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プラスチック・ラブ ‐love note‐
〜蛍〜

前編

作 牙風=姫里さん


(お兄様、ちゃんとご飯食べてるのかしら?)
 畳のある和室で彼女はため息をついていた。
「咲耶? どうしたの?」
 同室の綾が訊いてくる。
「ううん、何でもない」
 咲耶は答えると、再び窓の淵を眺め始めた…





「うう…お兄様ぁ…私の事忘れないでね…」
「…あ〜はいはい」
 泣く彼女に本を読みながら航が返した。簡単に言えば適当に返したのだが正解である。
「真面目に話してやりなさい」
 母が本を窓の外に投げ捨てた。
「あ゛――! 参考文書なのに!」
「天誅」
「あのなぁ!」
 そんな叫び声をあげる航の手を咲耶が握る。
「…お兄様ぁ…」
「…はいはい」
「心がこもってない!」
 母の言葉も最もである。
「あのなぁ! 修学旅行で一週間いなくなるだけだろうが! しかも何回目だと思ってんだ、これ!」
 航の言葉も最もである。
 明日から咲耶の修学旅行だ。しかしその三日前辺りからこんな会話は何度も続いている。
「いいじゃない、かわいいし」
(そういう問題なんて通り越してるだろ…)
 そう言いたいがやめておく。咲耶に過敏に反応されるのがオチと言うものだ。
「んじゃま、あんたは居間にいてね」
「え〜」
 不満を漏らす母を部屋から追い出す。
「とりあえず…」
 この場を沈める為に咲耶の方を向いた。
「ちょっと離れるだけなんだから忘れるなんてあるわけないだろ?」
「だって…」
(その上目遣いはやめなさい。反則です!)
 そう言いたいのを我慢する。
「一週間離れるのなんて初めてなのよ…?」
 そういえばそうなのだ。
 小中高、旅行と名のつくものは多かったが、咲耶と航がそれほど多く離れるのは二人の人生始まって以来である。過去最高の時間は航の修学旅行の四日間だった。
「大丈夫。あっちが楽しければ一週間なんてすぐだって」
「お兄様と一緒の時以外楽しくないわっ!」
 即答される。
「…ったく、お前は」
 甘い囁きにクスリと笑う。愛しさが込み上げる。
「それに…離れてる間にお兄様にアタックして来る子がいるかもしれないし」
「大丈夫だって。オレ、モテないし…」
 その詰めの甘い言葉は咲耶を爆発させる。
「甘いっ! 甘いわっ、お兄様!」
「な、何がですか?」
 その勢いに押されて敬語になった。
(ていうか、沈んでたんじゃ…?)
 相変わらずの豹変ぶりに航は苦笑しながら咲耶の叫びを聞く事にした。
「雑誌になるほどの美形!」
「このぐらいの奴はいっぱいいるよ」
 指折りに数え始めた彼女を宥めるようにそっと応えた。
「一流大学には入れるほど頭脳明晰!」
「だからみんな同じ大学でしょうが」
 航は動じない。
「面倒見いいし…」
「…」
(そりゃ、この環境にいればね)
 わざとここだけ言わなかった。
「美声だし…」
「いや、それはどう…かな…?」
 この辺りはかなり微妙である。とってつけた感が否めない。
「それにナイスな身体!」
「エッチくさい事と言うな!」
 当然ながらこんな反応など完全無視である。
「こんな全てが揃った男なんて何処探したっていないわよ! ちょっとは自覚してよねっ!!」
「…は、はぁ…」
 鬼気迫る表情に少しばかり押される。
「それにっ!」
「まだあるのか…?」
 完全に呆れ顔で航が応えた。しかし「それに」に続く事柄を咲耶は語らなかった。
「…とりあえず忘れる事も他の女の子に誘惑される、なんて事もないから安心して行って来いって」
「…本当?」
 ちらりとこちらを覗く。
「本当です」
 こういう時、一瞬でも目をそらせば咲耶の勝ちは決定である。航はそれを重々承知していた。
(ま、いい加減、付き合い長いしね)
 と言いつつも、学習能力の低い彼である。
「それじゃ、キスして」
「は?」
 航がフリーズしかかる。
「証拠見せて☆」
 咲耶が唇を差し出した。
「…ヤダ」
「…どうして?」
 意外な反応に咲耶が途惑った。
 目の前の航はほとんどムーンウォークに近い行動でドアへと近付いてゆく。
「お兄様…?」
 彼は怪訝な表情をしながら、唇に人差し指を置く。
「?」
 咲耶は無言のジェスチャーに従った。何故そうしなければならないのか、さっぱり分からなかったが。
 航は咲耶の視界の中で扉へ近付くと、一気に扉を引いた。
「こうだから」
 ガチャリと音がした途端に、二つの物体が視界に舞い込んだ。一人はドアに体重をかけていたらしく、ドアが開いた拍子に部屋に倒れこむ。
「お母様!? お父様!?」
(何故一つ増えてる…?)
 先ほど追い出された母ならば分かるが、父はいつ来たのだろうか。
「何してるんだ?」
 表情は怪訝なままで、口調は丁寧だった。
「ラ、ラブシーン見学…かな? は、ははは…」
「け、研究中!」
 二人とも無理やりな理由をつけるが、かなり苦しい。
(お兄様ももう気にしなきゃいいのに…)
 咲耶としては珍しく、冷静に判断しているようだ。
(見せつけちゃえばいいのに…)
 …前言撤回。やはりいつもの咲耶と全く変わりがない。
「へ〜♪」
「…」
「…」
「…」
 沈黙の中で約二名が脂汗をかいていた。





