。・・・もっとも、私達の中の・・・誰かが操られて、兄くんを刺したと解ったのは・・・最初からだよ」
「その根拠は?」
「逆上した・・・咲耶くんや私なら・・・ともかく、他の子達には・・・理由がないからね」
「まさか、そこまで解っていていたとは」
 苦笑を浮かべ、やれやれと村沢は首を振った。
「千影さん、全てきみの言うとおりだよ」
「ほ、本当なんデスか!?村沢先生!!」
「本当だとも、私が可憐さんに暗示をかけて、きみのお兄さんの『おやすみ』の言葉をキーに、襲わせたんだよ。四葉さん。それから、花穂さんを階段から突き落とさせたのも私のしわざさ」
「何で、そんなことしたんデスか!?」
「欲しかったんだよ・・・きみ達が・・・」
 村沢は悲しみの表情を浮かべる。
「きみ達の事は、みんな可憐さんから聞いたよ。みんな、お兄さんのことが好きで、健気で、美しい。そんなきみ達を私は欲しかったんだ」
「それで・・・兄くんを・・・殺そうとしたんだね」
「そうさ、完全犯罪できみ達のお兄さんを殺して、変なお婆さんから買ったこれを使って、みんなを手に入れようとしたんだ。もっとも、花穂さんは予定外だったよ」
 村沢はただ淡々と話してゆく。
「けど、まさかきみ達中にこんなジョーカーが居たなんてね」
「もう・・・お喋りは・・・終わりだよ・・・さあ、罰を・・・受けて貰おうか」
 そう言うと千影は四葉の前に出た。
「けどね・・・」
 村沢の表情が変わった。
 ニヤリと笑ったのだ。
「切り札は・・・いつも残しておく物だよ。千影さん」
 すると、教卓の上にあったハンドベルを手に取った。
 それに気付いた千影は、左手で四葉を庇う様な体勢になる。
 右手にはロザリオが握られている。
「『エース イン ザ ホール』そうだよなぁ、・・・四葉!」

 カラ〜〜〜〜〜ン。
 
 まるで間延びした鐘の音が響いた。
「そいつを羽交い締めにしろ!!」
 鐘の音が止むか止まないところで、村沢は声を張り上げた。
「いったい、何を言って・・・ぐぅっ」
 千影は突然首に腕をまわされ、左腕を後ろにねじ上げられた。
 状況を把握しようと千影は、自分自身を羽交い締めにしている者を知って愕然とする。
「四葉・・・くん・・・な・・・ぜ・・・?」
 それは四葉だった。
 しかし、様子がおかしい。
 まるで意志が感じられない。
「そいつが何か言ったら、もっと締め上げろ」
 村沢はそんな四葉に指示を飛ばす。
「おや、気付いてなかったみたいだね」
 千影が少し慌てているのに村沢は気付いた。
「まさか、私はいつまでも大切な人形を、一人だけにしておく気はないよ」
「く・・・シル・・ぐぁ」
 待機させてある風の精霊に、千影は指示を出そうとした。
 しかし、首にまわされた四葉の腕が首を締め上げ、のどを圧迫する。
 声が出せない。
 その光景を見て村沢は、含み笑いをした。
「くくく。やはり、何か使い魔みたいな物を準備していましたか。しかし、声を出さないと使えない。四葉の報告どおりだ。予防策をはって正解だったな」
 彼の顔が邪悪に歪む。
「さて、きみも私の人形になってもらうよ」
「無駄・・・だ・・私には・・・利かな・・が・・ぁ」
「そんなこと、最初から承知してるよ。どうせ、何か催眠に掛からなくなる薬でも、呑んで来たんだろう。だったら、そんな物が、対抗出来ないくらいのを使えばいい」
 そう言って、村沢はズボンのポケットからカプセルの錠剤を取りだした。
「このカプセルの中身が何だか解るかい?・・・そう、マンドラゴラの粉末だよ。アロマでするよりも、数十倍の効き目があるそうだ。本物には毒性があるそうだが、これは中和されてるらしい」
 村沢は、また含み笑いをした。
「くくく。さあ、安心して私のものになりなさい」
 村沢の台詞を聞いて、
(もう・・・許さない!)
 千影はそう思った。
(兄くんと・・・同じ苦しみを・・・与えるだけでは・・・すまさない)
 千影は意識を集中すると詠唱を開始する。
(我が心の牢獄に封じ込めし我が生み出ししもう一人の我よ・・・・・)
 声を出さずに、千影は唱えてゆく。
 自らの内側に向けて、語りかける様に。
(汝、鎖を断ち切りて、我よりいでよ・・・)

