人は一人では生きていけない。それはよく聞く台詞。
それなら一体、何人以上なら生きてゆけるのだろうか?
明確な答えがなくても、生きてゆける人はいるのだろう。
……僕も、今までそうだったから。
もしかしたら、今も答えなんて出せてないのかも知れない。
答えにならない答えに、自己完結してるのかも知れない。
だけど、それでも、物語は紡がれていく。
だから、同じ質問を、何度でも問い掛ける。
見失わないように。生きる意味を、何度でも。
―――何人以上なら、生きてゆけるのだろうか?
あの時の僕なら、きっとこの質問にこう答えただろう。
他は知らないが……僕達は、13人以上で生きている、と。
ダイヤモンドのやわらかさ
第1話 「
rolling vacation 」
作者 夕凪さん
「だから、これは何なんだよ」
何度目かわからない質問を、僕は重たい溜め息と共に吐き出した。脱力感で落ち込む身体が、腰掛けてたソファに自然と埋もれていく。
目の前には、僕の妹のうちの一人である千影が、分厚い参考書ほどもある本を僕に突きつけて立っている。
いつもよりか少しだけ興奮気味の彼女は―――と言っても、彼女をよく知っている人間でしかわからないほどの微妙な変化なのだが―――真剣という炎を瞳に宿して、僕のほうへ詰め寄った。
「………わからないのかい……兄くん……?」
これでもか、っていうくらい大きな溜め息を吐く。彼女も同じ返答だったから。沈んだ身体がとうとうソファと同化しそうだった。
一体いつまでこの循環は続くのだろう。かれこれ十分近くはこの状態のままだ。何故こんなことになってしまったんだろう。僕は休日ライフを満喫したかっただけなのに。
僕こと、笠月 昇は、ようやく始まったゴールデンウィークという連休を祝い、紅茶でもって祝杯をあげようと一人リビングで和んでいた。そんな矢先に、二階から降りてきたと思われる千影がリビングに侵入し、いかにもな感じを漂わせる怪しげな本を取り出すと、あるページを開いたところで僕の目の前に突き出して、今にいたる。と、そういう訳だ。あぁ……回想終わっちゃったよ。
そして先程のやり取りをし、自分が「あぁ、わからない」と答えると、数秒の沈黙のあと「兄くん、これをよく見てくれ」と返すのだった。
泣きたくなる。
わからないものはわからない。わからないから、これは何かと聞く。当然の反応だ。どうして彼女はたったそれだけの事を理解してくれないのだろう。
彼女の執拗な視線に耐えられなくて、思わず目線を右下に逸らす。すると、ちょうど視界の端に彼女の赤紫色の髪と、それに合わせて塗られた真紅の唇が見えた。
……黙っていれば可愛いのに。どうしてこうも彼女の話題はアレなんだろう……。いや、喋ってても可愛いんだけどさ。
そんな風に、昇の思考回路が当初の問題とはズレた方向に行きかけた時。
「ちょっと、千影。あまりお兄様を困らせるようなことはしないでよね」
救いの手が、意外なところから現れた。
「……咲耶くん」
千影が呟いたとおり、いつの間にかリビングに入ってきた咲耶が千影を威嚇するように、すたすたとこちらに近づいてくる。彼女自身もご自慢の長いツインテールの髪が躍るように揺れて、ほのかに甘い香りが漂ってきた。自分の妹ながら、ついつい見惚れてしまう。
彼女はそのまま僕の腰掛けているソファの後ろに周り、しなだれかかるように僕の首に抱きつきながら、こう言い足した。
「お兄様は、私のことで頭がいっぱいなんだから」
「いや、断じて違うぞ」
ウィンクまでして言い切る咲耶を、力いっぱい否定する。
どうやら差し出された救いの手は一転ひっくり返されて、僕に更なる苦悩を押し付けてきたようだ。
というか、その手は現在、僕の首に巻きつけられているのだが。
「照れなくてもいいのよ?」
「困ってるんだよっ」
真顔で言い合う二人が、遠目に見てて面白い。
そんなやり取りをしばらく黙って見ていた千影は、昇と咲耶をニ、三度交互に見回したあと、
「……まだ……時期じゃないのか。おかしい……な。占いでは、機は熟したと………出ているのに……」
と、不穏な事を呟いてそのままリビングから去っていってしまった。
