リボンつきの翼
第二十八話「今は、おやすみ」
作者 ファルクラムさん
1
戦いは、終わった。
ファーバンティ攻防戦終結より三日後、ISAF総司令部より通告された無条件降伏をエルジア帝国臨時行政府が正式に受け入れたことにより、各戦線で戦っている両軍の兵士達は、一斉に武器を置いた。
しかし、終戦したと言っても、戦線はユージア大陸一帯に広がっている。エルジア本土の前線はもちろん、アルトーラ、コフィンブルク、フェイスパークなど、戦線後方に取り残されたエルジア軍兵士達がゲリラ化し、今も戦い続けている。これらを平定するにはまだ時間が必要に思われた。
が、何はともあれ、戦争は終わった。多くの戦いを死ぬような思いで生き抜いた兵士達は、傷付いた心と体を癒すように、母なる大地へとその身を横たえた。
それから、一週間が過ぎた。
「はい、お兄様、あ〜ん、して。」
「・・・・・・・・・・・・」
葵は、無言のまま自分にスプーンを差し出してくる咲耶を見返した。それに対して咲耶は、眩しいばかりの笑顔を葵に投げかけてくる。
黄色の13、村岡虎太郎との対決に辛うじて勝利した葵は、基地に帰還後、すぐに救急車に乗せられて近くの野戦病院へと搬送された。幸いな事に傷はそれほど深くなく、大事には至らなかったが、右腕と側頭部に裂傷を負い、全治二週間と診断された。今、裂傷を負った右腕と頭部には痛々しい包帯が巻かれている。特に右腕は葵の利き腕である為、私生活上でも不都合が生じていた。
それを黙って見ているはずが無いのは、妹たちである。毎日毎日、我先にと葵の部屋に押しかけては、こうして世話を焼いている訳である。
「はい、お兄様、あ〜ん。」
「・・・・・・・・・・・・」
再度差し出されたスプーンを、葵は無言のまま見つめる。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「いや、せっかくだがな咲耶。」
「なあに、お兄様?」
咲耶はスプーンを掲げたまま聞き返す。
「スプーンくらい左手でも使えるんだが・・・・・・」
「いいじゃないのたまには。」
あっさりと言う咲耶。
「それに、こんな時くらいじゃないとお兄様のお世話ができないじゃない。」
「あのなあ・・・・・・・」
目的と手段が完全に逆転している咲耶に向かって、葵が呆れて何かを言おうとした時だった。突然扉が開き、お盆を持った春歌が入ってきた。
「兄君様、食後にお紅茶などいかがですか?気分が落ち着くミルクティーを用意してみました。」
そう言って、春歌は机の上にお盆を置いて紅茶の準備をする。スーッと胸の中まで満たされるような香りが、室内を優しく染め上げていく。
それに対し葵は、頭を抱えたい心境だった。
「あのなお前等。俺は別に起きることができないような重病人でもないんだぞ。何もそこまでやってもらう必要は無い。」
「いけませんわ兄君様!!」
春歌が強い調子で、葵の言葉を遮る。その声に、思わず葵は目を丸くする。そこへ春歌が畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「いいですか兄君様。兄君様は上杉家の長男であり嫡男であらせられます。その兄君様の身に万が一のことがあれば、上杉家の行く末は闇に沈むのと同じです。ですから、私たちが誠心誠意、一致団結して兄君様をお守りする。これは上杉葵の妹として産まれた者として当然の義務であり、必然のありようなのです。そもそも上杉家は・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・茶がうまいな。咲耶。」
「そうねえ、お兄様。」
明らかに脱線傾向にある春歌を無視して、紅茶を啜る葵と咲耶。
そこへ、再び扉が開いた。
「兄くん。怪我に利く薬を調合してみたんだが、試してみるかい?」
「兄上様、お暇だろうと思いまして、本をお持ちしました。」
「ワフ!!」
扉の外には、千影と鞠絵、そしてミカエルの姿があった。
鞠絵は、ファーバンティ陥落の報を聞くとすぐに、四葉と共にサンサルバジオンからっやってきたのだ。といっても終戦直後である。まともな移動手段などあるはずも無く、レジスタンス時代のつてで、ファーバンティに物資を運ぶトラックに便乗させてもらい、ウィスキー回廊を走破してようやくやって来たのだ。
