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プラスチック・ラブ
彼女の気持ち×彼の気持ち=×××!
作 牙風=姫里さん
「起きて…お兄様…」
エプロン姿の咲耶が彼の肩に触れた。眠る彼の温もりが彼女に伝わる。
「…ん…」
彼はゆっくりとふとんに埋もれた。
(お兄様、昨日は午前様だったから……でも起こしてくれって言われたし…)
咲耶は意を決して航を起こすと決めた。
「お兄様! 朝よ」
「…」
航は無言のまま上体を起こした。
「…」
「お兄様、お風呂はいるって言ってたでしょ? 沸かしてあるから…」
「…」
「…お兄様、聞いてる?」
航の反応のなさに顔を覗き込んだ。
「お〜い?」
「頭がガンガンする…」
最初の言葉は全く色気のない言葉だった。彼らしいといえば彼らしいといえる。
「午前様だったお兄様の為に、今日の朝はお粥よ。サラダもナスのやつ…」
「…どうも、すみません」
航はやっと目が覚めてきたらしく、深々と頭を下げて見せた。
「じゃ、早く起きてね」
その場を去ろうとした咲耶を航が引きとめた。
「? お兄様?」
「忘れてた…」
そう呟いた航は彼女を引き寄せ、口づけた。彼女も少し頬を染めてそれに応える。
「…おはよう」
「おはよう、お兄様」
離れた二人はそう呟き、微笑んだ。
今日で一人暮らし+一人暮らしという名の同棲生活四十二日目。こんな状況が起こったのもそれは咲耶のほぼ無理やりな両親への説得がある。
(オレの時もそうだったけど…うちって何か放任主義というか、一般的じゃないって言うか…)
言えば言うほどに苦笑いしか出てこないステータスに航は何度も助けられてきたわけだ。
「昨日はごめん。抜けられるもんなら抜けてきたかったんだけど…」
再び謝る航は咲耶の後ろ姿に少し焦っていた。
「…お兄様にだって付き合いぐらいあるでしょ?」
「…」
何か言葉に棘があるように感じたのは気のせいだろうか。
(怒ってるのか、寂しがってるのか…)
そのあたりの判断はいまだ航にはできない。むしろ両方だと感じた。
考えながら口へ粥を運ぶ。
(とりあえず飯はうまい…)
この生活が始まってからずっと咲耶が料理を作りっぱなしになっている。彼女の料理の腕がいいので何の文句もないのだが、ずっと頼りっぱなしなのはどうかと思ったりはする。
「…ああ、もしかしてそこに女の子がいたかどうか気にしてる?」
航はチラチラとこちらを盗み見している彼女にそう訊いてみた。
「!! そ、そんな事…あるわけ…」
向かい側にいるのに目を合わせない咲耶を見て苦笑いしながら聞かれていないはずの答えを返してみた。
「…いたよ」
「!? 誰! どんな人!?」
彼女が身を乗り出したのを見て航は彼女の視線を避ける為に長い瞬きをした。
「やっぱり思ってたわけね」
「あ……」
赤面した咲耶が椅子に倒れた。その姿に笑いを隠せない。
「…ったく、お前は…」
航は食べ終わると、ずっと赤面を続ける咲耶の頭を撫でる。
「おいしかった。ごちそうさま」
「…あ………うん」
最初の方は何かを聞こうと試みたらしい。
「ウソだよ」
「え?」
「男だけの宴会だった。さっきのはからかっただけ」
「…ッ! お兄様ッ!!」
ポカポカと胸を叩かれた航は時計を指差す。
「イテテ…ほら、時間だ。遅刻するぞ」
そんな時間を抜けて咲耶は学校への路へついた。
(もう、お兄様ったら!)
電車に飛び乗って安心した途端、その言葉を思い出した。怒ったような言葉遣いだが顔には笑みがある。電車の中なのでその笑みをなるべく噛み締める。
(私も私よ。お兄様が私以外好きになるわけないじゃない!)
