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*注意* 前作『言える言葉? 言えない言葉?』を読まないと分からない事があるかもしれません。
プラスチック・ラブ
二度目のキョリは…?
作 牙風=姫里さん
「ふう…疲れた……」
航は帰ると共に適度に整えられたベッドへと身体を沈めた。ベッドがギシリと鈍い音を立てて彼を受け止める。
「無駄に講義が長いよ…あの教授…しかも何だよ、あの理論は」
航はベッドから虚ろに部屋を眺めた。ダンボールが二つ、重ねられたままになっている。
この部屋に来て二ヵ月と少しだが、あまり整頓は進んでいなかった。初めての一人暮らしで勝手が分かっていないのもあるかもしれないが、本来の性分がそれに拍車をかけていた。
「…今日は…もう寝るか…バイトもないし」
一人暮らしの不摂生さを確実に醸し出しながら航は呟く。
「それでは…」
瞼を閉じる。すると一つの言葉が彼の中に映し出された。
お・に・い・さ・ま!
何かお忘れじゃなくって?
言葉と共に彼の愛しい顔が姿を現した。決して「誰だろう?」などとは思わない。彼女は今、彼の全てであり、彼を初めての一人暮らしの不安から支える者でもある。
「…忘れてました」
航は一人、苦笑いをすると微笑みと共に言葉を呟いた。
薄っすらと開く瞼に耐えながら枕もとにおいてある写真立てを手にとる。そこには愛しい少女の笑顔が写っていた。彼女はこの写真の為にフイルムを五本も無駄にしたらしい。
その情景を思うと航は愛しさが込み上げる。
『これじゃダメだわ』
『あッ、目を瞑っちゃったわ』
『お兄様には私の最高の笑顔を見てもらわなくっちゃッ!』
たぶんそんな事を言いながら彼の為に笑顔を撮り続けたのだろう。現像した写真屋には悪いが彼はそんな彼女の行動が愛しくてたまらなかった。
「…オヤスミ、咲耶」
航は彼女にしか見せない優しい笑みでそう呟いた…
「…ん……」
航は目を覚ます。東向きの窓の下にベッドがある為にやわらかい朝日が彼に降り注ぐ。
「さて…今は何時かなっと」
航は腕時計したまま寝てしまった事に苦笑いをしながら時刻を確認する。
(八時五十五分…)
時刻が彼を襲わない事に安心すると軽く伸びをした。
「…っと…」
腕時計を取った航は、今度は忘れずに写真を手にとり、ゆっくりと呟く。
「おはよう、咲耶」
いつものように写真は笑みのまま、彼の言葉を受け取るはずだった。しかし…
「モーニン、お兄様!」
「!?」
写真が話すはずはない。ぼやけた視界を振り切ると航は声の主を見つめた。
「さッ、咲耶…ッ!」
「お兄様、私がいる時は私に言ってよね」
咲耶は少し眉をしかめながら航のはだけたボタンを留めた。
「…ど、どうやって入った?」
航はすっかり冷めてしまった頭をフル回転させたが答えは出なかった。
「開いてたわよ、お兄様。だから起きてるのかと思ったら寝てるんだもの。無用心にも程があるわよ」
「え? 閉めたと思ったんだけどな…」
航は頭を掻くと手に持った写真を置いた。
「約束…守ってくれてるのね、お兄様」
写真よりもまぶしい笑みで咲耶は言った。喜びが満ちた瞳が航を映す。
「あ〜うん…まあ」
そんな表情に航はこんなぶっきらぼうな答えでしか返す事ができなかった。どう言っていいか分からないという事もあるが、単に照れくさいだけといっても過言ではない。その証拠に航は少し赤くなっていた。