ミカエルは嬉しそうに吠えると、ベッドで寝ている葵の上に飛び乗り、その顔を嘗め回す。
「こっ、こらミカエル!よせって!」
くすぐったそうに片目をつぶって笑う葵。ついこの間までは、信じられないような光景だった。
それを見て鞠絵は、可笑しそうに微笑む。
「ミカエルも、久しぶりに兄上様にお会いできて、はしゃいでいるんですよ。」
「笑ってないで何とかしてくれ鞠絵。」
情けない声を上げる葵の顔を、ミカエルはなおも嘗め続ける。
そんな葵の傍らに、千影が立った。
「元気そうで何よりだよ・・・・・・兄くん。」
「千影・・・・・・」
千影の声を聞いて、何かしら背中に冷たい物を感じた葵は、冷や汗をたらしながらその顔を見上げる。
「ところで兄くん。」
「何だ?」
答える葵に、千影は小さなクスリ瓶を差し出してくる。その中には黄色とも赤とも付かない怪しげな色をした液体が満たされている。
「また、いい薬ができたんだ。使ってみてくれないか?」
「断る。」(即答)
「まあ、そう言わずに。遠慮することは無いんだよ。」
「断るったら、断る。お前が持ってきた薬は飲めばろくなことが起こらない。この間は幽体離脱して自分の目で自分の顔を直接眺めるって言う稀有な体験をしてしまうし、その前はどっかの川の向こうで信悟と高士が手ぇ振ってるのが見えたし。せっかく戦争に生き残ったのに、お前は俺を殺す気か!?」
「それは、兄くんが薬を飲んでしまうからだよ。これは塗り薬なんだから。」
「いや、そういう事は先に言えよ!!」
「塗り薬を飲んで平気で生きている兄くんに、私も少々驚いてるんだが・・・・・・」
いや、それ以前に素直に飲む方もどうかしている気がするのだが。
そんな葵を無視して、千影は再度薬を差し出してくる。
「さあ、今度は大丈夫だよね。兄くん。」
葵は千影が差し出した薬をもう一度眺める。・・・・・・何度眺めても怪しさは拭えない。そもそもなぜ黄色なのだ?まるで子供の頃やったRPGに出てきたスライムを連想させる色だ。
「いや、やっぱ断る。」
千影には悪いが、どう考えても体にプラスになるとは思えなかった。
その時だった、三度扉が開かれ、今度はメカ鈴凛を伴った鈴凛が入ってきた。
「ヤッホーアニキ!!ご機嫌いかが?」
葵はその声に頭を抱えたくなった。どうしてこう、うちの妹達はテンションが高いのだろう?
そんな葵の横に鈴凛が駆け寄る。
「お、何か調子よさそうじゃん。」
「まっ、まあな。」
そう答えて葵は視線をそらす。葵には、この後鈴凛が何を言い出すのか容易に想像が付いた。なぜならこの数日、鈴凛は葵の部屋に押しかけては同じ言葉を繰り返しているからだ。」
「と・こ・ろ・で・さ、アニキ。」
「なっ、何だ?」
葵は気持ち引きながら、聞き返す。
「今度さ、戦闘機につける新型のレーダー作ってみようと思うんだ。」
「ほっ、ほう・・・・・・」
「もう、すんごいんだよ。戦闘機のレーダーなのに、性能は地上基地とほぼ同等なんだ。」
「そっ、それはすごいな・・・・・・」
「だ・か・ら、お小遣い頂戴!!」
「駄目。」(即答)
「え〜、何で?良いじゃん。」
「駄目なものは駄目。」
葵は、この話はこれでおしまいとばかりに、鈴凛から視線をそらす。
どうも最近、葵は妹達のこういった要求を拒否できなくなってきている。ちょっと前までならば、このような事はなかったのに。
葵は忘れてしまっているが、この光景は葵達がまだ子供だった頃、日常的に見られた光景だった。まだ戦争がなく、ユリシーズ来襲もなかった頃の平和で、平凡で、少しだけ騒々しい日常。戦争が終わった事で、ひょっとしたら葵の精神はその頃に回帰しつつあるのかもしれなかった。
そこへ、葵にとっての救いの女神がようやく降臨した。
「みんな何やってんの!!」
いきなりの声に一同が振り返ると、そこには腰に手を当てた衛が、戸口で仁王立ちしていた。
「まったく、ちょっとボクが目を離せばみんなして葵の部屋に押しかけて騒いじゃって。葵はまだ怪我が完治してないんだから、あんまり刺激しちゃ駄目だって軍医さんだって言ってたんだよ!!」
「「「「「ごっ、ごめん。」」」」」
衛の剣幕に、取り合えず謝る一同。しかしほとぼりが冷めると、すぐにまた同じような光景が繰り広げられることになる。その繰り返しだった。
「・・・・・・まったく。」
衛は深々と溜息をついた。