そう思って自分を落ち着けさせようとするが、彼女の中には不思議な感覚があった。(でも…)
それは兄を重い、ずっと見続けてきた咲耶にしかわからないであろう兄の変化だ。
(お兄様、ちょっと変わった。私がまるで昔みたいな…)
それは航と想いを確かめ合うまで感じていた感覚だった。自分を引き離そうとした時の航の態度に似ている気がする。
(って事は…やっぱり一緒にいるのがイヤになったとか…?)
先ほどまで赤らんでいた顔が青に変わる。
(何言っても凄く落ち着いてるし…勘はいいし…何か………)
電車が駅に着いたのを見るとプラットホームへ下り、階段に向かう。そんな場面でも何を考える心は失わない。
(大人っぽくなった…)
別に悪い事ではない。その証拠に続く言葉があった。
(かっこいいけど…)
彼女は少しその言葉に顔を火照らせる。
「何してんの? 咲耶」
「…?」
まだ夢見心地の視界で眺めるとそこにはクラスメートが声をかけた。
「どうしたの? 立ち止まって百面相したりして…」
「え?」
気がつけば改札への道のりで立ち止まっていた。通行の邪魔である事この上ない。
「ちょ、ちょっと考え事…」
目を合わせずに歩き出したのを見て彼女は察しがついた。
「お兄さんの事?」
「え!? な、何言ってるの、綾ッ」
露骨に焦った言葉でかえす咲耶に綾と呼ばれた少女はにやっと笑った。
「大正解みたいね」
「〜〜〜」
いまだごまかそうと言葉を考えるが、続く言葉はない。
「隠さなくてもいいでしょ、今更」
さも当然にごとく言う綾という少女は航と咲耶の間の関係を知る特別な存在だ。彼らが恋人の関係にある事を知っている。
「…そ、そうなんだけど…」
二人とも、声のトーンは低い。
「何か進展あった?」
当然彼女が今何処に住んでいるかも知っているわけである。学校にも手続きは済ませてあるのだが、他の生徒はほとんどそれを知らない。知っていたとしても
『兄だけでは生活が心配だから炊事洗濯…etcの為に泊り込んでいるんだろう』
ぐらいにしか思っていない。
「…あ、あったわよ!」
視線を合わせない咲耶の行動を簡単に見切る。
「…ないのね」
「う゛…」
まるで自分に向かっている航のような行動しかとる事ができない。
「同棲生活、どうなの?」
「……何か…からかわれっぱなしよ。前の『兄妹』に戻っちゃったみたい…」
言葉にため息が混じる。からかわれるその行動は昔からの彼にあったものだ。彼の優しい笑みは昔からずっと変わらないが、その不変な笑みが彼女は怖い。その笑みが『兄妹』の間にあるものなのか、『恋人』の間にあるものなのか分からない。
(お兄様は私の事…本当に好き…?)
問い掛けたくなるが、それは彼の想いを疑うようでする事ができない。
「でもラブラブはしてるんでしょ?」
「それは…そうなんだけど」
咲耶は先ほどの朝のやり取りを思い出して少し赤くなる。航の優しい唇の感触を思い出すと彼女に切ない想いが込み上げる。
「それじゃ、いいんじゃないの?」
「他人事だからって簡単に言わないでよ。自分は永久就職決まってるからって…」
咲耶は綾の左薬指に光る指輪に目をやった。
これが二人の間を知る理由とも言える。綾はもうすでに婚約者がいるのだ。相手は五歳年上の大学生。お互い学生であると言う事で伏せてある為にほとんどの者はその真実を知らなかったりする。
そんな近い秘密を持つ彼女たちが友人になるのは当然と言えば当然と言えるかもしれない。
「焦ってるんだ?」
「…ちょっと…お兄様はもう私に興味ないのかな、なんて考えたりして…」
「……何、自信なくなってんのよ。いつもに自信に満ち溢れた咲耶は何処に行っちゃったの?」
彼女たちは校門を抜け、教室への階段を上っていった。
「そんなの…どこかに飛んでっちゃったわ」
「ちゃんと呼び戻してきなさい。それじゃなきゃ愛しのお兄様にふられちゃうわよ」
「ッ! ちょっと! 変な事言わないでよ!」
「だってお兄様はいつもの咲耶を好きになったんでしょ? ならその咲耶じゃないんじゃ、ふられても文句言えないわよ」
彼女はそう言うと教室に入った。
(…そう…そうよね…!)
