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プラスチック・ラブ
世界で一番やさしいキスを… 
-Plastic Love<後編>-

作 牙風=姫里さん







                  *

咲耶は気付いていない。
航の中に『お兄様』と『航』がいる事を。
兄としての航、男としての航……
彼女はどちらを選ぶのだろう。
今までどちらの航が彼女の瞳に映っていたのか。
彼女にとって航がどういう存在だったのか。
それは彼女以外に決める事はできない……
しかしそれはわかる事、彼女が気付く事。
彼女の道を照らす彼は『お兄様』なのか、『航』なのか…
手を引いてくれるのはどちらなのか…
彼女がそれに気付いた時、二人は―――……

                  *

≪…で、何があったの?≫
 電話の奥で母が訊く。
「いや…別に」
≪そんなわけないでしょう? 咲耶が帰って来るんだから≫
「…」
 母の声は鋭く航の心をえぐる。
≪ケンカ? また咲耶がやらかしたの?≫
「いや、今回も…オレのミス」
 航は呟く。その声に生気が見られない事を、母は見抜いていた。
≪…今回は私のポカかもしれないわ。あなただけのせいじゃないわよ≫
「…そうかも…しれないな」
 それだけ呟くと、プツリと電話を切った。
 静寂が流れる。いつもならば彼女の笑い声が聞こえるはずなのに…
(別に最初の頃に戻っただけじゃないか…)
 ソファーにも寝転がる。沈黙の香りが彼を揺らす。
(それだけじゃないか…)
 航はそう淋しがる心に呟いて目を閉じた。




 背広姿の男が階段を昇る。アパートの二階にある航の家まではもうすぐだ。少し長い階段に息が切れる。
(オレも歳かねぇ…)
 それはあまり考えたくない言葉だった。
 その代わりに彼は先ほどの会話を回想していた。

「…で、咲耶はどうしてるんだ?」
 帰ってきた父が訊く。上着を母に手渡し、ネクタイを緩めた。
「上の客間に閉じこもってます…」
「そうか…」
 父は天井を軽く見ると椅子に腰掛けた。上着をかけ終わった母もそれに続く。
「今回は私もいけませんね。あの子を混乱させてしまったんだわ…」
 母は申し訳なさげに呟く。航をからかっている時の表情はどこにもない。
「違うさ。いつかはやらなければならない事だ。もう…その時期だった。君は間違った事はしてない」
「でも…」
 父は陰りを見せる表情を見て続けて言葉を放つ。
「本当はオレが言うべき言葉だったんだ。仕事にかまけてしまったオレにも責任はあるさ」
「…はい…」
「というよりも、これはオレの…『オレたち』のせいだ。君は気に病む必要はないんだよ」
 父は軽く机を叩く。
「よし、君は咲耶の事を頼む。オレの言葉よりも同性から言われた言葉の方が厚みがあるだろうしな。こっちは…」
 父は右隣の椅子に目をやった。
「息子を何とかしよう」
「…ちゃんと息子と思ってくれてるんですね」
 彼女の言葉にクスリと笑う。
「何を今更。もう十四、五年ずっと父親はオレがやってきたんだぞ? 確かに実の父親じゃないが、教えてきた事はオレの方が絶対に多いはずだ」
 自信あり気に父は言葉を続ける。
「それに君だって咲耶を娘って思ってくれているからそんなに気に病んでくれているんだろ?」
「…はい、そうですね。もう…あの日から十年以上経ったんですね」
 あの日…それは彼ら四人が家族と呼ばれるようになった日だ。そして咲耶が母親を、航が父親を持った日でもある。そして……
「それでも咲耶は変わらなかったな…」
 父は背もたれに見を任せて、天井を見た。
「変わりましたよ」
「確かに、背格好とか言葉遣いはな」
 父親が呟く。それは誰よりも多く咲耶を見てきたものの言葉だった。母もその声に賛同しているようだった。
「…航も苦労しますね」
「…だな」
 二人の声は二人だけに届いた…

