リボンつきの翼
第二十五話「死闘、ウィスキー回廊」
作者 ファルクラムさん
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ユージア大陸中央部に位置するサンサルバジオンをエルジア帝国に向かうように西に抜けたところに、まるで並び合った馬の背を思わせる二本の山脈が走っている。北側を走るのがランバート山脈、南側を走るのがアンバー山脈と言った。
その二つの山脈に挟まれて、広大な砂漠地帯が広がっていた。元々そこには一本の長大な運河が流れており、大陸中央部への物資輸送に役立っていた。しかし、先のユリシーズ衝突により地形が隆起し、水の流れが変わって干上がってしまった。以来、この地は東西に長く伸びた砂漠となっていたのだ。ランバート、アンバー両山脈に挟まれたこの砂漠は、古くはこの地で酒造りが盛んに行われていた事から、いつしか「ウィスキー回廊」と言う名で呼ばれるようになった。
そのウィスキー回廊の両極端に今、エルジア帝国陸軍と、ISAF地上軍が大軍を展開し、激突の瞬間を今や遅しと待っていた。
サンサルバジオンの戦いに勝利したISAFは、ユージア歴2007年11月2日。勝利の余勢を駆り、35万の大軍を持ってエルジア国境線を突破した。機甲師団を先鋒としたISAF地上軍は、2日未明にウィスキー回廊の東側入り口に布陣、突入の構えを見せた。
一方のエルジア帝国陸軍も、2日早朝に回廊西側入り口付近に50万の大部隊を布陣し、ISAFを迎え撃つ体勢を整えた。
ISAFは数的に言えば、圧倒的に不利な状況にある。にもかかわらず、エルジア帝都ファーバンティ進撃するためには、このウィスキー回廊を正面突破する必要があった。ここ以外に大軍が通行できる道がないからだ。それに対するエルジア帝国軍も必死だった。ここを抜かれれば、もはやファーバンティは目前である。その為、残された全兵力を持って回廊を塞ぎにかかった。エルジア側にとっては幸いな事に、回廊と言うだけあって、普通の平地に比べれば細く長い地形をしている。つまり、その分密度の高い防御陣地を構築する事ができるのだ。
エルジア軍が構築した防御陣地は大きく三つに分ける事ができた。その第一陣は、かつて運河があった頃に交通の中継地点として栄えていた旧アンカーポイント市に重砲撃部隊と機甲師団を主力とした部隊を配置、その後方には遊軍として機動野戦部隊が待機しISAFの側面を突くように待機している、さらにその後方には補給基地を兼ねた前線司令部があった。
兵力差は約1.6倍。加えて既に、回廊はエルジア軍の手によって要塞化されている。ISAFがこのウィスキー回廊を突破するには、航空部隊による支援攻撃が必要不可欠と言えた。
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進撃を開始した地上軍を眼下に臨みながら、ISAF空軍が地上に影を落としながら飛翔していく。既に彼らの前方からは、大地から湧き出るかのように砂煙が立ち、その間隙を縫うように、時折閃光が顔を覗かせていた。進撃したISAFの前線が、エルジア軍の前線と接触し、砲門を開いているのだ。
X−02のコックピットでその様子を確認した上杉葵少佐は、マイクのスイッチを入れて指揮下の航空隊に通信を入れた。
「メビウス1より各機へ。所定に従いこれより制空権の確保に入る。味方の勝利は俺たちの働きに掛かっていると言っても過言ではない。諸君の健闘に期待する。」
葵は訓示を垂れてから、自嘲気味に口の端を歪めた。自分なりに士気を鼓舞するよう言ったつもりだが、いつものように淡々とした口調で言った為、その効果は今ひとつのように思えたからだ。やはり、馴れない事はするものではない。
その葵の視界、視線よりもやや上の部分に、キラリと光る物があった。その瞬間、葵の瞳はいつものように、狼のような鋭さを湛える。
「全機、コンバットオープン。アタックオン!!」
群れのリーダーが一声掛けると同時に狼達は一斉に散開、その俊足で戦場というフィールドを駆け抜け、群がる獲物に向けて研ぎ澄まされた牙をむき出す。
その様子をX−02のコックピットで眺めていた葵は鋭い眼差しはそのまま前方に向けたまま、口だけを開いた。
「さて、俺達も行くぞ。」
その言葉はすぐ後ろ、後部上方の監視位置に着いたX−02、衛に掛けられた物だった。
「うん。そうだね。」
衛の声は、どことなく震えている。
不安なのか?いや、違う。きっと武者震いだ。
『変わったな。』
葵は心の中でフッと笑う。一年前の衛なら、こんな時恐怖と緊張で体を震わせていた事だろう。葵が守ってやらねば、ミサイルと砲撃の嵐の前に木の葉のように吹き飛ばされていた事だろう。しかし今、衛は葵にとって頼りがいのあるパートナーに成長していた。
「メビウス1よりメビウス2へ。行くぞ!」
「了解。あにぃ!!」
互いに声を掛け合うと、2機のX−02はW字翼を開いて戦場上空に突入した。
前進を開始したISAF地上軍は、第1の関門である旧アンカーポイント市に砲撃を開始した。それに対し、エルジア軍は廃墟となった建物一つ一つを拠点に改造し、重迫撃砲による砲撃で応戦していた。
廃墟となったとは言え、アンカーポイント市は隆盛を誇った時期の建物が密集し入り組んでいる。遠距離からならともかく、接近すれば大兵力の戦車隊は小回りが利かず逆に迫撃砲の餌食になりかねない。その為ある程度砲撃を行った後は、歩兵隊の突入を行う事になった。