咲耶はいつもの瞳に戻ると一歩教室に足を踏み入れた。
≪…あの子を傷つけたらオレがおまえをぶん殴るからな≫
「…ああ、分かってるよ」
航は電話を片手にそう呟く。
≪傷つけるつもりはないんだろうな…!?≫
「当たり前だろ? オレが咲耶を傷つけたりしない」
≪本当だろうな?≫
声の主は彼を挑発するようにそう聞き返す。
「本当だよ」
≪…何だか声に自信がないように思えるのは気のせいか?≫
確かにいつもならむきになって言い返してくるはずである。
「気のせいだろ?」
返す言葉も重い。
≪じゃなんであの子に手を出さない? もしかしてオレに義理立てしてるわけか?≫
「オイオイ、それが…」
「ただいま、お兄様!」
「!」
その声にびくりとする。
「あ、それじゃッ」
≪あ、おい、ちょっと…話はま――ッ≫
彼は携帯の電源をoffにした。
「お、おかえり。咲耶」
彼女が部屋のドアを開けたのを見て航は携帯をベッドに放り投げた。
「…誰?」
「…愛しのお兄様ですわよ。分かりません?」
彼の笑みを見せた。いつもと変わらぬ笑みを…
「そうじゃなくて、今の電話の主よ」
「…ああ、友達」
「いいの? 話が途中みたいだったけど…」
咲耶の言葉に航は適当に返した。
「あ…うん。後でかけ直すから」
「そう?」
咲耶は航の表情から言葉を読む事ができなかった。彼女の鋭さは最近役に立たない。
(えっと、何か話題は…)
「そうだッ。夕飯は何がいい? 今日は食べるって言ったわよね」
咲耶は曖昧なその雰囲気を打開した。
「あ、ん〜焼き魚系かな?」
「OKよ、お兄様。腕によりをかけて作るわ!」
彼女が笑みのまま、台所へ抜けていくのを見て航は笑みを見せた。
(っと、笑ってばっかりじゃいられないんだっけか。レポートレポート…)
彼は机に向かうが、その一瞬の間に視界に携帯が目に入った。
「…うるせえよ」
わけのわからない言葉が飛び出す。
(言われなくても分かってるんだ、そんな事は…!)
言葉は空白へと放たれた。
「う〜む。咲耶、料理うまくなったな…」
それがお世辞でない証拠に骨だけになったサンマが茶碗の横に置かれていた。
「フフフッ、ありがとう、お兄様」
(ちょっと焦げちゃったんだけどな…)
何故か尾っぽが切断されている事に、航は気が付かなかったようだ。ホッと胸を撫で下ろしながらも表情に出さないように努力する。
「煮物もうまいし」
航は食べ終わると、手を合わせる。
「ごちそうさまでございます」
「おそまつさまです」
彼女が食器を片付けようとすると航が止めた。
「今日はオレがやるよ。最近咲耶に任せっぱなしだし…」
「いいのよ、お兄様。花嫁修業も兼ねてるんだから」
(…何て言ったらお兄様どうするかしら…?)
咲耶はチラッと航の表情を覗った。
「ん〜じゃ、咲耶に任せるか。レポートもあるし…」
航は部屋へと戻っていった。
「そ、そッ…」
(それだけ―――ッ!)