衛が実は血が繋がっていないということは、今いる人間には既に話していた。さすがに話を聞いたときは皆ショックを受けていたようだが、結局のところ、「それでも衛は衛だから」というところで落ち着いたらしい。
問題はその後だった。
葵は続いて、自分と衛が付き合っていると言う事も告白した。
その瞬間、あたりの空気は確実に三℃は下がった。同時に、部屋の壁には大きな亀裂が入った(様な気がした)。その後葵と衛は数日間に渡って、他のみんなから白い目で見られたことは言うまでもない。
そんな紆余曲折を経て、現状に至っている。
一応、全員が集まったところで、葵はふと気付いたことを口にした。
「そう言えば、」
葵の言葉に、一同は一斉に振り返る。
「四葉はどうしたんだ?」
鞠絵とともにレジスタンスに加わっていた四葉も、同じようにこのファーバンティに来ていた。しかし今、その姿がないことに葵は違和感を感じていた。
「そう言えば、朝から見てないね。」
衛もそう言って首を傾げる。
そんな二人の言葉に、鞠絵がやや俯きげな表情で答えた。
「四葉ちゃんなら、病院の方に・・・・・・」
その鞠絵の言葉に、一同は得心が言った。
「なるほど。あいつの所に行ったのか。」
そう言うと、葵の表情も僅かに曇りを帯びる。今、病院には四葉の知り合いが入院している。そしてその入院には、葵達も少なからず係わっていたのだ。
2
最終決戦場となったファーバンティ市街地は、どこもかしこも瓦礫の山と化し、さながらゴーストタウンの様相を呈していた。特に、ISAFがその作戦の主目標とした水路に掛かる橋は、そのほとんどが爆撃によって落とされ、一般人通行の妨げとなっていた。
そのゴーストタウンと化した市街地を抜けて、上杉四葉は目指す場所に辿り着いた。
ファーバンティ帝立大学付属病院、ここに、戦闘で負傷した四葉の知り合いが入院していた。
四葉の顔には笑顔がある。知らせを聞いた時にはまさかと思ったが、つい先日見舞いに来て、それが本人であると確信した。あの絶望的な状況の中で、彼だけでも生きていたことは、四葉にとって大きな救いだった。自然、足取りも軽くなる。
その手には少し大きめのバスケットがある。中身は、見舞い用のフルーツと、朝から春歌に手伝ってもらって作った弁当が入っている。
「喜んでくれるかな?」
そう言って「クフフ」と笑う四葉。
と、四葉が進む進路上に、突然人影が飛び込んできた。
「あっ、危ない!!」
四葉はとっさに急ブレーキを掛けようとしたが、間に合わず、その人物とまともにぶつかってしまった。
地面に転がる四葉。しかし、何とか手の中のバスケットだけは抱え込んで死守する。
中身が無事なのを確認した四葉は、慌てて相手に駆け寄る。
「だっ、大丈夫ですか?」
相手の方も、とっさに四葉がブレーキを掛けたことで、大した事はないようだ。よく見ると相手はパジャマを着た女性で、年の頃は二十代前半といった感じだろうか?松葉杖を一本持っていることから、足が不自由であるということが分かる。その顔はどこか愛嬌を感じさせるものながら、大きな瞳を中心に整っており、相当な美人であることが分かる。ただ、そのチャームポイントとも言うべき瞳のうち、右目は痛々しく包帯で覆われ、見ることが出来なくなっていた。さらにパジャマの右袖は力なくダラリと下がり、そこに本来あるべき物が欠落している事を如実に表している。
「あはは、ごめんね。ちょっとボ〜ッとしてたよ。」
そう言って女性は立ち上がろうとする。が、足に力が入らず膝から崩れ掛けそうなところを、四葉が慌てて支えてやる。
「あの、ほんと大丈夫ですか?」
「ん、平気平気。」
そう言って手を振る女性に、四葉は松葉杖を取ってやる。
「ありがとう。」
そう言って女性は杖を受け取り、ニッコリ微笑む。
そんな女性に、四葉は深々と頭を下げる。
「あの、ほんとすいませんでした。四葉のゼンポウフチュウイでした。」
「良いって良いって!あたしも考え事してたんだから、お互い様。」
そう言った女性の目に、四葉の手の中にあるバスケットが映った。
「ひょっとして、誰かのお見舞い?」
四葉は一瞬キョトンとしたが、すぐに質問の意味を理解し頷く。
「はい。知り合いの人が入院しているので、お見舞いに来たんです。」
「ふ〜ん。」
そう言って女性は、口元に微笑を浮かべる。
「うちのあんちゃんもさ、今日見舞いに来るはずなんだけど、朝のうちに来るって言ってたくせにま〜だ来ないんだよね。」