「何、だったんだ……?」
昇がその先の考察をする前に、首にまわされた腕が後頭部に何かやわらかいものを押し付けてきた。
さっきより強く、あの甘い香りがする。……ひどく心地がいい。
「もう、お兄様ったら。千影ばっかり見て……私にはそんなに魅力が無いって言うの? まったく、失礼しちゃうわ」
拗ねたようにそっぽを向く咲耶。普段大人びてるギャップからだろうか、いじけた様子が妙に可愛らしい。
「いや、だって僕は千影と先に話をしてたんだからさ……」
そこで少し、言葉を切って。
「……それに、咲耶にもちゃんと魅力はあるよ」
また、続ける。
在り過ぎて、さっきみたいに困るくらいだ。……口には出さないでおくけれど。
しかし、彼女を喜ばせるには、そこまでの言葉で十分だったようだ。
「やだぁ、お兄様ったら。そんな控え目なアプローチが、私の胸をいっそう焦がすのよっ」
そう言って、じゃれついてきた。
十分どころか十二分の効果が首周りの腕に伝わり、呼吸が断続して止められる。
見事な絞め技だった。
「あのさ、咲耶……? ちょっと……苦しいんだけど……」
「えぇ。ちゃんとわかってるわ、お兄様。私のことを想って胸が苦しいっていうことは…………」
「いや、腕がね。腕が……んでもって、首が………」
「え……? きゃっ、ごめんなさい!」
小さな悲鳴をあげて彼女が離れると、ようやく首周りが束縛から解放された。なんとなく名残惜しいのは気のせいだ。きっと。
僕は軽く息を整え、ソファに座り直すと、手元のカップを手に取り、少し冷めかけた紅茶を一口飲み込んだ。
「で、衛は? 一緒に買い物に行ってきたんだろ」
思っていた疑問を口にする。
確か今日は、衛が明後日から一泊二日で学校の友人とキャンプに行くので、必要な用具を買いに出かけていたはずだ。
そして咲耶はその買い物の荷物持ちを名乗り出ていた。昨日の夕飯に二人がそう話していたのを覚えてる。
「ん〜、さっき帰ってきたんだけど……玄関前で花穂ちゃんと会ったものだから、お花にお水あげるって、一緒に。まだ外にいるわ」
頭の横で、手をひらひらと振りながら咲耶が話す。
「ほんと、あの二人は姉妹の中でも格別に仲がいいわよね〜」
ちょっと嫉妬しちゃうわ。私の親友はさっきみたいのだし……。とかなんとか言いながら、その手で優雅に髪をかきあげた。ちょっとだけ笑って。
まあ、基本的にみんな仲がいいのだ。兄としても安心である。
これなら明日、予定通り鞠絵が療養所から退院してきても、気持ちよくこの家に帰ってこれるだろう。昇はそう思った。
「にいさま〜。ひょっとして、咲耶ちゃんたち帰って来たんですの〜?」
咲耶との会話がそこまで終わったとき、キッチンの方から白雪の声が飛んできた。弾んだ声がリビングまでいっぱいに響き渡る。
昇が声のする方……リビングとキッチンを繋ぐ通路に目を向けたところ、声の主が大きなリボンとともに、ぴょこんと顔を覗かせた。
「あっ、やっぱり帰ってきてたんですの」
彼女は言いながら、にっこりと笑う。
「ねえさま。今、お腹空いてますの?」
「今? う〜ん……そうね。歩いてきたから、ちょっと空いてるかも」
咲耶がそう言うと、白雪はいっそう笑みを深めて、
「それはよかったですの。ちょうどおやつに作ってたシフォンケーキがもうすぐ焼き上がるから、よかったら食べて欲しいですの」
「ホント? 是非いただくわ。あっ……じゃあ、衛ちゃんも呼んで来ようかしら……」
ハッと気付いたように扉に向かう咲耶を制して、
「あぁ、それは僕が呼んで来るよ。ちょうど車庫に行こうと思ってたし。白雪、ケーキは花穂の分もあるかな?」
「もっちろん! いっぱい焼いたから、他のみんなも呼んで来て欲しいですの」
「ん。わかった」
昇は僅かに残っていた紅茶を飲み干して、ソファをたつ。
既に休日の祝杯のことなど、頭にはなかった。たった一人で過ごすより、妹たちと一緒に休日ライフを満喫した方が楽しいのはわかってたから。
変な本を突きつけられたり、首を絞められたり。そんな騒がしい連休の方が、きっと思い出に残るだろうから。
