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トラブルエッグ2─時には冬の風に吹かれて─

作・葉坂沙希也さん


   自分が天井から降りてきたロープを四葉は器用にくるりと回わすと、兄である勝実の方に向き返った。
  「ぐすっ……もう四葉は終わりデスっ」
  「……そんな天井から降りるのに失敗したぐらいで大げさな」
   事態を知らない勝実はあきれて四葉をほどく作業に入った。
  「違うんデス!! 兄チャマはこの家に巣食う病魔の存在を知らないからそんな悠長にしてられるのよ」
    手馴れたもので、勝実は四葉のロープを順番に解いていく。四葉の落下失敗はまあ、よくあることだ。この前、帰ってきて自分
  の部屋に宙吊りになっている四葉を見たときはさすがに驚いたが。
  「病魔ってお前、別にみんな元気そうだぞ?」
  「違うの、この家はレズなんデス。しかもSMなのっ。それも女同士で」
  「……なんだかよく分からんが、きっと女同士なんだからレズなんだと思うぞ」
   微妙にずれた指摘をする勝実は、ふと、勝実は足元にいる花穂の存在に気がついた。
  「……花穂、どうして縛られてるんだ?」
  「お兄ちゃまぁ、ちか──」
   とっさに、千影は偽物の花穂の口をふさいだ。
  「兄くん……面白いものを見せてあげよう……」
   そう言って、千影は羽織っていたマントを花穂にかぶせた。
  「千影……家にいるときぐらいマントはとったらどうだろうか?」
  「……棄却させてもらうよ」
   兄の指摘を普通に流し、千影は密かに合図を送った。それを受け取った春歌は亞里亞に耳打ちをした。亞里亞と雛子には妹間ブ
  ロックサインは教えていない。まだ理解できる年齢でもないし、仮に理解できてもあっさり口にするだろう。亞里亞は頷くと勝実
  の袖を引っ張った。
  「ん、どうした亞里亞?」
  「あのね、兄や……亞里亞おなか減ったの」
   言われて勝実は腕時計に目を落とした。もう食事時である。
  「そっか、じゃあとりあえず飯にするか」
  「では兄くん……面白いものを見せてあげるよ」
   千影は勝実の確認を取る前に、花穂にかぶせておいたマントを取った。
  「じゃーん」
   そう言ってマントの中から現われたのは鈴凛だった。
  「おお……で、花穂は?」
   相当小さく感動を表し、勝実はとっとと本題に入った。
  「兄くん……もっと素直になったらどうだい?」
  「……自分の疑問に正直なだけだけど」
   千影はため息をつく。この勝実という人物はまったく思ったように動いてくれない、マイペースな人物なのだ。
  「兄チャマ……四葉のこと忘れてない?」
   そこに助け舟が入った。涙顔の四葉はふてくされてぶらぶら揺れていた。
  「……ごめん、わすれてた。知恵の輪みたいで楽しいもんな、ほどくの」
  「そんな認識しかないんデスか!?」
   勝実はあっさり頷いた。
  「そんなっ、ひどいデスっ。せっかく四葉が花穂チャマの真実をつかんだっていうのに」
   その言葉に反応したのは、やはり千影だった。そっと四葉に近づき、耳打ちをする。
  「……四葉くん……きみに面白い世界を見せてあげようか?」
  「ナゼ四葉には世界なんデスか?」
  「きみに……ふさわしいと思うよ……」
   ぞっとした四葉は首をプルプル振るとじっと口をふさいだ。
  「とりあえずほどいてるから、みんなご飯の用意しろよ」
   勝実の言葉に、妹達は素直に従って台所に向かった。ただ、千影だけは物陰からそっと四葉のことを見張っていた。