「お兄さんですか?」
「そ、あれはあれで軍の重責だから、忙しいのは分かるんだけどね。これでもたった一人の妹なんだから、一緒にいれる時間をもっと大切にして欲しいんだけどね。」
「へえ、お兄さんは軍人さんですか。四葉の兄チャマも、実は軍人さんなのです。」
「そりゃ奇遇。どこの軍隊?うちのあんちゃんとあたしは海軍だけど。と言っても、あたしはこんなだから除隊だけどね。」
そう言って女性は目を細めて笑う。
「四葉の兄チャマは空軍です。」
「へえ、空軍の。よく生き残ったね。」
「どういう事ですか?」
女性の言葉の意味が分からず、四葉はキョトンとする。
それに対して女性は、少し視線を逸らして話し始めた。
「空軍はさ、あたしら海軍や陸軍と違って、開戦した頃からISAFの主力を担ってきたの。当然、消耗率も激しくて、たくさんの人達が死んだって聞いている。そんな中で生き残れたんだから、あんたのお兄さんは大した強運の持ち主だよ。」
そう言うと女性は、四葉の頭に手を伸ばす。
「大事にしてやんなさいよ。」
「はい。」
四葉も微笑を浮かべて頷く。そこでふと、四葉は頭に浮かんだ疑問を口にした。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「ん、何?」
四葉は女性の全身を眺め回してから聞いた。
「どうして、そんな大怪我しちゃったんですか?」
「へ?」
質問の意味が分からず、女性は聞き返す。
「だって、」
そう呟く四葉の視線の先には、中身を失った右袖がある。
それを見て女性は、クスリと笑って答えた。
「戦艦相手に身一つで喧嘩売った。」
「え?」
あまりの答に、四葉は目を丸くする。その様子が余程可笑しかったのか、女性は身を折って笑った。
「ま、んな事やってこうして生きてんだからさ、あたしも案外タフだよね。」
そう言ってから、女性はふと、さびしそうな表情をした。
「ホント言うとね、その時、あたしは死んだと思ったんだ。でもさ、目が見えなくなって、とっさに引っ張ったレバーが、射出座席のレバーだったらしくてさ、何となく助かっちゃった。」
そう言って女性は、カラカラと笑った。
それに対して四葉は今だに目を丸くしている。
「そっ、そんな事があったんですか・・・・・・・・・・・・」
「ま、あたしもたいがい、強運の持ち主なわけでさ。あ、でも、これで人生の運を全部使い果たしてなけりゃあ良いけど。」
「大丈夫ですよ。」
そんな女性の言葉に、四葉は答える。
「今まで戦争で大変だったんですから、こんな事で運をみんな取り上げちゃうほど、神様は意地悪じゃないはずです。」
「そだね。」
そう言って二人は、互いに笑いあった。
その時、看護婦の一人が二人の方に走ってくるのが見えた。
「いたいた。山神さん。お兄さんがお見えになりましたよ。」
「やっと来たか。」
そう言うと、女性は立ち上がる。
「じゃっ、あたし行くね。お兄さんによろしく。」
そう言うと女性は松葉杖を着きながら歩いていった。それを手を振りながら見送ってから、四葉も立ち上がる。
「じゃ、四葉も行くとするです。」
そう言うと四葉も、院内に向かって歩き出した。
正面玄関から中に入り、エレベータに乗ろうとしたが、既に満員の兆しがあったので諦め、その横にある階段を使う。
今でこそ野戦病院の延長と化しているが、元が大学病院だけに、内装の造りにも気が回され、入院患者の心に安らぎを与えるようなベージュや水色で統一されていた。
四葉が目指す病室は三階にあった。
開いたドアからそっと覗き込むと、目当ての人物はベッドから起き上がり、ベランダに出て空を眺めていた。
四葉は悪戯っぽい笑みを浮かべると、足音を忍ばせてそっと対象人物の背後から近づく。
とっ、
「上杉か?」
「チェキッ!?」
相手は振り返りもせずに四葉の接近を感知して見せた。
「も〜!どうして分かっちゃうんですか?」
四葉がやや頬を膨らませて抗議の声を上げる。それに対してその人物は、ゆっくりと振り返った。
「一矢さん。」
黄色の6、藤原一矢。精強を誇った黄色中隊、その最後の生き残りがそこに立っていた。
一矢はあの時、確かに自分は死んだと思った。