「…一週間立入り禁止」
 航が呟いたこの言葉に叫び声が木霊する。
「え゛―――っ!」
 二人は完璧にユニゾンを組んでいた。
「問答無用」
 あくまで冷徹に航が応えた。
 それに対しての異論も彼ら独自のご勝手気ままさが溢れていた。
「オレたちの楽しみを奪うのか!」
「そんなもの強奪するに決まってる」
「それじゃ、咲耶がいない間に航で遊べないじゃない!」
「そんな事せんでいい!」
 今更ながら間髪入れずの反応は見事である。
「お兄様、お皿用意して」
 フォローのように台所から咲耶の声がした。
「…そして何であんたら二人はここで食べていくんだ?」
 言われた通りに皿を机に並べながら航が素朴な質問をした。
 一応、一人暮らし…もとい二人暮しのはずであるのに、何故一週間に二度も三度もこの四人のメンバーで食事をしているのだろうか。それが不思議でならない。
「だって、家事やるのめんどくさいんだもの」
「一応八ヶ月だしなぁ…何かあったら困るだろ」
 さも当然のように二人は言い切る。
「…」
(じゃあ、家から出歩くなよ…)
 もうそれは言葉にすらならなかった。
「いいじゃない、楽しいし」
 食事を運びながら、咲耶が笑みで言う。
「オレは苦痛だ!」
 即答しておく。
「航は咲耶と二人っきりの方がいいんだよな」
「な!?」
「『お兄様、あ〜ん』とかしたいわけね…」
「な!?」
 もはや航の声は言葉ではない。
「なんだ、お兄様、そうならそうと言ってくれればいいのに…」
「はいはい! いただきます!」
 航はここが危険だと判断すると、早く食べ始めようとするが、一足遅い。
「あれ、箸、箸!?」
 さっきはあったのに、一瞬前の記憶を頼りに口走る。
「あ、お兄様の好物から食べさせてあげるわね」
 いつのまにか航の手前にあった箸が咲耶の手にあった。
「はい、あ〜ん」
「せんでいい!」
 横で奴らの目がきらりと光ったのは、間違いなく事実だった。





「咲耶、元気にしてるかな…」
 何となくそんな言葉を呟いてしまう。
 電話で声を聞いていても、心配しないわけはない。
 一時間ぐらいの長電話をしたところで、いつもの十分の一にも満たないのだから。
「一週間かぁ…」
 航が呆然と七月の空を眺めていた。日は高く昇り、当然航の手の届かない場所からいやと言うほど彼を照らしていた。
「長いな…」
 咲耶の前では絶対に口走らなかった声を出してみた。
「されど一日」
 そう言われた事がある。
 確かにそうだと思う。
 あの時もそうだった。
 たった一日、しかも時間にしたら一泊なだけで二十四時間も経っていない短い時間…
 それだけしか離れていないのに感じる喪失感のような不思議な寂しさに似た感覚…
 そんな感覚が心に響く、痛ませる…
 もしかしたら幻肢痛ってやつはこんな感じなのかもしれない。
 心の半分が無くなったような、そして無くしたそれが痛むようなハラハラした気持ち…
 片時とも安心できない不安感…
 たぶん心が失った半分を探して彷徨ってるんだろう。
 近くにいたから安心できたのだと、こういう時…切に思い知らされる。
「別にあいつがいなくたって生きていける。平気に決まってるだろ?」
 心にもない事を言ってみる。
 そんな言葉に意味はない。
「…今日も震えるかな…」
 幼児体験がそうさせた。
 消えてしまった父への思いがオレの心に残っていた。
 大切な者が消える時、いない時、オレの身体は震えてくれる。
 嫌だといってくれる。
 言葉に出せない声を促してくれる。
 これはたぶん『父親』の声。
 オレはいまだ失った『父親』に守られている。
 あの、蛍のように消えてしまった『父親』に…