咲耶は叫びそうになった声を飲み込んだ。
(前だったら「は、花嫁修業!?」とか声をひっくり返したりしていってたのに…)
不安が募る。想いが鈍るわけではないが不安に押し潰されそうになるのは否めない。揺らぐ事は否めない。
(あれから何もしてくれないし…)
場面は変わり、風呂場になった。彼女の白い肌が湯船につかる。髪はまとめてタオルで巻かれていた。しかし思う事は同じだ。
「ねえ、お兄様…本当に私の事…好き?」
問えない問いを呟いてみる。問えない想いを虚空に聞いてみる。
(ホントに好き?)
しかしこれ以上は言葉にできない。
『好きだよ。咲耶が大好きだよ』
初めの頃は言ってくれていた。彼女の好きな声で、彼女が愛するその笑みで。
(でも最近全然言ってくれない)
欲しい言葉をくれない。もう口づけだけでは足りない。
(お兄様…)
湯船の水をパシャリと叩く。湯船の水面が揺れた。
もっと好きって言って欲しいの…
もっと抱きしめて欲しいの…
もっとキスして欲しいの…
それ以上の事だって…
想いが波状に広がる。
(して欲しいのに…)
それと共に『今』に不安が重なる。不安が想いのように広がっていく。まるで湯船の波紋のように。
「お兄様ぁ…」
甘えた声が漏れる。いつのまにか瞳から涙がこぼれていた。それは湯船の水ではない。
(怖いの…助けて…)
咲耶の声はひっそりと湯船の湯に溶けた…
瞳が赤くないのを確認して咲耶はアコーディオンドアを開けた。
ぺたぺたと音を立てながら兄の部屋へと向かう。すると机に向かっている航の姿が見えた。
「まだ勉強?」
咲耶が机を覗くとそこには聞いた事もない単語の羅列が描かれていた。
「うん、レポートが終わってないんだ」
カリカリとシャーペンのはしる音が響く。
「お茶、入れてあげるわね」
「おう、サンキュウ」
咲耶は台所で茶葉をさがす。
(聞いてみようか…?)
そんな考えが頭をよぎる。すると彼女は頭を振ってそれをかき消した。
(大丈夫に決まってるわ! お兄様は私と結ばれる運命なんだから…!)
できた茶を湯飲みに注ぎ、航に差し出した。
「ありがと」
航は茶を一口飲む。
「お、茶葉変えた?」
彼がこちらを向いた。
「うん。前おいしいっていってたのにしたのよ」
笑みを贈るが、ちゃんと彼に届いているのだろうか。
「おう、すみませんね」
「お兄様の為ならそんなの当然よ!」
わざと明るく振舞った。
「ありがとう」
彼の唇が自分の唇に重なる。
「…」
(どうして…? 好きな人とキスしてるのに何でこんなに不安なの…? 何でこんなにもやもやしてるの?)
いつのまにか彼の首に手を回していた。
「………」
航の唇が離れる。
「今日はここまで。もう寝ろ」
「…ッ…まだ十時半よ?」
(まだ一緒にいたいッ)
想いが彼女に言葉を走らせる。
「ダメだって。前に十一時には寝ないとダメだって言ったじゃないか。肌に悪いってさ」
「いつもそんな事言わないじゃない! 何で急にそんな事言うのよッ!」
言葉が現れる。振り払ったはずの焦りが彼女の中に表れ始めた。
「…咲耶が…」
航の言葉を全て聞かずに咲耶の口から言葉が流れる。
「もういいッ! お兄様の…航のバカぁッ!!」
「ちょッ、咲…」
反論も聞かず、そのまま自分の部屋に行き、布団をかぶった。
目覚ましが鳴る。
「…朝か…」
(全然寝た気がしない…)
航はベッドから降りる。咲耶の代わりには程遠い目覚ましを止めた。
(…やっぱり起こしにこないか…まだ怒ってるかな…?)