「有難う、お兄様」
不意に彼女が体を預けてきた。航はそれを優しく受け止める。彼女の身体はやわらかく、そしてほのかな香水の匂いがする。そんな甘い誘惑を受け止めながら、航は彼女に届く声で呟く。
「毎日会えたらよかったんだけどな…オレがお前から逃げようなんてしたから……」
航は優しく彼女の髪に触れた。二つに結い分けられた髪が揺れる…
「ううん、お兄様が私を大切に思ってくれたんだもの。嬉しいわ…」
咲耶が言葉を呟く度に航は愛しさが込み上げる。深く深く、彼の中で彼女への想いが繋がっていく。
「じゃあ、あえなくて淋しいのはオレだけか」
「そんな事ないわ! 私はお兄様に会えないのがすごく淋しくていつも泣きそうになるんだからッ!」
悲痛の声を上げた咲耶は続いて思い出す。
「何で昨日電話くれなかったの? 私はずっと…待ってたのに」
「あ…ご、ごめん」
彼女との約束は二つあった。
一つは『写真に挨拶』の件、二つは『三日に一回は必ず電話をする』と言う事。約束では三日に一回だったが、航は一人暮らしを始めてから一日足りとも電話を忘れた事はない。家に一度帰ったその日でも航は咲耶への電話を忘れる事はなかった。
「不安だった…怖かったの…」
航の胸あたりにあった白い手が彼の服を握った。
「お兄様が私を忘れてしまったんじゃないかって…」
「そんな事ない! オレは咲耶を忘れたりなんかしない! 絶対に」
航は彼女の瞳を見つめながらそう呟いた。彼女の瞳は濡れていた。
「オレは咲耶が一番大事だよ」
「お兄様…」
彼女の瞳に安心の色が見えたのを見るとホッと胸を撫で下ろす。そしてその交錯した視線のまま、ゆっくりと彼らの唇の距離が消えていった…
「お兄様、もう朝御飯できるから…食べない?」
「…おう」
咲耶がまだ少し顔を火照らせながら、盛り付けられた皿たちを机に並べた。
「…二枚ずつ?」
航は咲耶が置く皿が二枚ずつである事に気が付いた。
「私とお兄様の分よ? それともお兄様、もっと食べる?」
咲耶の声に首を振る。
(…飯を食うのも忘れるほど…心配してたのか…)
一縷の不甲斐無さが航の中に蔓延していた。もう二度とそんな心配をさせまいと心に誓う。
「お兄様? 冷めるわよ?」
横に座った咲耶が航の顔を覗き込む。
「! あ、ああ。そうだな」
「あ、もしかしてお兄様、食べさせて欲しいとか?」
「は?」
いつもの調子に戻った咲耶の言動に航は対処に困った。これが彼女の魅力の一つといえなくもないが欠点にもなり得る。いつも航はそんな彼女に翻弄されていた。
「そ、それはいいッ」
きっぱりと言ったはずだが、咲耶は耳もくれずに箸でおかずをつついていた。
「はい、お兄様」
「え? だから、ちょっと…」
満面の笑みで唐揚げを勧める咲耶に逆らえる航ではなかった。
再び一週間が経った。あれから航は約束を一度も違えてはいない。あんなに悲しい顔をされては違えられるはずはなかった。彼女の悲しみが彼の痛みなのだから。
「…もう来るかな…?」
今度の航は先週とは違い、なんとかベッドから這い出し着替えや朝食を済ませている。
航は枕元に目をやった。そこには何故か二つに増えた写真立てが置かれている。先週、彼女が置いていったものだ。この調子で行くと一ヵ月後には四個、二ヵ月後には八個と増えていく事になる。そこまでになるかは不明だが、彼女ならやりかねない。
(…もしかして早く帰って来いって言う意思表示か…?)