  「花穂ちゃん……調子どう?」
  「普通だよ」
    こんなやりとりを何度も繰り返していた。可憐が何を聞いても、花穂の答えは単調なものだった。感情が吸われるって言うのは、
  こういうことなのだろうか。要するに喜怒哀楽がなくなるってことだ。だから、質問に対しただ答える。ためしにほっぺをつね
  ってみたが、痛いよと言って可憐の手を払う素振りは見せた。それがいいことなのかどうかは分からないが。可憐が途方にくれて
  いると、ノックの音がした。
  「花穂はどう?」
   花穂の部屋に入るなり、咲耶は付き添いの可憐に尋ねた。可憐は首を振る。
  「まだボーっとしてるよ……どうしたらいいのかなぁ」
   言われて咲耶は気づいた。まだ可憐は花穂を元に戻す方法を知らないのだ。
  「方法はあるらしいわ」
  「ほんと?」
  「犠牲者も決まってる」
  「……犠牲者?」
   不穏な言葉に、可憐は戸惑った。
  「方法はね、偽物の花穂にキスして、それから本物の花穂にもキスするの」
   可憐が誰がするのと言おうとして、先ほどの犠牲者という言葉に納得した。まさかみんなが兄にさせようなどと言うわけがない。
  なら、妹の中の誰かということになる。
  「……でも、お兄ちゃん帰ってきちゃったんでしょ?」
   兄勝実の性格は可憐も当然知っている。花穂がそんなことになっているのと分かれば、そして解決方法がそんなことなら、勝実
  は喜んでそうするだろう。……痛くないからだ。そういう兄である。
  「おーい、咲耶、可憐、花穂、飯だぞ。早く下りてこないと皿洗いさせるぞ、もれなく抽選で2名様に」
   下から兄の催促の言葉が聞こえる。
  「とにかくこの夕食さえ乗り切れば大丈夫よ」
   咲耶は可憐に頷き、花穂を伴って下に降りていった。

   その少し前。
  「……………………」
  「……………………」
  「……………………」
  「……………………」
  「……………………千影姉チャマ」
  「…………なんだい?」
  「…………どうしてナイフを持ってるデスか?」
  「…………分かりやすいだろう?」
   四葉の言葉通り、千影は四葉の首筋にナイフを当てていた。息をするわずかな振動で四葉の首に分け入る距離である。ちなみに
  トイレ内でのことである。はっきり言って四葉に退路はなかった。
  「…………大人しく協力してもらうよ……」
  「いやデスっ。四葉は危ない世界には行かないデスっ」
  「きみが花穂くんと……キスしたのは見ていたよ」
  「……そ、それは」
  「まあ、あれは……不慮の事故だ……」
  「……そうデス。事故よっ」
  「でもね…………タイミングという問題がある……」
  「……どういう意味デスか?」
    不意に、千影は四葉に顔を近づけた。びっくりして下がろうとした四葉だったが、背中をそる程度しか下がることはできなか
  た。その氷のような表情は、いつも以上に凍てついていた。
  「反論は……許さない。……もう一度花穂くんと……キスしてもらうよ」
  「いやデ──」
   ナイフが、首筋に当たる。ひやりとした感覚に、四葉は本能的に口をつぐんだ。
  「反論は……許さないと言ったはずだよ……」
  「……なんでこんなこと?」
  「言っておく……きみは被害者ではない……救世主だよ」
  「どうして?」
  「キスすれば……わかるよ……。きっと咲耶くんあたりが……お礼をくれるだろう」
   こわばった表情を浮かべたまま、四葉はこくこくと頷いた。