薄い壁の向こうからいつも聞こえる洗濯機の音が聞こえないのを思いながらドアを開ける。するとそこにはラップのかけられた食事が置いてあった。
「…そう来ましたか」
一応玄関を見るとやはり彼女の革靴がない。
(とりあえず荷物はあるみたいだし、学校に行っただけか……)
航はお盆を机の上に置く。食事は冷め切っていたが、航はそのまま食べる事にした。
―――航のバカぁッ!!
(初めて名前を呼ばれて莫迦とは…う〜む、悲しいねぇ)
苦笑いを噛み締めながら航は食事を口にする。
(でも…)
しかし一口で航の箸が止まった。
(悪いのは…不安にさせてるのはオレか…)
目を閉じる。すると彼女の必死の声が聞こえてきた。
(気付いてるのに…彼女の不安も彼女の想いも。応えないオレが悪い……んだよな…でも…)
言葉が詰まる。彼女の声の裏にある言葉までわかっているから。
「…オレってそんなに信用ないかな……」
航は最近忘れていた苦笑いをしながら再び冷めた食事に手を出した。
「莫迦って言ったぁ〜!?」
綾の呆れ声が教室に響く。早朝の為に他に誰もいないのではあるがいつもの声のトーンの何倍もの声に咲耶は焦った。
「ちょ、ちょっと! 綾、声を大きい」
「誰も来やしないわよ! まだ七時半よ、七時半! いつもならまだ私は家で御飯食べてる時間よ」
「あ…う…ごめん」
絶対的に立場の弱い咲耶は反論できなかった。
「そんな事どうでもいいわよ! あんたが莫迦じゃないの?」
綾の口調はキツイ。
「だって…」
「だってじゃないわよ! 相手疑ったって何も出て来やしないわよ!」
このあたりの直線的な動きが十六で婚約している彼女の行動の速さを窺わせる。常に直線的で、自分の信じている事を曲げない。咲耶もそうだったはずなのだが、最近彼女のアイデンティティーは曲げられていた。
「昨日言ったでしょ? 自分に自信を持ってって」
「言われたけど…」
言葉は正確ではないのだが、今論議しているのはそこではない。
「ハア……何でそんなに不安なのよ…」
呆れの入った声で綾が訊いた。
「…だって…お兄様、何にも言ってくれないし…何にもしてくれないし…昔の兄妹みたいな感じだし…変わったような気がするし…」
ほとんど最期は泣き声に近い。その証拠に彼女は少し目を伏せていた。
「お兄様はもう兄妹に戻りたいとか思っ…」
「莫迦!」
綾は彼女の声を一瞬で否定した。
「わかんないの? お兄さんはね、言う必要がないから何にも言わないのよ!」
「え?」
咄嗟の事に咲耶は何を言われているのかわらなかった。揺れていた瞳が綾に向く。
「『お互いに大切な存在』だって分かってるって信じてるから何も言わなかったのよ!」
「あ…」
(…お兄様…)
航の声が彼女の脳裏に響く。
―――咲耶…お前が大切だよ…
あの彼女の好きなあの笑みで。
(…そういう意味だったんだ…)
微笑の意味を察した彼女は同時にもう一つを理解する。
「私…何でこんなにコドモなの…?」
(何でそんな事にも気付かないの…?)