(・・・・・?)
 村沢は、千影に起こった異変の意味が一瞬わからなかった。
 千影は突然、糸の切れたマリオネットのように顔を俯かせ、腕をダラリと下げたのだ。
(なにをしているんだ?)
 だが、村沢はすぐに自分の中で一つの結論を導き出した。
(諦めた)
 村沢の顔がニヤリと笑った。
 もう相手は全てを諦め、自分のものになる、とふんだのだ。
「くくく、どうやら、私のものになる決心がついたみたいだね」
「・・・・・・・」
 千影は何も答えない。
 村沢はこれを肯定と取って、千影に歩み寄ってゆく。
 そして、千影に手を伸ばした瞬間。
 次なる異変が起きた。
 突然、千影の足下の床に得体の知れない光の魔法陣が浮かび上がったのだ。
「な、なんだ・・・!?」
 村沢は、困惑と恐怖の入り交じった表情を顔に浮かべ一歩後ずさった。
 そして、さらに異変は続く。
 周りの空気が千影を中心に渦巻きだした。
 村沢は抵抗虚しく、魔法陣の外に弾き飛ばされ「グゲッ」と間抜けな声をもらして壁にぶつかった。
「な、何が起きてるんだ!?」
 背中にはしる痛みを堪えながら、村沢は何が起きているのか理解しようとした。
 しかし、訳が解らない。
 だが、原因が千影にあることが解ると、なおも組み付いている四葉に千影を止めさせようと、指示を出そうとした。

 その時。

 千影の背中から何かが飛び出した。
 まるで、今まで隠れていた物が吹き出すように。
 それは、千影が羽織っていたローブごと四葉を弾き飛ばした。
 弾き飛ばされた四葉は、いくつかの机を巻き添えにして倒れ、昏倒する。
 千影から現れたそれは、翼だった。
 翼は一見、天使の物の様に思える。
 しかしそれは、天使のそれとは違うところが一カ所あった。
 それは色。その羽の色は輝くような純白ではなく、深淵の如き漆黒だった。
「・・・・・」
 村沢はその光景を見て、半ば呆然としていた。
 しかし、それだけでは終わらない。
 翼が数回羽ばたくと、千影の体から像をずらす様にして、その翼の主が姿を現す。
 血の気を失った様な青白い肌。プラチナのように輝く長い髪。その身には鎧のような物を身に着け、腰には一組の剣と鞘を吊っている。
 そして、表情は氷の様に冷たく、相手を射抜く様な瞳は黄金色をしている。
 青年のようなその顔は、僅かに千影に似ていた。
 その者を一言で言い表すならば、それは「堕天使」・・・・・。
 千影から出てきた堕天使は、空中を滑るようにして村沢に近づいてゆく。
 村沢は近づいてくる堕天使に恐怖を憶え、その場を逃げ出そうとした。
 しかし、腰が抜けていていて、ズルズルと少ししか動けない。
 そしてここは音楽室の中。
 すぐに壁際に追い詰められてしまった。
「ひ、ひぃ・・・」
 堕天使は、追い詰められた村沢の目の前に静かに降り立った。
 堕天使の背後から千影が姿をのぞかせる。
「この子の名はジュダース。・・・私の心の結晶体」
 千影は堕天使を見上げながら言った。
 しかし、村沢は既にジュダースの方にくぎ付けで聞こえているかはあやしい。
 千影は村沢の方に視線を向けた。
 その視線からは、非情が見て取れる。
 だが、その視線にすら村沢は気付かない。
「貴様は・・・可憐くんを操り・・・花穂くんを傷つけ・・・兄くんを殺そうとした」
 千影の声が強張る。
 その声から強くそして冷たい怒りが感じ取れた。
「私は・・・貴様を・・・許さない」
 その声に答えるように、ジュダースは剣を抜き払った。
 そしてそれを振り上げる。
「貴様の心に・・・一生消えない恐怖を・・・植え付けてやる」
「ーーーーー」
 声にならない絶叫を上げ、追い詰められたうさぎの様に縮こまる村沢に、ジュダースは容赦なく剣を振り下ろした。

 その夜、見回り来た用務員は音楽室で村沢を発見した。
 その時の村沢の姿は痛々しく。
 髪は全て白髪化し、目には何の光も宿ってはいなかった。
 駆け寄った用務委員に対し村沢は、
「ひいやあああぁ・・・く、来るな!!・・・来るな化け物!!」
 と叫き散らし暴れるだけだった。


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