(ほら、見えてきた……って…あれは…)
 向かう道の先で見慣れた人影を見つける。
「何してるんだ?」
 座り込んでいる人影に尋ねてみた。影はゆっくりと動いてこちらを向く。
「…父さん…」
 その声は父が訊いてきた彼の声の中で一番虚ろだった。
「何してるんだ? 風邪ひいても知らないぞ」
「…反省中」
 航はそれだけ呟くと、彼の方を向くのをやめ、再びドアを見つめた。その姿は咲耶と一緒にいる時の一欠けらさえ正の感情が感じられない。
「反省するような事を…したのか?」
 父が訊いてみた。
「……分かってるくせに…言うなよ」
 航が呟く。ゆっくりと下を向いて、膝を抱く。まるで鍵を無くしてしまった子供のように。
「…もっと大人になりたいよ、オレ」
 その声は切に願っていた事だった。何度も叶えて欲しかった。
「お前は大人だよ、十分な。咲耶が子供なだけだ」
「オレだって…」
 呟きかけて止める。それはあまり認めたくない言葉だった。
「ん?」
「オレだって子供だよ。父さんと母さんに作ってもらった箱の中で安穏としてたただのガキだ…」
「!」
 父はその言葉に戸惑う。
「咲耶の心を傷つけないように見張っててくれたんだろ? 二人とも…さ」
「…ああ」
 そう呟いて膝を抱いて俯く航の肩を軽く叩いた。
「それがわかってれば…お前は十分大人だよ」
(…いつの間にこんなに成長したんだかなぁ…)
 彼は本物の父親よりも長く『父親』として航を見てきた。確かに幼児の頃は見ていないが、少年、青年に成長する過程を一番近くで見てきた男だ。ある意味咲耶よりも彼の行動をよく理解している人物とも呼べた。
 しかしその彼さえも見逃していた。誰よりも早く、彼の心が成長していた事を。彼の心が大人の男になっている事を。
 場所は部屋の中へと移った。航は相変わらずぼうっと部屋のどこかを眺めている。
「本当はそれってオレがやるべき事…だよな」
「あん?」
 缶ビールを差し出しながら父が訊き返した。
「なんで未成年の息子に父親が酒を差し出すかな…」
「いらんの?」
 その言葉にチラッと台所の文字を見る。そこには『咲耶酒厳禁』の文字があった。あの文字を書いて以来、航は咲耶の前で酒を飲んだ事はない。もちろん飲み会などでは飲みはするが、この家で酒の栓を開ける事は絶対になかった。
「…もらう」
 航は受け取った。何となくそういう気分だった。
「んで、何よ」
「あん?」
 航がカチリと栓を開けながら聞き返した。
「やるべき事ってやつ」
「咲耶を守る役目…だよ」
「…違う違う。これはオレのやる役目…いや、責任かな…?」
「?」
 申しわけなさそうに笑う父に航が疑問の視線を送る。
「咲耶さ…恋の愛情と家族の愛情の違いってモノが良く分かってないんだわ。原因はオレの…『あいつ』のせいなんだがよ」
 父がぐいっとビールを飲んだ。
「『あいつ』って…咲耶の…?」
「そう、本当の母親だ」
 航の予想は当たっていた。いや、ほぼ確信だった。なぜなら彼の両親が元の相手の話をする時の顔はひどく情けない顔をするからだ。
「三歳の頃まで母親の愛情貰ってないからな」
「…」
「『やっぱり』って顔してるな。気付いてたのか…?」
 父が真剣な顔をしている航に訊いてみた。
「いや、そういう完全な根拠とかまではわかんなかったけど…咲耶の寂しがりとか、子供でいたがってる所とかは何となく…」
 航は応える。それが彼が『本当』を隠していた理由…大人に認めて欲しがっている咲耶の心の中に子供でいたいと願っている咲耶がいる事に気付いていたから…
「だからとことん『お兄様』でいてやろうと思ったんだけど…」
 持っている缶がべこりとへこんだ。自分のうかつさ加減に腹が立った。
「ミスった…」
 航はそう呟いて、ビールを飲み干した。
「いつかは来る、こんな時はな。お前は十分良くやったよ」
「…でも、それって建前でさ…」
 航は缶を置くと困った笑みを見せた。
「どんどん愛情が尖っててさ…どんどん自分が黒く染まってく感じで何となく見せられなかっただけかもしんない」
「………フフッ…」
 父の口元から笑みが漏れた。
「…やっぱりバカだと思う?」
「いや、悪い。若いなぁと思ってよ」
 航はその言葉に反抗があった。
「人の事言えないだろ? まだ三十六なんだから」