  「全員揃ったところで、いただきまーす」
  「いただきまーす」
   勝実の号令で、みなが声を合わせる。
  「で、なんで花穂は縛られてたんだ?」
   前振りも何もなく、勝実は本題に入った。食事の準備中、誰も答えてくれなかったので花穂に直接聞こうということだろう。花
  穂は即答した。
  「……縛られてないよ」
  「へ、だってさっき?」
  「花穂、ずっと上にいたよ」
   勝実は首をひねった。その間、花穂は黙々とご飯を食べつづけていた。
  「じゃあさっきのは……」
  「に、にいさま、今日のムニエルのお味はどうですの?」
   白雪が慌ててフォローに入った。勝実はひねったままの首でそちらを向いた。
  「そうだな、もうちょっと味が薄いほうが好きだな」
  「分かりましたわ、今度は気をつけますわね」
  「で、花穂──」
  「わーっ、あにぃ!!」
   花穂のほうに戻した首を、今度は突然叫びを上げた衛のほうに向けた。一応、首をひねるのはやめた。
  「どうした、衛?」
  「え、えっと、あの……」
   叫んだだけで何を言うか考えてなかった衛はみんなの視線を感じて混乱してしまう。
  「だからさ……そう、ラー油とって」
  「ラー油か? ムニエルに?」
   なぜラー油なんて言葉が出てきたのか、本人ですら分かってなかった。しかし、当の衛は必死だった。
  「うん、新発見でもしてみようかなって」
  「そうか、まあ止めはしないが」
   そう言って、勝実はテーブルの真中にある調味料からラー油をとって衛に渡した。
  「あとで感想聞かせてな」
  「うん、分かったよ」
   そうまで言われてはラー油をかけないわけにはいかなかった。一応、勝実は衛がラー油をかけるのを確認した後、再び花穂のほ
  うを見た。
  「で、──」
  「おかわり」
   そう言ったのは、花穂だった。その声は、普段の花穂とは全くかけ離れた元気のなさだった。
  「花穂、大丈夫か?」
   つい聞いてしまう。さすがにそれを止めるのも変に思われるので誰も止めなかった。
  「うん、平気」
   やはり花穂らしくない事務的な口調だった。
  「……花穂、32×23は?」
  「736」
   ほとんど電卓並みの速さだった。
  「ん、えーっと……」
  「あってるよ」
   質問した勝実が悩んでいる間に、千影がそう言う。勝実は大きくショックを受けた。
  「そんなバカな……。あの一学期算数の5段階評価で成績、きっとかろうじて2だった花穂がこんなに早く暗算できるなんて。
  しかもいつもだったら、掛け算なのに指折り数えてみたり、分かんなくて、『えーん、お兄ちゃまの意地悪ぅ』とか言ってきたり、
  挙句の果てに電卓使ってるのに計算結果が違うなんてことが日常茶飯事なのに!!」
  「酷評ね……」
   さすがの咲耶もあきれていた。
   ここまで言えば、花穂は頬を膨らませて怒るか、泣き出すかしそうなものだったが、実際にはどちらでもなかった。
  「………………」
   全く無反応。これには全員、たとえ花穂がどういう状況にいるか知っていてもあ然とした。そしてみなが注目していても、ただ
  黙って食事を済ましていく。勝実は絶叫した。
  「こんなの花穂じゃなーい。嫌だ、絶対何かあったんだ。ごめんよ花穂、俺が悪かった。もう一度やり直そう、まだ間に合うよな、
  な?」
   首を大きく振りながら、勝実は立ち上がった。そして花穂に大げさに頭を下げたりしてみるが、花穂は見向きもしなかった。いつ
  もはマイペースな勝実だが、妹が普段と違った様子を見せると動揺するらしかった。
  「…………お兄ちゃま、静かにしたほうがいいよ」
  「そんなぁ……」
   何の感情もなく、花穂は告げた。花穂は相当怒っているのだ。勝実はそう思った。
  「そーか、分かったぞ。鈴凛、小遣いやるからお前ちゃんと謝れ」
  「えー、額にもよるなぁ」
   突然に指名がかかった鈴凛だったが、特に悪びれた様子もなくそう言った。しかし、勝実はそんなことは聞いていなかった。
  「いや、千影だな。だから生き血を要求するのは俺だけにしとけっていったのに」
  「兄くんから……搾取できる量には……限界があるんだよ」
  「ここは意表をついて雛子だな。おやつなら俺のをあげるから他の人のはとっちゃダメだぞ」
  「ヒナ、そんなことしないよぉ」
  「いや、鞠絵という可能性も否定できない。花穂に何したかちょっと分からないが、とにかくダメだろ」
  「兄上様……訳も分からず疑うんですか?」
  「そうは言っても春歌、長刀は人に向けるんじゃない、竹光ぐらいにランクを押さえろ」
  「そんなこといたしませんわっ」
   勝実は、とにかく全員に嫌疑をかけまくった。しかし、亞里亞にだけは『甘いものを食べ過ぎるのは止めろ』と言うにとどまった。
  それでも亞里亞は泣きそうになったが。

  「もーダメだぁぁぁぁ。花穂は俺の知らない世界にいっちまったんだぁぁぁぁ」
   結局容疑者を挙げることができず、勝実は机に突っ伏した。もともと妹の中には直接の原因となる人物はないのだから当たり前の
  ことだが。
  「ごちそうさま」
   そして、嘆き悲しむ兄を尻目に花穂は一人ちゃっちゃと食器を片付け始めた。
  「どうしようどうしよう、おたおた」
   自分でおたおたと言っているあたり重症である。
  「お、お兄ちゃん、落ちついてよ」
   さすがに勝実がここまで動揺するとは予想外だった。隣にいた可憐が勝実を落ち着かせようとするが、かえって逆効果だった。
  「これが落ちついてられるか? 花穂が花穂じゃなくなっちゃったんだぞ。我が家で3番目ぐらいの一大事だぞ」
   ちなみに1番は千影主催の魔界旅行2泊3日。2番はメカ鈴凛暴走による家屋大破である。まあ他にもいろいろあるが。
  「ああ、どうしよう。何に怒ってるんだろう?」
   そうこうしているうちに、花穂は台所を出て行ってしまった。
  「ああ、花穂ぉ」
   相当情けない声をあげ、勝実は花穂を呼び止めるが、花穂は聞こえていないかのように出ていってしまう。
  「なあ、お前達心当たりないのか?」
   涙声で聞く勝実から、みなは微妙に視線をそらした。普段ならその様子を鋭く察知する勝実だったが、今冷静な判断力を求めると
  言うのも酷というものだろう。
  「……兄くん、どうだろう……。……私たちが何とかするから…………私たちの願いを聞いてくれないか……1人1つずつ」
   ここぞとばかりに、千影はそんな要求をした。いまなら無条件で受けてくれるだろうという判断だろう。案の定、勝実は二つ返事
  で了承した。