ISAFの傭兵隊長、レイ・ラブロック・村雲との一騎討ち。互いの死力を尽くしたあの戦いで、一矢は敗れた。実力は伯仲だった。勝敗を分けたのは、一瞬の判断力。あの時の一矢は、たった一人の弟である瞬矢の死により、半ば我を失っていた。そうなった人間に正常な思考を求めること自体が、土台無理なは話と言えた。そう考えれば、あるいは一矢の敗北は必然であったのかもしれない。
「意外と・・・・・・早かったな。」
一矢は表情を変えずに言う。
それに対し四葉は、ニッコリ微笑む。一矢のこういう態度は、前からなので既に四葉も慣れてしまった。
「今日はお弁当を持ってきました。一緒に食べましょう一矢さん。」
「・・・・・・・・・・・・」
一矢は無言のまま振り返ると、ゆっくりした足取りで部屋の中に戻った。
それが一矢にとっての「了承」の返事と受け取った四葉は、いそいそと弁当を並べ始める。
「今日は早起きして、姉チャマにも手伝ってもらいました。だから、ジシンサクなのです!」
「・・・・・・そうか。」
一矢は低い声で頷くと、四葉が差し出した箸を受け取り、目の前に並べられた弁当に手を伸ばした。と、
「待つです!!」
いきなり四葉に呼び止められ、一矢は箸を伸ばしたままの状態で硬直する。
そんな一矢に、四葉は強い調子で言った。
「『イタダキマス』を言ってからです。」
「・・・・・・・・・・・・頂きます。」
一瞬呆気に取られた一矢だったが、すぐに気を取り直して弁当を口に運ぶ。
そんな一矢に、四葉は尋ねる。
「美味しいですか?」
「・・・・・・ああ。」
一矢は素っ気無く応じる。それを見て四葉は、うれしそうに微笑する。
「良かったです。」
そんな四葉の笑顔を眺めながら一矢はふと、前にもこんな事があったな、と心の中で呟いた。そこまで考えてから、一矢はおもむろに口を開いた。
「なあ、上杉。」
「はい?」
おいしそうにサンドイッチを頬張っていた四葉が、顔を上げて一矢を見る。そんな四葉に、一矢はまるで錆付いた鍵を回すようにゆっくりと、話し始めた。
「お前も・・・・・・レジスタンスの1人だったんだな。」
「・・・・・・・・・・・・」
一矢の言葉に、四葉は手を止める。その顔からは先程までの笑顔が消え、気まずい色が広がっていく。それに構わず一矢は続ける。
「確かに、俺達の基地に一番出入りしていた民間人はお前だった。しかし、お前みたいな子供がスパイだとは、まさか誰も気付かないだろうからな。」
「・・・・・・四葉を、恨んでるですか?」
四葉は今にも消え入りそうな声で、一矢に尋ねる。
怖い。余りの怖さに、一矢の顔を正視することができない。
「・・・・・・いや。」
少しの沈黙の後、一矢は否定の答えを紡いだ。
「戦争なんだ。誰もが最大限の事をしなければ生き抜くことすらできない。そんな時代に生まれ、俺は空軍のパイロット。お前はレジスタンスの諜報員という対極の立場の中で出会ってしまった。そんな不幸が重なっただけのことだ。だから、お前は何も悪くない。」
「一矢さん・・・・・・」
「恨むとすれば、俺自身だ。」
「え?」
一矢の言葉に、四葉は顔を上げる。
「俺は、大分前から、お前が怪しい事に気付いていた。」
「・・・・・・」
一矢の言葉に、四葉は息を呑む。そう言えば思い当たる節がある。
一矢は言葉を続けた。
「だが、俺は心の中で自分の考えが違ってくれている事を願っていた。だから、自分の考えを感情で否定してしまった。その結果、中隊は全滅、皮肉にも、俺一人生き残ってしまった。」
そう言うと一矢は、箸を置いて俯く。その表情からは、抑えようのない悔しさが止め処なく滲み出てくる。
「俺自身が、最も裁かれるべき人物なんだ。」
「そんな事ありません!!」
一矢の言葉に対し、四葉は声を荒げて否定した。
「上杉・・・・・・」
「さっき一矢さん言いました。四葉は悪くないって!四葉が悪くないのに、一矢さんが悪いのは変です!不公平です!!」
「ふっ、不公平って、お前・・・・・・」
四葉の少しずれた抗議に、一矢はやや引き気味になる。そんな一矢を半ば無視して、四葉はキッパリと言い切った。
「だから、一矢さんはちっとも悪くありません。」
「・・・・・・・・・・・・」
四葉の言葉を聞いて、一矢はそっとその頭を自分の胸に抱き寄せた。
「ありがとう。お前は、優しいな。」
「・・・・・・一矢さん。」
四葉も、そのまま一矢の胸に寄りかかった。
3
昼食を終えた葵と衛は、二人は市街地から少し離れた海沿いの公園に散歩に出た。ここはISAFの攻撃目標から大分離れており、ほとんど被害らしい被害もなく、時折流れ弾でできた弾痕が穿たれている程度だった。