「お前よりはじじいだ。だからこうして酒の良さが分かる」
 ぐいっとビールを飲み干す。
「くぅっ、うまい!」
「おい、飲みすぎんなよ…って、おい! ここに並んでた缶ビールいつの間に全部飲んだ!?」
 航はソファーにおいてあった缶ビールの数本がなくなっている事に気がつく。
(おいおい、十本はあったぞ?)
 呆れ顔で父親の顔を覗いてみる。
「…何かオレの顔についてるかぁ〜」
(酔ってるね…全開で)
 どんなに酒に強くても八本も飲めば酔ってしまうのは当然と言うものだ。
「おら、航! 聞いてるかぁ?」
 その数十分後には完全に居酒屋でべろべろに酔ったただのオヤジになってしまっていた。いわゆるたちの悪い『からみ酒』というやつである。
「はいはい、聞いてますよ」
(そんな大声だといやでも聞こえるわい)
 航はそう嫌味を言いたいのを押さえる。「近所迷惑だ」と言いたいのも勘弁してやる事にした。
「うじうじ悩んでるんじゃないって事だ。分かるかぁ?」
「…分かってるよ」
 酔っていても的確な言葉を吐くのだから、航としてはやってられない。そして再び的確な指摘が航を襲う。
「咲耶を支えてやれるのはお前だけなんだからなあ」
「…うん」
 自惚れとも取れるかもしれない。しかし、その自惚れをさせたのは彼を魅了し、手放さない当の咲耶自身だ。
「オレや母さんがしてやれる事なんてたかがしれてるんだぞ、分かってるのかぁ」
 父はそう言って航にヘッドロックをかける。その拍子に航の持っていたビールの缶がするりと落ちた。
「あ! 落ちっ、いてっ、いてててっ!」
 航はもがき苦しむが全く外れる気配はない。むしろ食い込んでくる勢いだ。
「分かってるのか!?」
「分かってっ、分かってるよ! だから放…せっ!」
 無理やり父の腕を引っぺがす。
「ったく! ああ、え〜と雑巾は…」
 立ち上がり、洗濯機近くを探ってみる。後ろで「逃げるかぁ」と聞こえたが、これは強制的に無視しておく事にした。
「ない…」
(咲耶…いつもどこに置いてた…?)
 記憶を辿る。
「あ…」
 そしてそこで気付いた。
(何にもわかんなくなってるな…咲耶なしじゃ…)
 自分を嘲笑する。彼女が消えて自分がどれだけ依存して生きているか思い知らされる。
(あの時もそうだったな…)
 あの時、それはあの初詣に行った次の日の事。朝御飯を作ろうとしたはいいが、器具がどこにおいてあるかを把握するまでかなりの時間を食ってしまった。そう、もうこの家では咲耶なしでは料理を作る事さえままならないのだ。たとえ咲耶が消えたこの状況でもこの家の中には彼女の影があちらこちらに住んでいる。
 初め、一人暮らしを始めた頃にはなかった事だった。自分で自分の事だけをすればよかった頃はもう無い。もう、訪れない。
 急に身体が震えた。
「ったく…」
 航はそれを困った顔で押さえる。
「あ、そういえば台所のごみ箱に雑巾が乗ってたな」
 行ってみると確かにごみ箱の上に雑巾が乗せてあった。それを拝借し、ソファーのあるリビングに戻ると、荒れ武者こと父はソファーの上で横になっていた。
「あらら…寝てるよ」
(まあ、この家に余分なふとんはないんだけどよ)
 とりあえず、ビールの後始末を済ませると自分の部屋から毛布を引っ張ってきた。
「んっしょ、っと」
 それを眠っている父に掛ける。父は軽いいびきを掻きながら、仰向けに眠っていた。
「…ありがとう、父さん」
 そう呟く。
「…でもさ…幼児体験が今に影響を与えてんのって咲耶だけじゃないんだ」
 眠っている父に話し掛ける。起きている時には口に出来なかった言葉を口にする。
 「反省中」とかくだらないウソをついた。
 だって、自分でも気がつかなかった。
 大切な人のいなくなった部屋が…怖い…
 あの時を思い出すから…
 『父さん』が死んだあの時、大切なものが消えた日の事を。
「人の事…心配してる場合じゃないな…」
 それだけ呟くと、航はその場を離れ、咲耶の部屋へ向かった。
 中に入り、咲耶のベッドに横になる。それは自分の毛布を父に渡してしまったからだけではない。
「オヤスミ…咲耶」
 まるで咲耶がこの家に住む前の頃のように、自分の部屋から持ってきた写真にそう呟くと目を閉じた。彼女の姿ある、その家の中で…