そう思いながら笑う彼女の笑みに触れた。
今日は咲耶とのデートの日だ。そんな日にベッドで寝ていたりしたら何と言われるかは目に見えている。
『お兄様は私とデートするのがイヤなのね…!』
その後、またあの悲しみに濡れた顔がやってくるのだ。そして必死に否定する自分までもが簡単に予想できる。簡単に予想できるような彼女の愛情も彼にとっては束縛ではない。彼女が与えた彼の翼《自由》というべき、愛しさだ。
(それとも『忘れてたのね、ひどいわ!』かもしれないな…)
航は苦笑いを隠せない。それでも自分があたふたする結果は変わらない。
そんな単調な日常が彼はとても好きだった。そして怖かった…いつ壊れるかという思いがあった。
「咲耶…遅いな……ッ……ッ!」
航が口を押さえる。そして十秒ほど沈黙を見つめていた。
「……おさまった…」
航は立ち上がると冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。平行して机の上に置かれた錠剤に手をつける。
(ま…大丈夫だろ…)
「お兄様!」
インターホンが木霊すとともに聞こえた声を見ながらそう感じていた。
「さ、咲耶…? 少しお茶でも飲まない?」
それは四時間もショッピングや何やらで動きまわされた航の逃げの一手だった。
「あ、そうね。お腹もすいてきたし…」
「じゃあ、あそこにしよう」
咲耶の承諾にホッと胸を撫で下ろしながら見当たったレストランに入るとすぐさま席へと案内された。もう昼を過ぎ、飲茶の時間でもない為に四人の席に二人で座る。
料理を頼むと二十分ほどの暇な時間が訪れる。
「禁煙席…そういえばお兄様ってタバコって吸った事ある?」
咲耶の言葉に首を縦に振る。
「…昔、何度か。もう吸ってないけど…」
「ふうん…何でやめたの…?」
彼女の言葉に航は返答に窮する。
「あ……か、身体に悪いからだ。体力落ちるし…」
(キスの時、苦いからなんて言えるか…!!)
なるべく咲耶に気付かれないように目をそらす。こんな時妙に勘のいい咲耶に気付かれたらまたいつもの調子で言葉が続くに決まっているからだ。
「…」
「? どした?」
咲耶が笑みを浮かべながらじっと航を見つめていた。そのやわらかい笑みに心を奪われそうになる。
「お兄様と一緒にいられるなんて幸せだな…と思って」
(…ああ。そうだな)
料理が運ばれてきたので口には出さなかった。
二人は何度も離れそうになった。最初は顔を知りもしなかった。親が結婚しなければ出会いもしなかった。出会って兄妹という肩書きの間で生まれてしまった感情に逃げようともした。
しかしその度にお互いの想いを確かめ合ったからこそ、彼らは二人、ここにいる。二人こうして笑っていられる。
(神様…オレはもう逃げないから…もう彼女を手放そう何て思ったりはしないから……だから…)
もう二度と彼女を引き離さないで―――
それが彼の望み、そして当然彼女の想いだった。
「ん、おいしかったぁ」
二人はほぼ同時に箸を置いた。そして運ばれてきたコーヒーに手をつける。
「砂糖は二杯よね? お兄様」
「ああ」
咲耶が当然のように二杯入れた後で訊く事に笑みを浮かべながらコーヒーを受け取った。口にするとほのかな香りが口の中に広がる。
「今から何処行く? 映画でも見る? カラオケでも行く?」
微妙にショッピングらから思いを反らせようとする。
「う〜ん……」
「咲耶が誘ったんだから咲耶が決めてい…ッ……ケホッ、ケホッ」
航は突然途中でむせた。
「ちょッ、大丈夫? お兄様」
「き、気管に……コーヒ…ケホッ、ケホッ……」
必死に言葉を紡ぐがそれは伝わるか伝わらないかギリギリのラインだ。
咲耶はこちら側の航の隣に座ると背中をさすった。
「飲みながら話すからよ、お兄様」
困った顔で微笑みながら優しく声を出した。
「…ふう…落ち着いた。ありがとう、咲耶」
「いいえ、どういたしまして」
咲耶は自分の席に戻るとにっこりと笑う。
「オレ、トイレ行って来るからその間に何処行くか決めといて」