ファーバンティは海に面していると言うこともあり、海風が心地よい湿気を帯びて吹いてくる。
「っ!」
「痛むの?」
腕を押さえて顔をしかめる葵を、衛が心配そうに覗き込む。そんな衛に、葵は微笑み返す。
「まあな。でも大したことじゃない。最初の頃に比べれば大分痛みも引いた方だ。」
「そう、なら、良いんだけど。」
そう言いつつも、まだ衛は心配そうな表情を崩そうとしない。そんな衛の頭を、葵は空いている左手でクシャッと撫で上げる。
「お前って、いつからそんな心配性になったんだ?」
「え、はぶっ!?」
葵は衛が何か言う前に、吊ってある右手と左手を器用に使って衛の頬を軽くつまんで左右に引っ張る。
「ほら笑え。」
「はっ、はほい〜(訳;あ、葵〜)」
頬をつままれているせいで、衛は正確に発音することができない。それが面白く、葵はクリクリと衛の頬をつねり回す。
「もう!」
暫くして開放された衛は、自分の頬を庇いながら抗議の声を上げる。
「酷いよ葵。」
「はは、悪い悪い。」
そう言いつつも、葵はまだ堪え笑いをしている。その葵の態度に、衛は頬を膨らませる。
「もう!葵なんか知らない!」
そう言って衛はそっぽを向く。
「もう、あねぇ達に苛められてても助けてあげないからね!」
そう言って衛は、葵を置いて歩き出す。」
「ちょっ、ちょっと待てって!」
そんな衛を慌てて追いかける葵。追いついてその手を掴む。
「ああ、もう!俺が悪かったって!だから機嫌直せよ。」
葵は衛の肩に手を置いて振り向かせる。しかし、振り向いた衛の顔には満面の笑顔があった。
「う・そ。」
「・・・・・・・・・・・・」
悪戯っぽく笑う衛。そんな衛の首に、葵は無言のまま腕を回す。
「へ?」
「お仕置きが必要なようだな衛。」
そう言うと、空いた方の手で拳を作り衛の頭に当てると、ぐりぐりとねじる。
「痛い痛い!痛いってば葵!」
「そういう悪い事する子はこうだ。」
そう言うと葵はさらに拳をねじ込む。
「痛い痛い!ごめんなさ〜い!もうしませ〜ん!!」
暫くして葵と衛は、力尽きたように並んで芝生の上に寝転がった。
「ふう、疲れちゃったね。」
「ああ。」
寝転がる二人の顔には、互いに笑みがある。それはこれまで決して見ることのできなかった、二人の心からの笑顔である。
その時、ふっと、二人の手が触れ合った。
「「あ・・・・・・」」
二人は同時に声を上げる。
「・・・・・・衛。」
「・・・・・・葵。」
二人は起き上がると、互いに身を寄せ合う。
二人の顔は徐々に近付いていく。鼓動が高まり、それは相手の耳にも届きそうな大きさになる。
二人は、ゆっくりと目を閉じた。
そんな二人の様子を、少し離れた茂みの中から見つめる複数の目があった。
「そこだ、もう少し!!」
「姉上様、少しお静かに。」
「そうですわ。このままでは見つかってしまいます。」
「大丈夫・・・・・・私達の周りに小規模な結界を張っておいた・・・・・・余程のことがない限り・・・・・・気付かれることはないよ。」
「良いのかな、こんな事して?」
「ワフ!!」
「・・・・・・・・・・・・成る程、お前らの主張は大体分かった。」
傭兵部隊隊長のレイ・ラブロック・村雲大尉は、やや呆れ気味に口を開く。
「そこで、俺から一つ主張があるんだが。」
「何ですか大尉?」
全員の視線がレイに向く。
「重いんだがな、俺は。」
茂みの中に隠れる彼の上には、咲耶、鞠絵、春歌、千影、ソフィ・エレ・ラグ曹長、ついでにミカエルが乗っかっている。しかしそんな彼の苦労は、五人と一匹は意に介していない。
「ファイトです大尉!」
「がんばってください!」
「大尉の双肩にはISAFの命運が掛かってます!」
「いや、掛かってんのはお前等の体重だけだろ。」
「大体大尉は何でこんな所に居るんですか?」
「いや、偶然葵と衛が歩いてるのを見かけて、何か面白い事起きないかなって思って。」
「結局、目的は同じ出歯亀じゃないですか!」
「し!静かに・・・・・・」
千影の警告に、全員が視線を葵と衛に戻れる。その視線の先では、葵と衛がキスの体勢に入るところだった。
「行け!!もう少し!!」
「だからお静かに!」
「兄君様、そこです。」
「フッ。」
「あ〜あ、うらやましいな。」
「ワン!」
「・・・・・・重い。」