 実家の客間に閉じこもったままの咲耶はベッドの上で膝を抱いていた。
「…」
(他の女と抱き合ったりして…今回はぜっったいに許してあげないんだからっ!)
 その言葉が心を飛び回る。それと同じ様に飛び回る言葉がもう一つ…
(いつも子ども扱いするんだから…!)
 怒り心頭の間は、これ以外の言葉は『聞く耳持たず』だ。
 脳裏には抱き合った航の姿と、自分の声を聞いた後の航の顔が交互に映る。それもいつも通りだ。
 そして…問い掛ける声がある。これだけがいつもと違うところかもしれない。

それでいいの…?

 しかしその声は彼女の耳には届かない。
 急にドアが叩かれた。
「咲耶、入るわよ」
 母だった。返答も聞かずにドアを開ける。
「いつまでそんな事やってるつもりなの?」
「…」
 咲耶はプイッとあちらを向いてしまった。
「航に愛想つかされても知らないわよ」
 電気のついていない闇のある部屋にそう言ってやった。
「…お兄様が悪いんだもん…」
 咲耶の口から声が漏れた。
「他の女の人…抱き締めたりして…」
「そんなもの、事故に決まってるでしょう」
 きっぱりと言い放つ。
「どうせ転びそうなところを抱きとめたとかそんなところでしょ」
 これは彼女のカンだったが、あまりにも的確すぎていた。
 しかし、それは咲耶も感じていた事だった。航同様、咲耶にも彼が自分を愛していると言う自惚れがある。彼女の場合それが日々揺らいでいるだけだ。
「そんな事も予想できないの?」
 母の言葉は冷たい。
「それは航に対する侮辱も同然よ。航の事信じてないのね」
 冷徹な言葉が咲耶を襲う。
「…子ども扱いするんだもん」
「されるような事しかしてないからでしょう?」
 間髪入れずに返答が返って来た。その声に咲耶が反発する。
「してるわよ!」
 しかしそれにも母は眉を少し上げただけだった。
「どこが?」
「どこがって…」
 いつもの調子とは違う母を前にして少し戸惑う。
「花嫁修業してるから?」
「…」
 応えられない。
「もう一度言いましょうか? 『いつまでお兄様なの?』」
「っ…」
 母の声に咲耶は言葉が詰まる。
「それはあなたの中で『兄として航を好き』って事を言ってるようなものよ」
「っ、違うわ!」
「自分では気がついてないだけでしょう?」
 咲耶の必死の叫びも簡単にいなされてしまう。容赦なく言葉はひしゃげられる。
「どうせ今日は眠れないでしょう? あなたの性格じゃ」
 お見通しとばかりに母は言葉を続けた。
「考えてみなさい。『兄として好き』なのか、それとも『航として好き」なのか…」
「そっ、そんなの…!」
 反抗の言葉を叫ぼうとする。
「決まってるなんて言わせないわよ? 今のあなたに」
 しかし、鋭い眼光に咲耶は言葉を口に出来なくなってしまった。
「それじゃ」
 母は冷たく言い放つと戸惑う咲耶を尻目にドアを閉めた。
「…」
 薄暗い部屋に再び静寂が戻る。時計の音と咲耶の呼吸の音だけがその中で響いていた。
「…お兄様が…? 航が…?」
 意味がわからない。それは母の言うように咲耶が何も分かっていない事の証拠なのだろうか。
(一緒じゃないの…?)
 彼女は思う。しかしそれが間違っている事に、まだ気付いてはいなかった…