   千影、花穂、四葉を除いた9人により盛大なジャンケン大会を決行した結果、衛が勝実を外に連れ出す役に決定した。読みあい、
  はったり、遅出しなどが交錯し、30回ほどの死闘を演じたことは言うまでもない。
  「ほら、あにぃ、早く行こうよ」
   衛はちょっとしたデート気分だ。
  「じゃあ、めどがついたら携帯に入れてくれよ、すぐだぞ。もったいぶっちゃやだぞ」
  「ああ、分かっているから…………早く行ってくれないか?」
  「……俺、邪魔か?」
  「お兄様、これは女の子同士の話し合いが必要なの。分かって」
  「そうか……」
   しぶしぶながら了承すると、衛と手をつないで出かけていった。
  「ふー……兄くんがあそこまで取り乱すとはね……」
  「でもおかげでお願い1つできるじゃない」
  「花穂くんを戻せたらの…………話だよ」
  「それはあなたの仕事でしょ?」
  「それは……都合が良すぎないかい?」
  「気のせいよ」
   千影のため息と、咲耶が玄関を開けて家に入るのは同時だった。

  「……と言うわけだ……事情は分かったかな?」
  「うー、分かるけどぉ……」
   千影は改めて四葉に事態のややこしさを説明した。
  「なんで四葉なの?」
  「きみがキスしてしまったんだから…………仕方ないだろ?」
  「うぅ……」
   相当へこんでしまったのか、四葉は唸って、そのまま黙り込んでしまう。
  「いっそこのまま強引にキスさせたら?」
   投げやりな口調の咲耶に、千影は首を振る。
  「いや………ある程度……意思が必要なんだよ」
  「四葉ちゃんが自分でキスするって思わなきゃダメってこと?」
  「これは仕方ないこと…………ぐらいの気持ちでいいんだけどね……」
   可憐の質問に答え、千影は四葉に問い掛ける。
  「このことについては……誰にも言わない。……もちろん、今後話題にもしない……。それともきみは……兄くんがこのことを
  知って……花穂くんとキスしてしまってもいいのかい?」
  「くすん……四葉姉や、頑張って」
   なぜか先に亞里亞が反応したりしたが、当の四葉はうなだれたままだった。
   重苦しい雰囲気がみなにのしかかる。
  「千影姉さま、花穂ちゃんはあとどのくらい大丈夫ですの?」
   気になって白雪が尋ねると、千影は少々表情をゆがめた。
  「卵を割ってから約4時間……それで偽物は消滅する」
  「じゃあこのままでもよろしいのでは?」
   春歌が言うが、やはり千影は苦々しい表情を崩さなかった。
  「吸われた感情は……戻らない」
  「あの、お話によると……5時ごろ割ったんですよね、卵?」
   鞠絵が言い、みなが時計を見る。
   7時5分。
   残り約2時間。
   それまでに四葉をその気にさせて花穂にキスさせなければならない。ちなみに自分が代わりになろうと言う殊勝な心がけは他の
  妹達にはない。
  「……お兄ちゃま」
   ぼそっと、四葉がそう言ったのを誰も聞いていなかった。

   その頃。
  「……チェックメイト」
  「……………」
   花穂の付き添いの鈴凛は、花穂とチェスをやっていたりした。
  「……今日の花穂……何かが違う」
   第1回家族内チェス大会で優勝した自分が、なぜたったの10手で花穂にチェックメイトされるのか、鈴凛は愕然として投了した。

   さらにその頃。
  「おお、そういえば忘れ物がっ」
  「あにぃ、まだ戻っちゃダメだよ!!」
    あの手この手で家の様子を見に戻りたがる勝実相手に、衛は一人頑張っていた。
  「バニラのしらみつぶしを」
  「そんなのあとでいいってばぁ」
  「目覚し時計の時間合わせなきゃ」
  「寝る前でいいよぉ!!」
  「新500玉が急に見たくなった!!」
  「あにぃ、お願いだから駅前行こうよぉ」
   頑張れ衛。               (続く)



あとがき また続きます。おかしいなぁ……。 意外なキャラに育ってしまった勝実が全部悪いんです。 今回勝実中心で回ってますもん、お話。 次回はきっとシリアスな展開にびっくり……だといいなぁ。 サブタイトルに意味はありません、ええ、まったく。

葉坂沙希也さんへの感想はこちら hasakasakiya@hotmail.com back top next