二人の顔がさらに近付く。
誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
しかし次の瞬間、五人と一匹の体重にバランスが崩れ、一同は茂みから転がり出てしまった。
「「ん?」」
今にも口付けを交わそうとしていた二人は、突然の出来事に、思わずそちらを向く。その視線の先では、一同が折り重なって倒れていた。
「なっ、何やってんだお前等?」
「「「「「あっ、あははははははははははは!!」」」」」
一同は乾いた笑い声を上げると、蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。
「失礼しましたお兄様!!」
「俺達に構わず続きをやってくれ!!」
「できるか馬鹿!!」
葵と衛は、互いに顔を真っ赤にして、背中を向け合ったまま沈黙した。
4
トゥインクル諸島。エルジア帝国帝都ファーバンティの遥か西方海上にある群島である、
「煌く」と言う意味を持つこの郡島は、その本来の意味とは裏腹に、古くからエルジア軍の軍事施設が建てられ、要塞化を進められて来た島である。今回の対戦では、ISAFは大陸を横断して侵攻して来た為、トゥインクル諸島はその威力を発揮することができないまま終戦を迎えてしまった。
しかし、今この群島の一角で、恐ろしい計画が発動しようとしていることに、まだ誰も気付いていなかった。
「全システム、オールグリーン。」
「監視衛星とのリンク、確立。」
「目標点捕捉。」
「全ミサイル、安全装置解除確認。」
「サイロ内の全要員退去を確認。」
次々と成される報告を、司令官席に座った初老の男がその目にどこか狂った光を湛えて聞いている。
「フッフッフッ・・・・・・」
その口からは、まるで聞いた者の耳にへばりつく様な笑い声が漏れ出してくる。
「ISAFの愚民供め。まさか我々がすでにメガリスを起動体勢にあろうなどとは夢にも思うまい。」
男の胸には参謀総長を表す徽章がある。つまり、この男が戦中にエルジア軍の作戦全般を取り仕切っていたのである。そして裏を返せばエルジア軍の敗北の責任はこの男にあるといっても過言ではない。しかし、その責任を取るべき人物は多くの兵士が死した中でものうのうと生き伸び、自らの仰ぐべき皇帝が敵の手中にあることさえ意に介さず、あまつさえ未練にも自軍の敗北、ひいては自身の失敗を認めずにそれを糊塗すべく、全人類を滅亡させてでも、自身の名誉にすがろうとしている。
「見ておれ!!このメガリスある限り、我らに敗北はないのだ!!」
落ちた偶像は狂気に血走った目と手で、禁断の果実をもぎ取ろうとしていた。
その施設がある島から少し離れた別の島に」、空軍用の滑走路を備えた島がある。その島では今、十数機のエルジア軍機が出撃の時を待っていた。
『村岡・・・・・・今頃お前は、立花や小野達と仲良くやっているか?』
エルジア帝国空軍最高司令長官。もはや肩書き以上の意味を持たなくなったその地位にある人物は、青く澄み切った空を眺めながら、心の中で呟いた。
大垣高広空軍准将。かつて、「銀色の1」のコールサインで呼ばれ、幾度となく執拗に葵達の前に立ちはだかってきた男である。
大垣はフッと息を吐いた。かつての大垣は、出世欲と名誉欲で凝り固まった人物でしかなかった。軍人の家系に生まれ、エリートとして出世街道を歩んできた自分。そんな自分の前に立ちはだかった二人の人物。一人は「リボン付き」上杉葵。そしてもう一人は「黄色の13」村岡虎太郎。
大垣は、事ある毎に村岡に当たった。時には陰湿な嫌がらせまでした。しかし、そんな自分が今となっては滑稽にしか見えない。エルジア空軍最高司令長官。あれほど自分が焦がれ、あらゆる手段を使って手に入れようと躍起になっていた至高の地位。それも今となっては虚しい物でしかない。既に国自体が消滅し、有名無実化していると言う事もある。しかしそれ以前に、自分がなぜ、これほどまでに出世にこだわっていたのか、その理由が分かってしまったと言う事も大きい。
『ようするに俺は、村岡が羨ましかっただけなのだな。』
虎太郎の周りには、多くの有能な仲間達が集っていた。それは、エルジア最強とまで言われたエースの肩書きだけでない。村岡虎太郎と言う個人が生み出す人徳のなせる業に拠る所が大きい。大垣は単に、それが羨ましかっただけなのだ。だからこそ出世して、村岡と同じ場所に立とうとした。同じ物を手に入れようとしたのだ。しかし、出世してもそれは手に入らなかった。自分は根本的に間違っていたのだ。