「あれはまだ気付いてないわね…」
 母が呟く。
 『お兄様』と『航』との違い…それは家族としてか、男としてかと言う事。
 咲耶はそれに気がついていない。兄への愛情と恋人への愛情が混同している事に。そしてそれこそが成長しなければいけない咲耶の心をとどめている原因なのだという事を。
「『あれ』は一応そういう事に敏感だから」
『あれ』とはもちろん航の事だ。やはり母には航の事などお見通しらしかった。
(だから『お兄様』でいてやる事にしてやったんでしょうけど…それじゃダメなのよ…)
 母はその場にいない航にそう説く。
(それじゃ何も変わらない…咲耶をいつまでも箱入り娘気取らせているわけにもいかないでしょう?)
 航にとって母の望む願いを叶える事は無理もいいところだった。彼女を極度に傷つける可能性がある事を、航ができるはずもない。
 両親二人はそれを知っていた。だから教えなければならない。親として、言葉を教える時のように。
「…それにしても」
 母が困ったようにくすっと笑った。
「うちには困った子が多いわね…まったく」
 それだけ呟くと部屋の電気を消した。




「んじゃ、オレは行くぞ」
 今現在A.M.七時、いわゆる出勤時間である。
「…大丈夫か? 二日酔いだろ?」
「…何とかなるだろ」
 気分の悪そうな父がそう応える。
「無理すんなって。歳なんだから」
「そんな事はないっ!」
 父はやはりその一線は認めたくないようである。酔っている時はそうでもないらしいが。
「分かった分かった。はよ行け。遅刻するぞ」
「…おまえ、今日は講義無いのか?」
 ギロリと視線を向けるが軽くいなされる。
「さすがは先生、手厳しい御指摘」
 クスリと笑って再び彼を見た。
「今日はありません、ご安心下さい」
「そうか」
 父はネクタイをきちっと上げる。
「んじゃ、会いに行けよ」
「…」
 航は不意に顔を背けた。
「会いたいだろ?」
 不敵な笑みを浮かべているのが、見なくても分かる。
「…アホくさ。まだたった一日だぞ? しかも別れてから二十四時間経ってないし…」
 強がってみる。
「『されど一日』、って顔してるぞ」
 何もかもお見通しな父には全くの意味もなかった。
「…遅刻するぞ。もう七分だ」
「あっ! んじゃな〜!」
 父は階段の方へ駆けて行った。彼がこの後、あのしわくちゃのズボンでどうなったかは不明である。
「…ったく。いつまでも落ち着かないオヤジだ」
 ドアを閉めた航がそう呟く。その顔には笑みがあった。
「さて……」
 ソファーに座って部屋を見渡す。すると少し身震いが来た。トラウマが甦ってきたらしい。
「…」
(何だよ…)
 その身体の、心の震えは彼女を早く迎えに行けと言わんばかりに言葉を奏でる。
(たった一日だぞ? 修学旅行に行った時とかもそれぐらい離れてたじゃんか…)
 言葉を放つ。まるで自分に言い訳をするかのように。

『されど一日』

 先ほどの声が航の心に突き刺さる。その言葉は図星だった。だからごまかす事しかできなかった。たぶん父にそれはばれているだろう。
「…負けましたよ、迎えに行きますよ」
(なんかオレって父さんたちに急かされてばっかりだなぁ…)
 本当は分かっていた。この震えは『父親』からのメッセージ、「早く大切な者へ会いに行け」と呟いてくれている。
 二人の父親は毎回彼を見守り、そしていつも大切な事を教えてくれる。
「うん…あの子が……大切なんだ…」
 彼はその弱々しい言葉でない声に呟く。
 ふいにいつも彼女がいる台所に目をやった。台所は静まりかえり、言葉を放ったり、笑い返してくれる事は無い。