彼女が首を縦に振ったのを見ると航はトイレに向かう。
(やばい、薬切れてきたかも……)
航はトイレに入ると額に手を当てて目を閉じた。そしてそのまま十秒ほど動かなかった…
デートが終わり、航は部屋に戻った。途端にうずくまり、咳き込む。
(今日は寝た方がいいかも…)
航は苦笑いをしながら重い身体を引きずって風邪薬を手にした。水と一緒に飲み干す際、上着を投げ捨てる。
(ベッドに横になってよう…)
だるさに耐え切れずにベッドに倒れ込む。
今すぐにでも眠ってしまいたいが、電話をするまでは起きている事にする。電話をしなければ彼女は必ず悲しい顔をするだろう。そうしたら今日の笑みも必ず壊れてしまう。そんな事はさせたくなかった。
「…もう咲耶も着いたろ…」
目を瞑ったまま、携帯を手にとった。
二回の音の後、荒っぽく相手の受話器が取られる。
「咲耶…?」
≪お兄様! 今日は楽しかったわ。ありがとう≫
彼女の声は確かに航の好きな音だった。その安心感から眠りそうになるがその睡魔を振り払う。
「…オレも…楽しかったよ」
なるべく咳き込まないようにゆっくりと言葉を話してゆく…
「父さんと母さんはどうしてる?」
こんな体調でも父や母への気遣いは忘れないのが彼の性分だった。
≪いつもみたいに一緒にテレビ見てるわ。さっき、またお兄様の事聞かれたわ。「大丈夫なのか?」、「元気にしてるのか?」って≫
「…元気にしてたろ?」
表情が研ぎ澄まされたが、それは当然咲耶に伝わる事はない。
≪大丈夫だって伝えておいたわ。お父様は「何だ、つまらない」って皮肉をおっしゃってたけど…≫
電話の向こうで咲耶の笑う声が響いている。
「今日は少し長く歩いたから早く寝た方がいいぞ」
≪え? 私は平気よ≫
不満の声を上げる咲耶を軽く茶化してかわす事にした。
「…オレがマズイの。咲耶みたいに若くないからな……オレは」
≪三歳しか変わらないじゃない! お兄様だって立派な若者よ≫
「三歳違えば別の生き物だよ。明日、学校だろ? 寝坊するといけないからもう切るよ」
言葉が少し速くなる。意識が朦朧とし始めたからだ。
≪…うん。オヤスミ…………お兄様≫
「オヤスミ、咲耶…」
そう呟いて通話を終える。すると彼はそのままベッドに倒れ込み、そして今度は目覚める事はなかった。かすれた呼吸の音だけが部屋の響く。
写真の彼女が笑みのまま、その情景をずっと見つめていた…
―――お兄様、何で一緒にいてくれないの…?―――
彼女が呟く。
(…ごめん)
やはりそうしか言えなかった。それ以上の言葉が出てこない。
―――もう…イヤ―――
(…ッ…!)
彼女の言葉に彼の心に恐怖が宿る。それから先の言葉を何度考えただろう。何度思った事だろうか。
―――……バイバイ…お兄様…―――
(待って! 咲耶、咲耶ッ!)
言葉と共に飛び起きた。
「…夢?」
天井はここ最近ずっと見ていたものと変わらない。
「とりあえず…」
立ち上がろうとすると手を何か暖かいもので包まれている事に気が付いた。
「……ん?」
それは白い暖かい手だった。本線を辿ると先ほどの少女に行き当たる。その少女は瞳をうるませていた。
「さ、咲耶…」
(何でここに…)
そう続けたかったが、言葉にならない。よく見れば彼女は制服だった。彼女がわざわざ見せにきたのでそれは間違いない。
彼女の姿に上体を起こすと、額に置かれていたタオルがベッドに落ちる。
「お兄様……」
濡れた瞳が怒りを帯びていた。それは弱く、恐怖に満ちた怒りだったが、確かに彼に向いていた。
「何でこんな無茶するのよ!」
「…ばれちまったわけ?」
航は困った笑みを見せた。それが今の彼にできる限界の行動だった。
「…何で…どうやって…分かった?」
「お兄様が隠し事してる時ぐらい分かるわ。昨日の電話で変だったから管理人さんに開けてもらったのよ…」
泣き始めてしまった彼女を見て航は苦笑いする。
(相変わらず鋭い…)
しかしその苦笑いもセキのせいで何度も途切れた。
「ただの風邪だから…だいじょう、ぶ」
「昨日から…?」
彼女は顔を上げた。