ただ……少しだけ。ほんの少しだけ、僕は――――
「白雪ちゃん、私は何か手伝うことはない?」
「じゃあ、咲耶ちゃんはケーキ用のお皿を用意してくださいですの」
「まかせてっ」
昇がリビングの扉を閉めて、背中で聴いた最後の言葉は、そんな楽しげな会話だった。
「咲耶ちゃんってば、ひどいんだよ」
口をとがらせて不平を言う。怒ってるつもりなのだろうが、かえってそのしぐさが可愛らしい。
「『一人じゃお買い物、大変でしょ』って言ってくれてたのに、キャンプ用品の買出しが終わったら、ボクを無理矢理洋服店に連れて行こうとするんだ」
要するに、自分は騙されていたのだ。
帰りは重くなるであろう買い物袋を持つ自分を心配してついてきてくれたのだと思っていた姉は、『荷物持ち』という名目を掲げ、実際は自分を着せ替え人形みたいに扱おうとしていたのだ。
行きのバスの中で、本気で感謝の言葉を告げた自分がバカみたいだ。
そんな彼女のこぼしを、ジョウロを持ったもう一人の女の子は楽しそうに聞いていた。時たま向きを変えて、色とりどりの花々にまんべんなく水が行き渡るように気を配っている。
青いジョウロには、ご丁寧に油性マジックで大きく『花穂』と書かれていた。
「お姉ちゃま、きっと心配なんだよ。衛ちゃんが中々女の子っぽい格好してくれないから」
そう言って女の子、花穂はクスクスと笑った。
随分と前からリビングで雑誌をめくっていた姉の姿を思い出す。
珍しく、彼女のお気に入りの店―――花穂も以前連れて行ってもらったことがあるが、自分にはまだ早過ぎる品揃えであった―――からは少し離れた地区のページを開いていた姉の姿。
あれは今日、この日の為のものだったのだ。
覗き込んだとき、必要以上に笑みをこぼしていた理由に、やっと納得がいく。
「うぅ〜、そうかなぁ………心配してくれたのかな……」
花穂にそう言われて、衛と呼ばれた少女は少しだけ口元を和らげた。
会話の通り、軽いTシャツに短パンという一見男の子のようなラフな服装をしている衛だが、その胸元には確かに女性特有の膨らみが僅かに見受けられた。
「そうだよぉ。お姉ちゃまは、とってもやさしいもん」
結論をしぶる衛に、花穂は力強く肯定の意を示す。
彼女は衛とは対照的に、ヘアバンドとミニスカートという非常にわかりやすい服装だ。
本人は気づいていないのだろうが、ジョウロを傾ける度に自分の体も前に傾いているので、「後ろから見えてしまわないかと、いつもハラハラしてしまう」とは、純情乙女可憐の意。
それはともかく。
一通り水を与え終えた花穂は、ジョウロを足元に置き、んっと背伸びをした。
そんな花穂の隣で、衛は先程まで買い物に付き合ってくれていた姉の姿を思い返してみる。
言動。表情。行動。態度。
午前中買い物につきってくれた姉の一挙一動を、花穂の言葉を踏まえて慈しむように思い返し、結論に至る。
……いいや、あれは楽しんでいた。
確かに良かれと思って連れて行ったのかもしれないが、ピンクのネグリジェとフリフリの黄色いドレスを持って選択を迫ってきた姉は、絶対に自分の反応を見て楽しんでいた。
だって、目が本気だったから……。まぁ、二着とも商品列にきちんと戻してきたが。
そして思うのだ。
「ああいうのは……ボクなんかより、花穂ちゃんみたいな可愛い子が着た方がいいんだよ……」
謙遜じゃなくて、本当にそう思う。
自分には、ああいう服は似合わない。なんというか………そう、気が引ける。
対する花穂は、まずきょとんとし、次いで心底驚いたような顔をして、
「え……? え、えぇ〜!? 花穂には無理だよぉ。衛ちゃんの方が絶対、可愛いもん………」
「そ、そんなことないよっ。花穂ちゃんの方がずっと可愛いって………」
お互い尻すぼみになって、顔を真っ赤にしたままモジモジしてしまう。その傍らを、黄色い蝶がひらひらと飛んでいった。
暖かい陽光を浴びて、緑の芝生の上に立ち尽くす2人の間を、緩やかな風と時間だけが流れていく。
なんとなく気まずい。
「え、えっとね、衛ちゃん。花穂ねっ……」
この雰囲気を打開しようと、新たな話題をふろうとしたのだろう。
