リボンつきの翼
第七話「日溜まりに眠る狼」
作者 ファルクラムさん
1
…………
…………
…………だるい…………
……何だ……このだるさは?……
……目を開けていられない……
……体を起こすのもつらい……
…………
……でも……
……何だか…………とても気分が良い……
……ずっとこのままでいたい……
……このまま…………この日溜まりの中に横たわっていれたら……
……でも……俺は……行かなくちゃいけない……俺が来るのを待ている人がいるから……
「お兄ちゃん、おはようございます。」
上杉葵は、ゆっくりと目を開いた。
そこは、普段見慣れた宿舎の天井ではないし、南方戦線時代に何度か味わった事のある、屋外の青空でもない。
ノースポイント連邦最南端の都市、マリナーシティ、スタールックヒルにある上杉家、つまり葵の実家である。
『そうか……俺は帰ってきてたんだ……』
コンベース港襲撃によってエイギル艦隊が壊滅し当面の危機が去った事から、ISAF上層部は、一般兵士達に交代で休暇を与えていた。それを利用して葵は、約1年半ぶりに自分が生まれ育った家へと帰ってきた。
そして今、ベットの傍らには葵の6番目の妹、上杉可憐が立っていた。
清潔感漂うロングストレートの黒髪と、これは全員に共通して送られた大きな瞳が、嬉しそうに輝いている。
「……おはよう、可憐。」
そう言って、可憐に微笑む。
「久しぶりだな。可憐のモーニングコールに起こされるなんて。」
そう言って葵は、可憐の頬を優しく撫でる。
「えへへ。」
可憐も嬉しそうに笑うと、そっと兄の手に自分の手を重ねた。
「着替えたら、リビングに来てくださいね。みんな待ってるから。」
「ああ、すぐ行くよ。」
可憐が部屋を出ていったのを確認してから、葵は手早く着替えを始めた。
着替えを終えた葵が階段を降りていくと、鉢植えの花に水をやっている少女がいた。
ショートカットにした髪をヘアバンドで止めたその少女に、葵は後ろからそっと近付いた。
「おはよう、花穂。」
花穂と呼ばれた少女は、首を回して振り返った。
「あっ、お兄ちゃま。おはよう!!」
そう言って、葵に笑顔を見せる。彼女は葵の10番目の妹に当たる。
「花の世話、がんばってるんだな。」
葵は、階段の下に並べられた鉢植えの列を見て言った。
花穂は小さい頃から花が好きで、葵と共に暮らすようになってからもこうして花の手入れを怠った事はない。
「うん。花穂ね、がんばってお花さんの面倒見てるんだよ。」
「そうか。花穂は偉いな。」
そう言って葵は、花穂の頭を撫でてやる。
「えへへ、お兄ちゃまに誉められちゃった。」
花穂も、嬉しそうに顔を赤らめる。
その時だった。
「おっはよう!おにいたま!!」
元気な声と共に、葵の背中に飛びついて来た小さな影があった。
やや金色掛かったショートヘアをツインテールにしているその少女は、1番下の妹で上杉雛子と言う。
「こらこら、重いよ雛子。」
葵は苦笑しながら、背中の雛子を床に下ろす。
「おにいたま、あのねあのね、ヒナと、雪合戦しよう!!」
そう言って雛子は、葵の袖を引っ張りながら外の方を差す。
外は昨日からの雪で、一面銀世界と化していた。
「ご飯は食べたのか、雛子?」
葵は腰をかがめて、雛子の視線まで降りて話し掛けた。
「ううん。ヒナまだ食べてないよ。」
「じゃあ、食べる方が先だ。」
「は〜い。」
雛子の返事を聞いて葵は頷くと、花穂、雛子と共にリビングの入り口をくぐった。
そこへ、入り口に一番近い席に座っていた青い髪をアップにまとめた少女が、こちらを振り返ってニッコリ微笑んだ。
「にいや。」
その静かな、そしてどこか暖かみのある声に、葵も笑みを返した。
「おはよう、亞里亞。」
彼女は11番目の妹、上杉亞里亞である。
葵は座っている亞里亞に近付くと、その頭をそっと撫でる。
「ご飯は、まだ食べてないのか亞里亞?」
「亞里亞〜、おなかペコペコ〜」
「そうか、じゃあ、一緒に食べよう。」
「うん。」
亞里亞は、幸せそうに微笑んだ。
その時キッチンに続く扉が開いて、セミロングの髪にカールを掛けた少女が入って来た。
「にいさま、おっはようですの!!」
手に湯気の立つ料理をいっぱい持った少女は上杉家九女、上杉白雪である。趣味は料理研究と実践で、彼女が上杉家の調理場責任者と言って良かった。
「おはよう白雪、今日のメニューは何だ?」