この事実に気付いたとき、大垣は自ら銃を置こうとした。しかし、情勢は彼を再び戦争に引きずり込んだ。今、この島から程遠からぬ場所で狂気の作戦を実行しようとしている人物。それは大垣の父親なのだ。この事実を知った時、大垣は自らの意思で地獄への途に付いた。いかに狂気に走った人物とはいえ、自分の父親を見捨てる事はできない。
「もう、後戻りできない。」
口に出して呟いたとき、自身の副官が駆け寄ってきた。
「長官。全機、出撃準備完了です。」
「・・・・・・分かった。」
大垣は頷くと、ゆっくりと向き直った。
そこには、十六人のパイロット達が、整然と並んでいた。彼等が大垣の手元に残された最後の戦力。すなわち、最後のエルジア帝国空軍だった。そう呼ぶには、余りにも難があるが。
「・・・・・・諸君。」
大垣はゆっくりと語り出す。
「知っての通り、つい先日帝都が陥落し、皇帝陛下もISAFの虜囚となられた。」
大垣の言葉を聞いて、一同に動揺が走る。それに構わず大垣は続ける。
「エルジアは負けた。・・・・・・負けて、しまった。・・・・・・だが、我々が居る限りまだ巻き返しはできる。メガリスと我々の力で、帝都を取り戻し皇帝陛下をお助け差し上げ、再びユージアをエルジア帝国の手に取り戻すのだ!!」
自分でも心に無い事を言い、大垣は苦笑する。しかし、兵士達の士気を高めるには充分のようだ。
一同の顔を眺め回してから、大垣は再び口を開く。
「よろしい。諸君のような部下を持った事を私は誇りに思う。そこで、諸君の崇高な精神に応える為に、エルジア帝国再興を目指す記念すべき第一戦は私も一兵士として、諸君等と供に戦おうと思う。」
その言葉に、一同は動揺する。最高司令長官自ら前線に立って戦うなど前例が無い。いや、それ以前にその身に何かあれば、今後の戦略にも大きな支障が出ることになる。
しかしそんな一同の驚きを他所に、大垣は司令官用の帽子を脱ぐと、准将の階級章を胸から毟り取ってしまった。
「お待ちください長官!!」
「そんな事をしては!!」
一同が慌てて止めに入るが、大垣はそれらを振り払って階級章を地面に投げ捨てた。
「この決定に変更は無い。以上だ。」
断固とした決意で言い放った後、大垣はもう一度空に目を向けた。
『村岡・・・・・・俺はお前達と同じ場所には行かない。行く資格は当に無くした。だが、見ていてくれ。お前がやり残した仕事は、必ず俺がやり遂げてやる。』
それはすなわち、リボン付きとの決着。大垣は今初めて、自らの欲望以外の理由で剣を取った。
5
ソフィがその日の作業を終えたのは、夜の十時の事だった。既に基地内も静まり返り、動いている影もごくまばらだ。
「ふう、疲れた。」
戦いが終わったとは言え、整備班は休む事ができない。まだエルジア軍の残党には不安分子が潜んでいる可能性がある。いざと言うときに戦闘機が充分な力を発揮する為に、彼女達は仕事の手を抜くことはできない。
ソフィが大きく伸びをして、自分に割り当てられた部屋に向かおうとしたときだった。ある部屋のドアが開かれ、そこから光が漏れていることに気付いた。
『あの部屋って確か・・・・・・』
近付いて見てみると、プレートには「上杉葵」と書いていた。
不審に思ったソフィは、部屋の中を覗き込んでみる。そして、思わず苦笑してしまった。
壁に隣接して設けられたベッドの上では、葵が横になって眠っている。そしてその上に折り重なって、衛が静かな寝息を立てていた。
「あらあら。」
ソフィは部屋に足を踏み入れると、クローゼットから毛布を出して二人に掛けてやる。
「こうして見ると、とてもこの間までエルジア軍と戦ってたようには見えないわね。」
ソフィは部屋の電気を消す。
「ようやく平和になった。もう、これ以上誰かが傷付く事は無い。」
ソフィはそっとドアを閉めながら言った。
「今はおやすみ。二人とも。」
ソフィはそう言って葵の部屋を後にする。その背後で、一つの流星が流れた。
ソフィは知らなかった。その流星が、この大戦で最後の悲劇を運ぶ死神だと言うことを。
第二十八話「今は、おやすみ」 おわり
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