花穂が大げさに手をばたつかせ、衛の方へきちんと向き直ろうとした、ちょうどその時―――
「―――ひゃうっ!?」
足元に置いてあったジョウロに踵をつまずけ、思いっきり体勢を後ろに崩した。変な悲鳴をあげて。
「っ、花穂ちゃん!」
衛が叫んだ。
もともと水を撒いていたこともあって、少なからず地面の草が湿って滑りやすくなっていたのだろう。慌てて衛が手を伸ばそうとするが、間に合わない。
周りに捕まる所も見つけられず、花穂の手が何もない空を切る。背中に打ち付けられる衝撃を恐れて、花穂は堪らず目をつぶった。
反転する身体が、重力にしたがって真っ逆さまに降下する。
きっと痛い。きっと痛い……。
悲鳴をあげる心が、急激に低下する体温と、遠ざかってく聴覚だけを感じ取った。
そして、花穂の動きが止まる。
予期した衝撃はいつまでも来ず、代わりにやわらかい感触が背中を迎えた。
「よっと。また転びそうになったのか、花穂?」
少しおどけた声が、自分の硬直を解いた。
顔を上げて目を開くと、近くに見知った顔が見えて、その顔が笑いかけてくれていて……。
「お、お兄ちゃまぁ……」
恥ずかしいような、それでいて嬉しいような、そんな甘ったるい声で花穂は応対した。
背中に添えられた腕が、温もりと共に彼女の身体をしっかりと支えている。
「……立てる?」
「う、うん……ありがとう、お兄ちゃま」
昇に手を取ってもらい、そっと、地面に降り立つ。
「あにぃ、ナイスキャッチ」
「だな。運がよかったよ、ちょうど声をかけようとしてたとこだったんだ」
走りこんでようやく間に合ったのだから、あと数秒遅れていたらアウトだった。
内心のドキドキを隠しながら、昇は軽い口調で答える。そして、白雪の作ってくれたケーキのことをのほほんと告げた。
「僕は車庫に用があるから、二人は先に行って食べてな」
「うんっ……わかった。花穂ちゃん、行こっ」
元気よく駆け出す衛の後ろで、花穂はまだモジモジと兄のほうを向いて固まっていた。
「あ、あのねっ、お兄ちゃま……あの………」
少し顔を赤らめ俯いている姿は、じれったくて、もどかしくて……そして、ものすごく愛おしかった。
昇は彼女の意を察して、そっと微笑む。
「あぁ。花穂のこと、見捨てたりなんかしないよ。大丈夫」
言うが早いか、花穂の顔がパァッと輝いた。
「えへへ、お兄ちゃま、ありがとぉ。それじゃあ、花穂たち先に行って待ってるね」
照れ笑いを隠すように、小走りで衛の後を追っていった。
「あにぃ。早く来ないと全部食べちゃうからねっ」
振り返って、こちらに大きく手を振っている衛の声。
青い空に、吸い込まれるように消えていって。
白い雲のように、ふくらむ思いだけが胸に残る。
「そんなに食っても太るだけだぞ〜」
「ふぇ……」
「あ、あにぃのばかっ!」
気恥ずかしくて、誤魔化すように冗談を言った昇に、衛が軽い非難の声を浴びせる。その少し後ろで、涙目になりながら自分のお腹をさする花穂。
微妙に二人の食い気が傷ついたようだが、放っておく。
白雪のおやつの前に、ダイエットという文字は意味を成さないのだ。だって、食べなきゃ損するだけだし。
彼女たちの後姿を笑って見遣ってから、昇は再び車庫へと足を向けた。
オイルの匂いが鼻をつく。嫌いではない、この匂い。
長いこと嗅いでいるからか、なんだか落ち着くようになってしまったのも事実で。
「なんか、アニキの匂いに似てるのよね〜」
呟いてみて、なんだそれは、と自分自身に突っ込む。
兄がオイル臭いわけでは決してなくて、なんか落ち着くという意味で似てると思っただけなのだが。
相変わらず曖昧なままの自分の言葉に、ついつい苦笑してしまう。こんなだから国語の成績がいまひとつなのだ。
「ふむふむ。兄チャマはオイルっぽい、っと……」
頭上から聞こえてきた言葉にさらに苦笑する。
この娘はこの娘で、また変なこと言ってるし。オイルっぽいってなんだ、『っぽい』って。
彼女も自分と同じように、国語は得意でないのだろう。帰国子女なのだから、それはそれで仕方ないのかもしれない。
でも、そうすると春歌ちゃんはすごいなぁと思う。