「咲耶、大丈夫? 体調悪そうよ?」
 綾が訊く。姿は体操服にジャージと言う姿だ。別にこれはコスプレしているわけではなく、しおりに書いてあった山に登る時のスタイルだ。
「…うん…大丈夫」
 そう答えた咲耶の瞳に力はない。
 旅行も今日で六日目、明日には帰る準備があるだけである。
 しかし咲耶の体力はそれまで持ちそうになかった。それもそのはず、昨日の夜、ほとんど眠れていないのだ。
「早く寝なさいといったでしょう?」
 教師の声が聞こえてきそうだが、これは修学旅行特有の学生のお遊びタイムのせいではない。
 一日目はある程度心配していただけだった。移動の疲れがあったためかもしれないが、敷かれたふとんに入った途端、ぐっすりと眠れたのだ。
 ただ、二日目、三日目…続いてゆく度に咲耶の不眠は進んでいった。
 同室の綾にもそれはどうする事もできず、ふとんに入る事だけを勧めた。
「大丈夫? ムリそうだったら、先生に言って休ませてもらいなさい」
 気を使ってくれる綾の声も遠くに聞こえる。
「…うん…大丈夫…」
 本当にどうしちゃったんだろう…
 心の声が響く。
 何で眠れないんだろう…
 お兄様と離れたから…?
 そうなのかな…
 一週間も離れたの、初めてだから…?
 こんな気持ちになるのはやっぱりそうなのかな…
 昨日、あんなに電話したのに…
 何でこんなに落ち着かないんだろう…
 怖い…? 切ない…?
 どう言っていいか、わからない…
 ただ…寂しい…
 身体のどこかを切り取られたような、不思議な感覚。
 心って動くんだなぁ…
 いつもお兄様と一緒にいる時、相手が恋しい時、いつも思い知らされる。
 ずっと心のアンテナがお兄様に向かって伸びている感じ…
 似ている後ろ姿、似ている服、似ている笑い方…そんな人がいると振り返ってしまう。
 それも…たぶんそのせいだと思う。
 嫌じゃない。
 むしろ嬉しい…
 そんな時、些細なその時にお兄様に支配されてる感覚にしてくれるから。
「…ふあぁぁ…」
 行儀悪く欠伸をした。
 ああ、眠いわ…
 こんな時、お兄様のベッドで寝ればぐっすり眠れるのに…
 お兄様の匂いのするベッドに横たわっただけで、こんな気持ち全部消えちゃうのに…
 お兄様の腕の中ならもっと…
 きっと、夢も見ずに寝られるわ。
 見たとしてもお兄様の夢…
 キスしたり、笑い合ったり、エッチしたり…
 楽しい夢が見られるわ…
 眠い目をこすりながら、咲耶は山道を踏みしめた。
「何かくらくらする…」
「ちょっ、咲耶!?」
 ふらついた咲耶に綾は青い顔をした。それもそのはず、咲耶のいるその場所は崖のすぐ側だ。崖の下を覗くと、足が震えるどころか身体さえ高いところだと分からないほどの高さが迎えてくれる。
「え…?」
「咲耶!」

―――ガララ…

 崖から何かが崩れる音が、その情景に木霊した。







 
 一瞬、煌き…そして雪のように消えてしまう儚い蛍…
 それがオレの『父親』のイメージだった。
 物心付いた頃から経った二年位しか彼はオレの目の前にいなかったから。
 母さんと出会ってからだって五年しか時間を与えてくれなかったから。
 彼はいつもオレに新しいものを見せてくれた。
 その頃のオレには』父さん』が太陽みたいに光り輝いてた。
 何でも知ってる、何でもできる…
 そして何より、お日様の光みたいに温かかった。
 ずっと光の塊みたいなもんだった。
 そして…消えた。
 だからオレの中では彼は蛍、ずっと儚い光りを映し出す蛍…
 
 …だから蛍は嫌いだ。





―――ピピピ…

 電話が鳴った。
「…はいはい」
 脱ぎ捨てられた上着を踏みつけながら航は電話を取った。
「もしもし?」
『はじめまして、咲耶さんのお兄さんですか? それともお父さんかしら…?』
 若い女性の声に少し不思議な気分にとらわれる。とりあえず口調からして押し売りの類ではなさそうだ。
「兄ですが…何か?」
『私、咲耶さんの担任の田村です』
「ああ、こちらこそ初めまして。咲耶がいつもお世話に…」
 何となく流れ的にそういう言葉遣いになった。何故、航がこんな事を言うかは謎である。
「でも…何で電話を? 咲耶に何か?」
 一瞬、心に兆した光が再び蛍の事を思い出させる。
『咲耶さん、寝不足で山に登ってる途中でケガをされたんです。崖から落ち―――』
「!?」
 航は受話器を手放した。受話器が特定の位置に戻らず、ぶら下がったまま垂れ下がり、バネ状のツルのせいで何度も跳ね回る。
「咲耶…」
 心臓辺りに触れた。ドクンドクンと鼓動が高鳴っていくのが分かる。
 もしまたあの時みたいに会えなくなったら…―――
「…ッ!」
 突然、踏んづけていた上着を蹴り上げ、手に取った。
(咲耶…!)
 声と共に鍵を手に取り、部屋を飛び出した。風のように、一瞬でその場から消えうせた…


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