「今日のメニューはにいさまの大好きな、姫特製鹿肉のクリームシチューですの。」
それを聞いて、葵の顔は見て分かるほどの笑みが広がった。
「俺の好み、憶えていてくれたのか。」
「当然ですの。姫はにいさまの好きな食材は全て暗記しているんですの。」
それを聞いて、葵は苦笑した。
これまでほとんど会えなかった妹達と、久しぶりに同じ時間を共用できた事が、今の葵には嬉しかった。
と、その時、背後で人1人分の質量が動いたような気配があり、葵は振り返った。
そこには、一人の妙齢の女性が立っていた。
露に濡れたような長い黒髪を一本にまとめ、細い肩に垂らしている。その顔には穏やかな陽光を思わせる微笑が湛えられていた。
「あら葵、おはよう。」
「おはよう……母さん。」
彼女が葵の母親で、上杉愛。その他にも、咲耶、可憐、花穂、雛子の直接的な母親でもある。つまり、この4人と葵は完全に血が繋がっている事になる。
ちなみに愛は既に40を越えた年齢なのだが、特別若作りをしているわけではないのに、葵と並んで歩くとよく、姉弟に間違われる。つまり、それだけ見た目が若いのだ。恐らく20代後半だと言っても、充分信じてもらえるだろう。
「もうちょっと、ゆっくり寝てても良かったのよ?」
愛はおっとりした調子で言った。
「そうもいかないさ。久しぶりの休みなんだ、みんなと少し遊んでやらないと。」
そう言うと葵は右手で亞里亞の、左手で雛子の頭を優しく撫でる。
「そう。」
愛は小首をかしげるような仕草で、ニッコリ笑った。
「そうそう、葵。」
愛は何かを思い出したように、話題を変えた。
「何?」
「今度ね、千影ちゃんや鈴凛ちゃん達のお母さんも呼んで一緒に暮らそうと思うんだけど、葵はどう思う?」
「え?」
葵はまじまじと母の顔を見た。
「いや、俺は構わないけど、他の人はどう言ってるんだ?」
「うん、みんな賛成してくれてるわ。」
「…………」
それを聞いて葵は、呆れつつも苦笑を返した。この母は、こんなおっとりした性格のお陰でこれまでの人生でまったく敵を作ってこなかったらしい。葵は、こんな所が母の美点であると思うし、同時に尊敬に値する点であると思う。
「じゃあ、良いんじゃないか?」
「そう、良かった。」
そう言うと、愛はもう一度微笑んだ。
それから葵に続くように、衛、咲耶、千影、鈴凛、春歌が降りてきて、久しぶりに上杉家の食卓はにぎやかな物となった。
しかしそんな中で、葵は物足りなさを感じずに這いられなかった。
ほんの数年前までは、当たり前のように目の前の光景の中に溶け込んでいた2色の色が、今の葵の視界には決定的に欠けていたからだ。
『兄上様、おはようございます。』
『兄チャマ、チェキよ!!』
『…………鞠絵…………四葉…………』
上杉家の日常的な風景は12人の妹全員が揃って、初めて完成する。2人がいなくなってから、葵はその事を強く思うようになってきていた。
そんな葵にとって唯一救いであるのは、鞠絵と四葉がサンサルバジオンで生存している事が確かな筋から確認されている事だけだった。
2人がレジスタンスに身を投じ諜報破壊活動を行っている事は、工作員からの定時連絡で聞いている。その事は、葵を安堵させると同時に、激しい不安を呼び起こしていた。
サンサルバジオンはエルジア軍の制圧下にある。今この瞬間にも、2人の身に危険が迫っていないという保証はないのだ。
もし叶うならば、今すぐフランカーでサンサルバジオンまで飛んでいきたい。後の事など考えられない。行って、自分の手で2人を守ってやりたい。
しかしそれができない事は、葵自身が誰よりも分かっていた。
「…………いさま……にいさま!!」
白雪に呼ばれて、葵は我に返った。
「……ん……ああ、どうした白雪?」
「『どうした白雪?』じゃないですの。せっかく兄様の為に、食後のミルクティーを入れてあげたのに、いらないんですの?」
「いや、もらうよ。」
そう言うと、葵は白雪からティーカップを受け取った。
「どうかしたのですか、兄君様?お顔の色が優れませんが?」
そんな葵の様子を心配して、春歌が声を掛けた。
「いや、何でもないよ。」
そう言うと葵は、自身の動揺をごまかすように微笑んだ。
一通り食事を終えた葵は、2階の隅にある小さな部屋に入った。
そこは普段、物置として使っているのだが、葵の用事はその部屋自体ではなく、その部屋の中にある屋根裏へと続く階段だった。