彼女は日本語もドイツ語もペラペラだ。少しだけ英語も話せるらしい。去年の歓迎パーティで一度聞いたきりだが、すごくかっこよかった。
……ドイツに一緒に住んでた伯母さんが厳しかったからって、笑ってたっけ。
そんなことを考えながらボルトを完全に締め終えると、息を吐いて作業していた腕を下ろした。
スパナを胸元に置き、背中のスケボーに身体を乗せ直して軽く地面を蹴る。ころころと車輪が回転し、顔が機械の下から抜け出した。蛍光灯の光が眩しい。
寝転がるようにしてスケボーから降りると、味気ない色をした作業服がガサガサと鳴った。
「あっ、鈴凛ちゃん、終わったデスか?」
作業をやめた自分の姿を確認すると、四葉はそう尋ねてきた。
「うん。ちょっとずつ動かして、調子の悪いとこにオイル差してただけだからね」
鈴凛はそう答えると、ざっと辺りの機械類を見回した。
彼女は部屋に置き場の無くなったメカや、しばらく使ってない古いメカに、こうして時たまオイルを差してやっている。退屈な休日の暇つぶしも兼ねて。
なんとなく壊すのも惜しいし、放っておくのもなんだから。
何より、兄との大切な思い出が詰まったメカたちだから、使い道がなくなってもぞんざいには扱えないのが本音だが。
「ところで、四葉ちゃんはどうしてここに来たの? なんか用事?」
鈴凛は床に転がっていたドライバーを工具入れに仕舞いながらそう聞いた。
こことはつまり車庫のこと。
幾つかの機械と、その隣に白いワゴンが止まってるだけの、女の子がいるにはあまり似つかわしくない場所。
つい先ほど、四葉はチェキチェキ言いながらここに駆け込んできて、キョロキョロと辺りを確認したかと思うと、ほっと一息ついてから、手持ち無沙汰に周りの機械を眺めていた。
「もうすぐ兄チャマが来るはずなんデス」
「アニキが……?」
「イエス! 兄チャマが車庫に向かったので、四葉は先に回り込んで待ち伏せ中なのデス」
手の中のカメラをいじりながら四葉は答える。どういう情報網か知らないが、どうやら兄がここに向かって来てるらしい。
まったく、そういうことは早く言ってくれないと困る。
「四葉ちゃん、ちょっとアニキを驚かせちゃおっか」
「ホワッツ? それはどういう意味デスか?」
「つ・ま・り。どうせ撮るなら、普段見れないようなアニキがいいでしょってこと」
鈴凛は悪戯っぽい笑みを浮かべながら四葉を見つめる。
四葉もすぐにその意味に気づき、似たような笑みを浮かべて、こう頷いた。
「クフフッ。四葉もちょうど『兄チャマ、ドッキリ特集』の二巻目を作りたいと思っていたところなのデス」
静かな笑いが狭い車庫いっぱいに響き渡る。ここに小悪魔が二人、地上に降り立った。
薄暗いガレージの扉を開ける。
昼間だというのに、車庫の中は暗闇で埋め尽くされていた。
中央に白いワゴンが止めてあり、それを囲むようにして無数の機械が置かれている。
シャッターはもちろん、小さな通気口までもが閉められていて、窓の無い空間は薄気味悪くもあった。
嫌に静かだ。
生き物でないモノにじっと見つめられているようで、昇はなんとなく違和感を覚えた。
うっすらと、ガソリンと埃の匂いがする。
昇は入り口から漏れる光だけを頼りに、手探りで蛍光灯のスイッチを入れた。
……しかし、電気は点かなかった。
「あれ? おかしいな……」
とうとう電球が切れたかな。と思いながら、昇は一歩、車庫の中へと進む。
確か奥の戸棚に懐中電灯が置いてあったはずだ。
車を迂回し、壁づたいに進む。奥に進むほど光が弱くなっていき、とうとう車の影に見えなくなった。
途中、床に転がったメカたちに足をとられながら、なんとか目的の戸棚に到達する。
その時だった。
先程感じた違和感が強まった。
誰かにじっと見られてる気がする……。そう思い、辺りをぐるっと見回してみたが、暗闇以外何にも見えない。
もし、ここに人がいるのなら、黒い輪郭だけでも見えるはずである。
そんなに大きな車庫ではない。身動きするものがあれば、視界に入るようなものを……。それがまったく見えないということは……気配だけが感じられるのならば……それはいったい、何なのだろうか?