再び瞳が揺れた。それは不安のせいではなく、自分の未熟さが悲しかった。不安になった自分が許せなかった。彼を…航を一瞬でも疑った事が悲しかった。
(たぶん分かってたんだ、お兄様は全部。だから私を抱かなかったんだ…)
湧き上がってくる真実にコドモの自分が悲しかった。どんなに外見を着飾っても成長しない心が憎らしかった。
「分かった…?」
綾が子供をあやすように訊いてきた。咲耶はそれに首をゆっくり縦にふる。
「…でも…どうしよう…」
「でも!? 何、言ってるのよ! 謝ってくればいいじゃないッ!」
綾が机を叩く。
「だって…」
「あんたのお兄様はそんな事で咲耶を嫌うような人なの?」
その言葉には含みがあった。航を一番良く知っているのは咲耶なのだ良いう暗示が入っていた。
その声に後押しされていつもの咲耶が帰ってくる。
「違うわ! そんな事絶対にない!」
彼女の中にいつもの笑みが戻る。
「お兄様は私と結ばれる運命なんだからッ!」
咲耶が教室のドアへと駆け出した。すると一人の女子生徒にぶつかりそうになる。
「キャッ!」
「あ、ごめん」
大丈夫かも訊かずに廊下を駆け抜けていく。
「どうしたのかな…咲耶ちゃん…あんなに急いで…」
すると教室の隅で笑っている綾の姿が目に入る。
「綾ちゃんは何か知ってる…?」
その声に綾は意味深な言葉を返した。
そのうち分かるわよ…―――と。
「お兄様ぁッ!」
玄関が開く音が木霊し、その言葉とほぼ同時に航の部屋のドアが開いた。ドアの向こうには驚いてペンを落とした航がいる。
「さ、咲耶…」
(怒ってないのか…?)
彼女の雰囲気が怒りではない事に不思議がる。そう思っているうちに彼女が彼の隣まで現れた。
「私……」
しかしそこで言葉が止まる。
「私…」
再び言葉が止まると、航が優しく髪に触れた。
「好きだよ…」
「!」
咲耶は不意に抱きしめられる。
「お前を愛してるよ…」
「お兄様ぁ…」
航のまっすぐな言葉に不意に涙が流れる。
「私…コドモでごめんね…」
やっと呟いた言葉だが、彼の反応は見えなかった、どんな顔をしているのか見る事ができなかった。見る事ができないはずなのに何故かどんな顔をしているかわかる。たぶんあの笑みをしているのだろう。優しいあの笑みを…
「いいんだよ。そういうとこも含めて咲耶を好きになったんだから…」
航はゆっくりとベッドへ彼女を倒す。
「それに咲耶はコドモじゃないだろ。オレの恋人だろ?」
「お兄様…」
二人は口づける。昨日とは比べ物にならないほど心に響く。頭の中で思考が薄らいでゆく。
(クラクラする…)
不安を拭い去った口づけがこんなに気持ちになるものなのか。
「いい?」
航が優しく呟く。それは彼が今まで呟いた言葉の中で最も甘かった。
「…うん」
視線が交錯する。熱い視線が二人のキョリを消してゆく。思いのキョリをゼロにする。
首筋に口づけられる。上気した想いが口から漏れた。
「…ん……」
咲耶の肌は桜色に染まっていた。
航が上着を脱ぐ。行為に近付くたびに鼓動が早くなる。これ以上動けないほどに早く、高く高鳴る。
PiPiPi…
「!」
そこで電話の音が木霊す。
(お兄様の携帯…)
ため息に近い声が漏れる。
(あれ…?)
しかし航は行為をとめようとはしなかった。
「お、お兄様、電話…」
「聞こえません」
航の声は鋭く彼女の心に届く。
「だ、だって…大事な用だったら」
「こっちの方が大事…」
そう言って胸に口づける。
「…あ…」
『こっちの方が大事』
彼の甘い声が彼女の中に優しく残る。
「好きだよ…咲耶」
さくやは望んでいた言葉に瞳が揺れる。
「お兄様…私も…」
今度は咲耶の方から口づける。
とその時、部屋のドアが開いた。
「!」
「!」
「おい、航! いるんだろ…って…あ゛」
「お、お父様!?」
咲耶は上着をかぶった。
「…お邪魔…だった…かな?」
父は言葉を捜しながらそろそろと後ずさる。
「無茶苦茶な…!」
父が現れてから初めて航が口を開いた。
「てめえ…本当にぶん殴りたい! ああ、殴りたい!」