恐らくここ何年も掃除をしていないであろう誇りの山に顔をしかめながら、葵は階段の上まで登っていった。
そこでは、上杉家執事の吉田が、膨大な量のノートの山に埋もれてういた。
「これは葵様。」
葵の存在に気付いた吉田は、顔を上げて微笑む。
「気付きもせず、誠に申し訳ありません。」
「いえ。」
吉田に答えてから、葵は壁一面に積まれたダンボールの山を見やった。
「まさか……これ全部、親父の日記帳ですか?」
「はい。」
吉田は額の汗を拭きながら、答えた。
「何しろ、旦那様が幼少の頃からお書きになられた日記ですので。このように膨大な数となってしまったのでしょう。」
「女ったらしのくせに、妙な所が几帳面でしたからね。」
そう言って、葵は苦笑した。
「それで、問題の日記というのは?」
「はい、こちらです。」
そう言うと吉田は、手元の日記帳を開いて見せた。
「…………」
葵は、素早くその文面に目を走らせる。
『……私は罪と知りつつもこの子を連れて帰らずにはいられなかった。多くの難民達の中で、この子だけが助かって良い道理はない。しかし、ここで私に出会えた事は、この子にとってわずかに残された幸運であり、最後の希望である事は間違い無い。せめてこれからのこの子の人生に、亡くなった両親の分の幸せが降りてくる事を切に願う次第である。』
そこには、確かにそう書かれていた。
間違いなく、父親が難民の子供を拾った事を示唆している。
葵は日付に目をやると、ちょうど10年前の日付になっている。と言う事は、史上最大最悪の難民問題を作り出したユリシーズ落下以前の難民であるから、父親がどこかの紛争地帯をまわっている時の出来事だろう。
ユリシーズ落下以前のユージア大陸は、いくつかの国家の軍事バランスによって、武装中立による均衡が起こっていた。しかしそれはあくまでも表面上の事で、もともと食糧難にあえいでいた南方の小国家などでは、さまざまな国境紛争が勃発していた。外交官だった父親も、当然それらの国に足を運んだ事があるはずだから、その頃の話なのだろう。
「その後の進展は?」
「いえ、何も。」
「……そうですか。」
葵は、口に手を当てて床に目をやる。物を考える時の葵の癖である。
「…………ちょっと、方向性を変えてみましょう。」
「と、おっしゃりますと?」
吉田は、葵の言葉に聞き入る。
「兄妹全員の出身国を、ピックアップするんです。これは、引越した際の戸籍登録証に書かれているはずだから、すぐに分かるはずです。」
「分かりました。たしか、葵様、咲耶様、可憐様、花穂様、雛子様はノースポイントでお生まれになったはずです。これには私も立ち会いましたので間違いありません。それ以外の方と言う事になりますな。」
「ええ。おねがいします。」
葵と吉田の話が一区切りついた時だった、階段の方から雛子が顔を出した。
「あ、おにいたまこんな所にいたんだ。早くお外で遊ぼうよう!」
そんな雛子に、葵は優しく微笑む。
「ああ、そうだな。雛子。」
葵は、もう一度吉田に振り返った。
「それでは、お願いします。」
「かしこまりました。」
外に出でた葵は、ふと、空を見上げた。
灰色の天からは、いつ尽きるとも知れない純白の精霊が、ふわりふわりと舞い下りてくる。
この雪は、やがて春が来れば止むだろう。しかし、自分のこ心の中に降る雪は、やむ事があるのだろうか。
葵は、両手を広げて舞い落ちる雪を全身で受け止める。
「何をなさっているの、お兄様?」
そんな葵を見て、咲耶が話し掛ける。
「いや、この雪は、いつ解けるのかって考えていたんだ。」
「お兄様どうしちゃたの?まだ12月よ。春はまだ先よ。」
咲耶は、葵の顔を怪訝そうに眺める。
それを聞いて葵は、一瞬呆けたような顔をしたが、すぐにフッと笑った。
「そうだな…………まだ、先の話だ。」
そう言うと葵は歩き出した。自分を包む日溜まりの中を、ゆっくりと。
第七話「日溜まりに眠る狼」 終わり
あとがき
え〜と、初めてドンパチ無しで書いてみました。うまくできたか自信はありませんが、何とかがんばって書いてみたつもりです。次回は、初めてオリジナルバトルシーンを書いてみたいと思っております。どうか、ご期待ください。それでは、また。
ファルクラム
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