先程より暗闇に慣れたきた目を凝らし、もう一度辺りを見回す。……やはり誰もいない。
「……誰かいるのか?」
いてもいなくても返事が返ってくるはずは無い。そうわかっていながらも、聞かずにはいられなかった。
びぃ〜んと自分の声が鈍く響いて、しばしの沈黙が訪れる。たったそれだけの喧騒で、それまでの気配は若干薄らいだ。気のせいかと思い、戸棚に振り返ろうとしたその時―――突然、足首が何かに掴まれた!
一瞬にして背筋を悪寒が走る。嫌な汗がどっと吹き出て、心臓が大きく跳ね上がる。
振り返りざま視線を素早く床に落とした。
赤い腕が車の下から伸びていた。
―――ヨクモ轢イテクレタワネ……
絶叫が辺りに木霊したのと、フラッシュの光が瞬いたのは、ほとんど同時だった。
「あはははは! アニキってば、ホンキで驚いちゃって、おっかし〜」
「兄チャマのビックリフェイスを、完全チェキなのデス!」
車の下から片腕半分をペンキで赤く塗った鈴凛が這い出てきて、天井にぶら下がってた四葉が飛び降りてきた。
お腹を抱えて、けらけらと鈴凛が笑う。四葉は四葉で、ベストショットが撮れたことにご満悦のようだ。
対する昇は、陸に上がった魚みたいにその場で口をパクパクさせていた。
「お、おまっ、お前たち二人とも、悪戯が過ぎるぞっ!」
「え〜? アニキったらぁ、こんな可愛い妹を怒鳴りつけるなんてひっど〜い」
「兄チャマ、そんなにぷりぷりしてると、血圧上がっちゃうデスよ?」
「二人とも反省の色無しかい!」
しばらく三人の騒々しい声がガレージを包み、いつしかその声はすべて笑い声になっていた。
大抵のことなら、許してしまう。良い風に言えば、許せてしまう。
そんな兄と妹だった。
「で、アニキは何しに車庫に来たの?」
「ん? 明日、鞠絵を療養所まで迎えにいくからさ、すぐに車を出せるようにしとこうと思って」
「ホワイ? 車の調子でも悪いんデスか?」
「ちゃうちゃう。ほら、これだよ」
昇が足元に転がるメカたちを指さす。
「これじゃ、出れないからさ」
「あ、あはは……そういえば、そうね………」
鈴凛が乾いた笑みを浮かべる。
「もちろん、手伝ってくれるよな。これは鈴凛が作ったものなんだし」
「へっ?」
「四葉も。僕の良い写真が撮れたみたいだし、提供料ぐらいは払ってくれるよね?」
「チェ、チェキっ?」
そして笑い声は二人の不平不満に変わっていったという……。
リビングには、隣り合わせに置かれた二つのテーブル。
それを囲むようにして13の椅子が並べられている。
今はその内、千影、春歌、鞠絵以外の席の10個が占められていた。
白いテーブルクロスの上には焼きたてのシフォンケーキ。
その場にいる10人分の食器へと、その身を切り分けられていく。
賑やかな空間に、ひときわ大きな嬌声が響いた。
「ふぇ〜ん。この白雪ちゃん特性のシフォンケーキ、おいしすぎるよ〜」
顔をとろかせてうっとりとする。
花穂だった。
「ほんと。いつものおやつも美味しいけど、今日のは一段と格別よ、白雪ちゃん」
隣の席で賛同する咲耶も同じ顔。
どうして甘いものは女性の心をこんなにも刺激するのだろうか。
食卓にはいつもどおりの笑顔があふれていた。
「うふふ。そう言って貰えると嬉しいですの。でも、明日はもっともっと美味しいご馳走を作りますのよ」
いや、違った。
いつも以上に、みんなに笑顔があふれていた。
白雪の台詞で、みんなが一様に顔を合わせる。
「とうとう、13人で揃って暮らせるようになるんだな……」
しみじみと、昇が呟く。
随分長いこと、おあずけにされていた誕生日会が来るみたいに。
胸につかえる言葉や想いが、誰の胸にも出掛かっていた。
「亞里亞……姉やとお人形さんごっこして、遊んでもらうの」
間延びした亞里亞の声が、その場の雰囲気をやんわりと和ませた。
すべて、その言葉に集約されていた。
できなかったことが、少しづつできるようになるのだ。
ついこの間まで離れ離れに暮らしていた自分達も、今ではこうして同じ屋根の下で暮らせている。
心地よい静寂が辺りを満たした。