航は親に対する言葉遣いを気にしているほど、冷静でいられなかった。
「いや、だってよ…昨日お前電話切るしよ…今だって出ないから無視決め込んでるものだと思って……」
つかつかと近付いてきた怒りMAXの航に苦笑いを送る。
「てめえ…昨日、自分で言った事忘れたか…?」
口論から殴り合いのけんかに発展しそうな状況を見ながら咲耶は困惑していた。
「どういう事…?」
言葉に出た疑問に航が応える。
「昨日の電話の相手はこの人だって事だよ」
「え…?」
咲耶は言葉を失う。
「ついでにいうと父さんも母さんもオレたちの関係は知ってるわけ」
「ええ!?」
突拍子もない言葉に驚きを超えていた。
「で、あんたは何しに来たんだ?」
「あ、いや…」
鋭い眼光に父は気圧される。
「どうせ昨日の電話の事だろ!? じゃあ、もう分かったな。万事解決、やった! さあ、帰れ!」
航は父を玄関まで押していく。
「っちょ、航…」
「帰れ!!」
航は彼を外に放り出すと。鍵を閉め、チェーンをかけた。
「…あ゛〜もう!」
そう叫ぶが、意味はない。ゆっくりと歩いて部屋に戻ると咲耶はベッドにへたり込んでいた。
「…なんつうか…ごめん」
前回の時も同じ科白を行ったものだが、それ以上言葉が見つからなかった。
「どういう事…?」
咲耶がやっと呟いた言葉はもっともだった。
「お前がこっちに来るって言った時に全部打ち明けたの。そうでもないと許してくれない雰囲気だったからさ」
「…そう…だったんだ」
彼女は安心と驚きという複雑な表情でそう応えた。
「そしたらOKだってさ」
航が再び咲耶の横に座ったがもうさっきの勢いはない。
「結婚でもなんでもしろだと」
咲耶の表情が再び赤く染まる。
「…何か…しらけたな…」
言葉と同時に父への怒りが蔓延する。
「続き…する?」
咲耶が呟く。
「…いいや。また今度にしよう」
「っ、でも…」
航に寄った咲耶は必死の瞳を彼に向けた。
「大丈夫って言ったろ…?」
「え?」
優しい航の視線に戸惑う。誘われる。
「一緒にいるって言ったろ…?」
彼が再び口づける。
「ずっと一緒にいるから。焦らなくていいよ」
「うん」
彼の唇の感触を残したままの彼女の唇がそう呟く。
「焦って大人になろうとしなくていいよ。見ていてやるからいい女になりなさいな。オレも頑張っていい男になるからさ」
「……うん」
彼らの視線が重なると再び二人ともがにこりと笑った。
「学校、今日はサボりにしてどこかデートに行こうか」
「うん」
咲耶が微笑んだ。その笑みの中に不安はない。あるのは決意だけだった。
『絶対にいい女になるから待っててね、お兄様!』
その決意が…
あとがき
多数のリクエストにお答えしての登場&二人の立場を変えてみた牙風=姫里です。
航×咲耶シリーズ第三作目ですね。本当は短編だったはずなんですが(笑
何か…18禁とは言わないけどR指定ぐらいはつきそうだな。
でも一応、題名で分かって欲しかったです。×××の『×』はキスです。(記号文字って分かる人いるかな〜女性の言葉文字だし)だからいつもよりキスが多いんですが…気がついた人いるかな…? ってそれじゃダメじゃん。
それはそうと今回は咲耶の視線で書いてみました。
大人版航くん、かっこいいと思うのは作者の思い違いでしょうか? これって親のひいき目というやつですか? そうかな〜? でも押しに強くなってそうだし(笑
何でそうなったかは一応書くと、守らなきゃいけないものができたからですね。かなりの速度で大人っぽくなったので咲耶も不安になるのは当然といえば当然ですが、ちょっと可哀想でしたね。
彼女の不安、大人の航くん、そして何より自信なさげな咲耶をうまく表現できたでしょうか?
もし少しでもこの作品に何か思ってくださったならメールください。『父、邪魔すんなよ!』とか言う怒りでも結構ですので(笑
それでは〜♪
11/25 BY Himesato
牙風=姫里さんへの感想はこちら
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