「昨日デートした時も風邪の事、黙ってたの?」
「そんなこと、な…ッ」
否定する言葉すらかすれる。
「ウソ…あのむせたのだって本当はセキだったんでしょ!?」
「…」
(本当に鋭い…)
航は隠す事を諦めた。
「…迫真の…演技だったろ?」
「どうして言ってくれなかったの?」
彼女の中に昨日の情景が繰り返される。ずっと笑っていた航、本当に嬉しかった自分…だが、彼は必死に風邪を隠しながら彼女に笑みを見せてくれていたのだ。何故気付かなかったのだろう、その気持ちが頬を流れる。
「…オレだッ……咲耶と…いっ……」
途切れてしまった言葉も彼女にちゃんと伝わった。握り返された手のひらの温もりが彼女に言葉を教えた。
『オレだって咲耶と一緒にいたかった』
嬉しい言葉だった。しかし彼のその思いが今彼を苦しめているとわかる彼女は喜んでばかりいるわけにはいかない。複雑な気持ちが彼女の中で葛藤し始めた。
「お兄様…」
彼女は彼に口づける。優しく、彼の負担にならないように…
「…莫迦…うつるぞ…」
「いいわ…お兄様にうつされるんなら…」
愛しい彼女の言葉が彼を優しく包む。その愛しさが彼の中に衝動を与える。
(離したくない……こんなに思ってくれる彼女を…)
それは焦りも含まれていたのかもしれない。
「キャッ…!」
航は咲耶をベッドに引き込んだ。そして無理やり唇を奪う。ベッドの軋む音と息遣いが部屋に広がった。
「お、お兄様…?」
頬を染めた彼女の恥らう表情が航の衝動を後押しする。
そしてその衝動に身を任せ、制服のボタンをはずす…
(お兄様…私、お兄様にだったら…)
そう思いながらも初めての行為に少し怯えたのか、ぎゅっと目を閉じていた。
不意に彼女のはだけた肌に航の唇が触れた。
(…ん…ッ)
声が漏れそうになるのを必死にこらえる。
…
…
…
「…あれ?」
彼の行動がそれに続かず、止まった。少し間の抜けた声が漏れる。
「お、お兄様…?」
目を開けて良く見れば先ほどの行為は倒れ込んだだけのようだ。
「…う〜失敗した…」
「え?」
「こんな体調じゃできない…」
「…」
赤い顔をした二人の視線が、笑みが重なった。
「…んと…何て言うか……ごめん」
(ああ、もう! 不甲斐無い!)
「…う、うん」
航が咲耶の横に寝転ぶ。
「…そうだ。そこの戸棚の二番目、開けてみて」
ベッドに座って制服のボタンをとめている彼女にそう言った。
「…ここ?」
「そう、それ」
引き出しを開くとそこには小さな袋が入っていた。
「?」
「開けてみて」
航の言う通りに袋を開くとそこには一本の鍵…
「これ…」
すばやく振り向いた咲耶は航に答えを求める。
「そ、合鍵。今度オレが死にそうにそれで助けに来て?」
「で、でも…お兄様が言ったんじゃない。『鍵を渡したらここに入り浸りになるからダメだ』って…」
彼女としては珍しく、躊躇していた。
「いいんだよ。オレの安心料も含めてんだから」
「安心…料?」
「あ゛…」
それは全く言うつもりもなかった言葉だった。
「?」
軽く俯いた彼を咲耶は覗き込んだ。航はその瞳に勝てるはずがない。
「だから…その…ここにいれば他の男が寄ってくる事も…ないわけだし…?」
「!」
その言葉に咲耶は彼に笑いながら抱きついた。再び二人分の体重を乗せたベッドが軋む。
「大丈夫よ、お兄様! 私はお兄様以外絶対に好きにならないわッ!」
航はその言葉に少し赤面する。『好き』という単語にというのも確かだが、彼女を疑い、焦っていた自分が恥ずかしかったのだ。
(…何で彼女を信じられなかったかな…)
彼は抱きつく咲耶を受け止めながらそう思った。
「んじゃ、いらない?」
「いるわ! 欲しい!」
咲耶の間髪入れない返答が嬉しい限りだった。
…と、喜んでいられるのもここまでだった。
「でも、お兄様が安心する為には毎日ここに来るべきよね!」
離れた彼女がそう言ったのを見て航は静止しようと試みる。
「…いや、別に毎日は…」
「でも毎日来るのって結構大変よね…学校もあるし…」