「明日の退院パーティは、ぱぁ〜っとやりましょ」
最年長の咲耶が、そう締めくくって、再びリビングは賑やかな声に包まれた。
部活の合宿で留守にしている春歌も、明日のパーティの前には帰ってくる。
このゴールデンウィークに、何かが起こりそうな……そんな予感がした。
「白雪ちゃん、明日は可憐もお手伝いしますね」
「ヒナも、ヒナもする〜」
「チェキっ!? 雛子ちゃん、何か作れるんデスか?」
「うんっ。ヒナね、クマさんのパンケーキ作れるんだよ!」
「げっ、私だってまだカツサンドだけなのに………負けたわ、雛子ちゃんに……」
「下克上ね。うかうかしてられないわよ〜、私達も」
「うっ……ボクの方見て言わないでよ、咲耶ちゃん……」
思い思いのことを口にする妹達。
話題は尽きそうになかった。
今日は4月29日、木曜日。みどりの日改め、ゴールデンウィーク初日である。
昇たちの区域では、学校もゴールデンウィークに合わせて創立記念日を持ってきているので、まるまる一週間がゴールデンなウィークになっている。
明日鞠絵の退院祝いを控えて、今日ここから特別な一週間が始まった。
懐かしい旋律を奏でる。
その細くきれいな指よりも、真っ白な色をした鍵盤が、穏やかな波のように優しくうねる。
そうして生まれたメロディは、どこか淋しくて切なくて。まるで泣き出しそうに震える空気が、うねりをあげて鼓膜に届いてくるようだった。
どこまでも響いて、届いてほしい。そんな願いを込めて、少女はピアノを弾いていた。
流れるような指の運びが、あの頃の憧憬を連れてくる。夢。希望。そんなものを乗せて、回送する無人バスのように、目の前を通り過ぎて去っていく。
少女は思い出していた。
それは本当にささやかな夢で、ほんの小さな希望で、純粋であるがゆえに、壊れやすく脆い宝物だった。
だからだろうか。
少しだけ、涙が出る。ほんの少しだけ出て、溢れてくる。
あの想いと、一緒に……。
だから、こうして蓋をする。
容器が壊れないように。辺りを水浸しにしないために。
悲しいけれど、苦しいけれど、口を固く結び、目を強く瞑り、蓋をするのだ。きつく。きつく。
そして自分は奏でている。
あの時、崩れ去った憧憬を。今なお、崩れゆく憧憬を。
諦め切れない、自分が在るから。
「わぁ……可憐おねえたまは、やっぱりピアノがじょうずだね〜」
曲が終わり、可憐が何かの余韻に浸るように、何もない天井を無言で見つめていると、すぐ傍らで声がした。
見ると、雛子がフローリングの上に座り込んで、無邪気に拍手をしていた。
隣では同様に座り込んだ亞里亞が、眠たそうにうつらうつらしている。
「うふふっ……。ありがとう、雛子ちゃん。でも、雛子ちゃんだって練習したら、きっと上手にピアノが弾けるようになりますよ」
「ほんとっ!? ヒナ、ピアノひけるようになりたいっ! おねえたま、こんどヒナにピアノ教えてくれる?」
「ええ、もちろんっ。雛子ちゃんは頑張り屋さんだから、きっとすぐに上手くなるんじゃないかな」
はにかみながら雛子が「うんっ、ヒナがんばる!」と答える。その姿があまりにも眩しくて、可憐はたまらず微笑んだ。
上手くできてほしい。彼女には。
可憐は目の前に並べられた楽譜を集め、最後にピアノの蓋を閉めると、オレンジ色に透き通った窓に近づいていった。
そっと、カーテンを閉める。
部屋の中が電球の明かりで埋め尽くされて、振り返ると、亞里亞がまどろみの中から帰ってきていた。
「ふぁ……ぅ……。亞里亞、姉やのピアノきいてると、いつも眠たくなっちゃうの……」
重たそうな目をこすり、亞里亞が控えめなあくびをした。
リラックスしてもらえるということだろう。可憐は少しだけ嬉しかった。
加えて、白雪のおやつを食べた後だったこともあるだろう。
今日のシフォンケーキは格別においしかった。みんな次々に平らげて、今日焼いた分は全部食べてしまったのだ。
可憐は、春歌ちゃんや鞠絵ちゃんに悪いなぁと思ったが、また今度13人分まとめて作ればいいから、という白雪の言葉についつい甘えてしまった。