彼女に出会えた事がオレの誇り…
大切だと思える事が嬉しい。
愛せる事が誇らしい。
あんなに一途にオレの事を、オレの事だけを考えてくれる…

「そんな咲耶が…誰よりも大切なんだ…」
 誰もいない部屋に呟く。いつのまにか震えは止まっていた。






「…」
 考えても考えても答えは出ない。
(お兄様……航…?)
 もはや呟きにすらならない。何度も呟いたが、その度にどんどんかすれていってしまった。
 と、不意に朝日が彼女の視界に舞い込んだ。見ればカーテンの隙間から日が差し込んでいる。
「朝…」
 カーテンを引いてみる。気がつけば朝日の時間が始まっていた。母の言う通り、眠れないまま夜が終わっていたらしい。
 手を離そうとした咲耶の目に朝日の強い照り返しが入る。
「……あ……」
 それは彼女の指にはめられた指輪、航が咲耶に渡した愛情の証。
「これを貰った時…」
 思い出す。その時の記憶、言葉、彼の表情の全てを。
「初めてエッチして、私が寝てる間にはめておいてくれたのよね」
 少し顔を赤らめた。しかしそれは朝日に溶けてしまっていて、外から見ても気がつけないだろう。
「お兄様…ちょっと照れくさそうにしてた…」
 言葉を放つたびに朗らかな顔をする。これが無意識である事は言うまでもない。航の優しい言葉を思い出すたびに嬉しい顔になるのを彼女はまだ気付いていない。
「あ…」
 彼女は不意に気がつく。

 その時の私の気持ちは…――――…

 不意に涙が出た。これは朝日が眩しかったわけではない。
(そうか…)
 あの時の気持ちが彼女の心に照り返る。優しい航の心臓の音と息づかいに身を任せた時に感じた心地よさが、彼女の中で笑っていた。

咲耶…好きだよ…

 記憶の中にある航がそう呟きながら微笑む。
(男の人だったんだ…)
 その時はその気持ちが何だか分からなかった。初めて身体を合わせた事実に目が行って、感じた気持ちに蓋をしてしまっていた。だからあの雑誌を見てもあの違和感だけが心に残っていた。見ない事にした部分が写真には鮮明に写っていたから。
 航が『お兄様』ではなく、『航』であるという事実はとっくに気がついていた事のはずだったのに…
「咲耶!」
 ばたんとドアが開く。すると彼が息を切らせていた。彼の瞳は一心不乱に自分に繋がっている。
「…お兄様…」
 呟きながら、彼に飛びついた。ドアの閉まる音と共に、航が壁に激突する。ガタンと強い音がした。
「…っ…!」
 その衝撃に耐えながらも、咲耶は手放さなかった。
「咲耶…ごめん…」
 航は呟く。胸の中にいる大切な女の子へ…
「いいの…もう…気付いたから」
 そう言って航の唇に口づける。その口づけは今までよりも確実に甘かった。
「…? 咲耶…?」
 口づけの余韻の中で航が訊く。咲耶は優しい笑みを浮かべて、航から離れた。
「お兄さ…」
 呟きかけた言葉を首を振って飲み込む。そして、大きく深呼吸した。
「…ふう…」

大丈夫。
この人を好きになれたのが私の誇り。
だから怖くない。
もうこの人の中に全てとけてしまっても…

 落ち着ける心にそう呟く。
「?」
 航はその次に放たれる言葉を予想もしなかった。
「好きよ…航」
「!」
 驚いた表情で航が固まる。しかし、それが紐解かれる時、航は確かに笑みだった。幸せそうな笑み、それが一番言葉としては正解かもしれない。
「…うん。オレも……オレも…大好きだよ」
 呟いて口づけた、今できる精一杯のやさしさを込めて。世界で一番やさしいキスを…