咲耶は航の静止など全く耳に入れなかった。彼女のいつもの調子が完全に戻っている。航はイヤな予感を感じ始めた。
(何だか…あの時に似てるような…)
あの時とはもちろん、引越しの日の咲耶に口づけをされたあの時の事である。
「あ、そうか」
「ちょ、ちょっと待―――ッ!」
「ここから通えばいいのよ!」
航の言葉を遮って咲耶は極論に達した。
「!! さ、咲耶…?」
彼女の口走っている言葉を止めなければどんどん彼の状況が悪化するのは目に見えていた。しかし、咲耶の暴走を止める勇気など航にはなかった。その為、声のトーンはかなり低めである。
「そうすればお兄様と一緒にいられるし、学校の心配もないし…万事解決ね!」
咲耶の通う高校は航たちの実家と航の家とのほとんど真中に位置している。通学時間もほとんど変わらない。
「何で今まで気が付かなかったのかしら…」
彼女が航の方へ向き直る。
「という事でそういう事にするわ、お兄様!」
「『という事で』じゃない!」
航の言葉は全くの意味もなさなかった。あえて言うなら状況を悪化させたというべきかもしれない。
「じゃあ、私に他の男の子が寄って来てもいいのね?」
「え゛…そ、それは………困る…けど」
言葉がどんどん小さくなった。
「それじゃ決まりね!」
「いや、それとこれとは…!」
「お父様たちを説得するの、手伝ってくれるわよね、お兄様」
愛しいはずの笑みが航を襲う。
「え〜と…」
必死に何か彼女を家にとどめておく理由を探す。
「あッ! 咲耶がいなくなったら父さんと母さんが淋しいだろ?」
「大丈夫よ。十年以上経ってもまだ新婚夫婦みたいな感じよ。私がいる方が邪魔になっちゃうわ」
(…あの夫婦もあの夫婦だよな…)
そう思ったが、一瞬で他の理由を探す。
「こ、ここ…二人で過ごすには狭…」
「そんなの全然気にしないわ」
再び言葉を遮って咲耶の声が響く。
「あ〜、てッ、手続きとかがめんどくさい…」
「………そんなにイヤ…?」
咲耶の声が重くなった。それに航はギョッとする。
「さ、咲耶…?」
「私がここに来るの、そんなに…イヤ?」
彼女は目を伏せた。航には分かる。咲耶の泣く一歩手前の行動だ。
「あ、いや、あのな。そうじゃなくて…」
焦る航は咲耶を宥める言葉を選べなかった。
「わ、分かった。分かったから泣くなって」
「本当?」
急に咲耶の態度が一変する。
「お前、ウソ…泣き…?」
引きつる航に追い討ちをかける。
「今、来ていいって言ったわよね?」
「…い、言ったよ」
声がかすれているがそれは風邪のせいではない。
「やったぁ。さすがはお兄様よッ! 愛してるわ!」
「あ〜はいはい」
再度抱きついてきた咲耶を適当に受け止めながら航は苦笑いとため息をついたのは言うまでもない。
…その三日後、彼の部屋のプレートが書き換えられ、二人の名前が書かれた。
「お兄様、こんなものかしら?」
「…ああ。そうだな」
適当な言葉で返しながら航は苦笑いをした。そして思った。
オレは絶対咲耶に勝てないな……―――
あとがき
少し連載ものの横道にそれてみた牙風=姫里です。(==;)
前作「言える言葉? 言えない言葉?」でリクエストをくれた九朗様、こんなので良かったですか?(もしかして他の方もリクエストくれてたかもです。そしたらすいません)
航×咲耶シリーズ(たった今命名)、かなり賛否が分かれるので結構不安要素が多いんですがここまで読んでくれた方はどうでしょうか?( ̄▽ ̄)
もしかしたらあの薬が麻薬系だと思った方、いらっしゃいます? 書いててそんな事考えたんですが。( ̄▽ ̄)
そんな話を含め、この話の中傷、指摘、裏話を聞きたい(何かしてくれって人がいたので)などなどのメールを待ってます。
もちろんこれ以外のSSじゃなくても全然OKです!
それでは〜♪ ヾ(⌒o⌒)11/17 BY Himesato
牙風=姫里さんへの感想はこちら
ga_to_dabun@hotmail.com
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