彼女も予想以上の好評に、「次はもっとたくさん作るですの」と満面の笑みを浮かべていたのが、より印象的だ。
―――結局、誰もかれも同じなのだ。
この家に住む13人の兄妹は、みんな個性豊かでそれぞれ違う部分を持っているが、根っこの部分はみんな同じなのだ。
可憐は、こういうことを考えるとき、上手く言葉にできないが、何か郷愁にも似た寂寥感と共に、どこか安堵感を覚えるのだった。
きっと他のみんなも、こういう気持ちは感じてるだろう。当然といえば当然だ。みんな、同じ血で繋がっているのだから。
大きく蓋が揺らぐ。
絶対に、気付いてはならない何かが、大切な容器を震わせる。ぐらぐら。ぐらぐら。がたん。ごとん。
だから誤魔化すように、可憐は必要以上に明るく、笑顔で二人にこう言った。
「雛子ちゃん、亞里亞ちゃん、今日は可憐と一緒にお風呂に入りましょ」
「ふぇ……? うん、いいよ! ねっ、亞里亞ちゃん」
「くすんくすん。亞里亞、シャンプー嫌いなの。あれ、亞里亞のお目々をイタイイタイってするの……くすんくすん」
「大丈夫よ、亞里亞ちゃん。今日は秘密兵器を使うから」
泣き出す亞里亞に、可憐はどこから取り出したのか、その秘密兵器を掲げてみせた。
「お、おねえたま……それはっ!」
「そう……。そうよ、雛子ちゃん。亞里亞ちゃんはこの前まで外国に居たから、今日までなかなか使う機会がなかったけれど……この秘密兵器があれば、もう大丈夫」
「姉や。それ、なあに?」
「ふふふ……これはね………」
可憐が千影のように不適に笑う。最近みんなと暮らすようになって茶目っ気が出てきたようだ。うん、可愛さ倍増。
「ヒナ知ってるもん。それ、カッパさんのぼうしだよっ」
「ちょっと違うわよ、雛子ちゃん?」
「ありり?」
先に答えてしまった雛子に軽く突っ込み。まあ、そんなに間違ってはいないけれどね、と付け加えといてから、
「これは、シャンプーハットよ。亞里亞ちゃん」
「シャンプー……ハット?」
「うん。今日はこれを被って頭を洗いましょうね」
亞里亞はまだ首をかしげ、その秘密兵器の用途をよくわかってない様子だったが、姉の笑顔に安心したのだろう。最後には二つ返事で承諾した。
この日、秘密兵器はその能力をいかんなく発揮し、亞里亞の目をイタイイタイさせるシャンプーから彼女を守った。
ただ、その日は亞里亞ではなく雛子の泣き声が風呂場から聞こえたというのは、本人曰く、『ないしょのしみつ』だそうである。
そしてその『しみつ』には、秘密兵器が家に一個だけしかなかった事実とは、まったく全然関係ないんだそうな……。
つづく
ひと息、ひと休み
なかがきのようなものです。作者のいいたいことがつらつらと書いてあります。読む必要はありません。
初めての長編SSということで、正直あたふたしております。
一話の容量はどれくらいがいいのかな、とか、妹全員を書き切れるかな、とか。不安要素満載。
それでも頑張って、妹のかっこかわいい姿(格好良くて可愛い姿の意)を描ければ良いなぁと思っています。
目標はもちろん『書き終えること』。テーマはタイトルどおり『ダイヤモンドのやわらかさ』です。もちろん比喩。
このSSが終わる頃には、タイトルの意味がわかるように、頑張ります。というか、今でも十分わかりますか? 捻り、無さ過ぎですか?
でも、このタイトル、自分ではすごく気に入っています。好きです。こういう感じの言葉遊び。(聞いてないって)
え〜と、遅くなりましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
地の文が長くて読みづらかったことと思います。その点も踏まえて、いろいろと改善していきたいと思っています。というか、二話目はもっと短くします(汗
「読んだよ」のひと言でもいただければ幸いです。それでは次に会えることを祈って。失礼します。
以上、ちっとも一息でない、ひと息、ひと休みでした。
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