「大体、お兄様がいけないんだからね! 誤解するような事するから…!」
 数日後、元通りになった部屋のリビングで咲耶が叫ぶ。
「はいはい、わかってます。以後気をつけます」
 航は膝に乗っている咲耶を抱き締めて呟く。あの日から数日が経つが、航は咲耶と家にいる時、ほぼベッタリ咲耶の傍にいる。咲耶のラブラブ病が乗り移ったらしい。言うなれば、いつもよりも愛情がほとばしってる感じである。
「でも…いつになったら素面で『航』って呼んでくれるのかな…?」
「え……」
 咲耶は頬を赤らめる。今の咲耶にとっては抱き締められるよりも、その言葉を放つ方が恥ずかしいらしい。
「こ、今度ねっ!」
 照れながらその言葉を放つ。
 すると、ドアホンが鳴った。
「…誰?」
 咲耶が立ち上がろうとするのを引き止める。
「?」
「その赤い顔で外に出る気か? オレが出るよ」
「あ…」
 航がにこりと笑って彼女の頬に口づける。
「お、お兄様…」
 ますます赤くなった咲耶を置いて、航が玄関に消えていった。
(そ、そんな事したらまた赤くなっちゃうじゃない!)
 とは叫べず、とりあえず落ち着く為にソファーに座る。すると、間もなくして航の声が聞こえてきた。その声はかなり嫌そうである。
「あんたは、ちゃんと研究しろってよ。母さんも家事でもやれ」
「恋愛の研究はお前らでやりますので」
「家事の中に子供を育てるのは入っていないのかしら?」
 色々と言いたい事はあるようだが、それが捻じ曲がってる事に自分たちは気がついていないようだ。いや、気がついていてそういう言葉を吐いているのだろう。航にとってはいい迷惑である。
「あ、お母様、お父様…」
 リビングに現れた二人を見て、咲耶は立ち上がった。
「ハロー、お元気?」
 母が代表して挨拶をしておく。
「航と仲良くやってる?」
「…うん!」
 少し照れくさそうに呟く。
「あれだけ面倒かけたんだから仲悪かったら困るな」
 横から父が声を上げる。
「泣いて現れた時はどうしようかと思ったわ」
「お、お母様ぁ〜」
 咲耶は再び顔を赤らめる。
「…で、あんたらは何しに来たんだ?」
 助け舟のように怪訝な顔をして航が訊く。
「あら、過去の失敗を持ち上げられたからって怒らないでよ」
「用件はな・ん・だ!」
 母の言葉を流して、無理やり話を押し通す。
「あ、えっとね…」
「あ〜うん…ハハハ…」
 二人は目を合わせて困ったように笑った。
「?」
「何?」
 航と咲耶は訳も分からず、ぱちくりと疑問の眼差しを交し合う。
「えっと…」
 口火を切ったのは父だった。
「…家族が…増えます」
「は?」
 素っ頓狂な二人の声が重なる。
「四ヶ月だって」
「…」
「…」
 わけの分からない表情の航と咲耶が再び視線を合わせた。
 そして意味がわかったらしい。
「何ですと!?」
 航の声が部屋に響き渡った。
「えーいいなぁー」
「そういう問題か!?」
 そう言った航の瞳に咲耶の瞳が映る。
(もしかして…)
 そして嫌な予感は当たるものだ。
「お兄様、私も子供欲しい」
 その後で咲耶がそう言ったのは言うまでもない。
「やだね!」
「え〜どうして〜?」
「他人の人生背負えるほど大人じゃないから!」
 正論で反抗を叫ぶが訊くはずが無い。ラブラブ病は一気に治ってしまったようだ。
「二人が育てられないなら預かってあげるわ」
「そうだな、丁重に育ててやろう」
 さらりと怖い事をぬかす二人もいる。
「アホ言うなー! そんな危ない事できるかっ!」
 二人の言葉は絶対に否定したいものだった。母の性格に似た娘、もしくは父の性格に似た息子など考えるだけで恐ろしい。
「ねえ、お兄様ぁ〜」
「絶・対っ! イヤだっ!」
 航の声は部屋に響き渡った。


 …やはり航の受難はまだまだ続く。二人の住むプラスチックの箱の中で…



あとがき

書き終わりましたよ…とりあえず。
仕事でも『完全ラブストーリー』系を公開した事が無いのでずっと手探り状態でした。
そんな中で今回、こうして終わる事ができるのも感想をくれた&読んで下さった皆様のおかげです。
さて、内容はどうだったでしょうか?
最終話はラブラブも少ない感じですが…話の構成上です、スイマセン。
面白かったですか? つまらなかったですか?
その辺を聞きたいです。
最終話からでも全然おっけーですので感想くださいな。
プラ・ラブの今後は外伝を一本ほどとれみんぐ様のHPに妹が出にくい外伝などを書く予定です。読んでみたいと思う方がいらっしゃったら、れみんぐ様のHPをチェックしてみて下さい。(^ ^)
本編の方は…もしまた異常に「続きを〜」コールが現れたら、その時は書きましょう! プラ・ラブセカンドシーズン(?)を。

4/1 Himesato


牙風=姫里さんへの感想はこちら
ga_to_dabun@hotmail.com
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