動きは歩兵部隊が突入を開始したときに起こった。
旧アンカーポイント市の脇には、運河が流れていた頃使用されていた小型の貨物船が横たわっている。ユリシーズの激突の際、修理用ドックの中にあった為、運河が干上がった後に外洋にでる事ができずにそのまま放棄された船だった。アンカーポイント市に突入を図ったISAFは、この船をバリケード代わりにして接近した。
船の影に隠れた歩兵が市内を伺おうと首を出したときだった。突如船が爆発し、隠れていた兵士達を一斉に吹き飛ばす。
近くにいた兵士は、四肢を吹き飛ばされて即死する。離れていた者にも火炎が降り注ぎ、その身を炎の中に叩き込む。さらにその回りにいた者達も爆風で吹き飛ばされて負傷者が続出する。
この廃船を盾にしてISAF地上軍が接近してくるであろう事は、エルジア軍も予想していた。その為爆薬を仕掛け、その出鼻を挫いたのだ。
先頭集団の壊滅を目の当たりにし、後続していた部隊はその行き足を止める。その頭上へ、容赦なく重迫撃砲が降り注ぎ、遮蔽物を失ったISAF兵士達を容赦なく吹き飛ばしていく。さらに、廃船の爆破を皮切りに、廃墟からの銃撃が開始される。
一斉に放たれる銃弾に、辛うじて生き残っていた兵士達も次々と倒れていく。もちろんISAFも必死の反撃を試みるが、火力に違いがありすぎ、純白の砂の上に次々と赤い斑点を描いていった。
それに対し、ISAFの反応も素早かった。後方で待機していた戦車隊が、すぐに前進して応射を始めた。
戦闘開始約5分後、エルジア軍前線司令部上空を、16機のスホーイ37スーパーフランカーが轟音を引いて通過して行った。数々の新鋭機が登場した今もなお、優美さにおいて比類ないその翼は、目にも鮮やかなグレーに染められていた。
小野庸介中佐率いるエルジア空軍灰色中隊は、ウィスキー回廊上空の制空権確保の為に、帝都ファーバンティから派遣されてきていたのだ。
今回エルジア空軍が投入した航空機は約200機。これは、現状でエルジア空軍が派遣する事のできる最大限の数だった。
エルジア空軍は度重なる消耗戦で深刻な人材難に陥っている。そんな折に、空軍屈指のエースをそろえた灰色中隊を派遣してきたと言う事からも、今回の戦いおけるエルジア軍上層部の意気込みを感じられる。しかしそれは同時に、エルジア軍が、いやエルジア帝国と言う国自体が既に追い詰められている事を雄弁に語っていた。
「灰色の1より各機へ。」
庸介は戦場上空にループする白いコントレールを眺めながら、指揮下の中隊に語り掛けた。
「これより、戦闘を開始する。恐らく我々が思っている以上の激戦になるだろう。」
そこまで言って庸介は一度目を閉じる。
「全員、生きて帰れよ。」
呟くような言葉と供に、庸介は目を開いた。
「全機、俺に続け!!」
叫ぶと同時に、庸介はスロットルを開いてエンジン出力を上げ、スーパーフランカーを加速させる。それに続いて、灰色中隊各機も速度を上げに掛かる。
灰色中隊。開戦以来常に前線に立ち続け、黄色中隊と供にエルジアに希望を、ISAFに絶望を与え続けてきた存在。これまで何度も壊滅の危機に陥りながら、その度に不死鳥の如く蘇ってきた。
しかし、庸介は予感していた。いや、それはもはや、確実に来る未来への確信。
『今日が、最後だな。』
庸介は心の中で呟くと、アフターバーナーを全開まで吹かして戦場に突入した。
葵はX―02をロールさせると、機種を下げて速度を稼ぎつつ右に急旋回して追尾してくるスホーイ35を振り切りに掛かる。もちろんスホーイ35の方でも、葵を追って右旋回に入るが、X−02の機動性は、現用量産機としては最高の空戦性能を与えられたスホーイ35を圧倒していた。
旋回を終えたとき、葵は眼前にスホーイ35のボディーを捉えていた。
「……」
次の瞬間、葵は無言のままトリガーを引く。
瞬きするほどの一瞬に放たれた弾丸は、そのままスホーイ35のボディーを噛み砕き、内部にあったエンジンに孔を穿つ。一瞬の間をおいてスホーイ35の機体は内側から膨張し吹き飛んだ。
それを確認すると、葵は次の目標を目指した。
そんな葵に狙いを定めて、1個小隊、4機のF−15アクティブが襲いかかる。2機は背後から、1機は上から、最後の1機は下から突き上げるように接近し、葵を包囲しに掛かる。
「……」
葵は冷静に状況を確認すると、機体を右に旋回させる。
「逃がすか!!」
それを追って、上方に占位したF−15アクティブも右旋回に入る。しかし次の瞬間、その機体は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「何だ!?」
他のパイロットは慌てて後方を確認すべく、首を回す。そこには、今自分達が追尾しているのと全く同じ機体があった。
「行くよ!!」
叫ぶと同時に、衛は一気に急降下を掛ける。
狙われていると知った3人のパイロットは、一斉に散開して対比に掛かる。しかしその時には既に、衛は自らの獲物に爪を掛けていた。
衛は水平飛行に移りつつ、機体を左に旋回させて逃げるF−15アクティブに狙いを定める。
「もらったよ!!」
気合いと供に、トリガーを引く衛。放たれた弾丸はF−15アクティブの水平尾翼と後部ベクタードノズルを一緒くたに吹き飛ばした。
「こっ、こいつらは!?」
小隊長が何かを言おうとしたとき、機体を反転させて戻ってきた葵が、小隊長機を射程に捉え、30ミリバルカンを放った。その大破壊力のバルカンは、一瞬で小隊長機を無意味な鉄くずに変え、砂漠に叩き落とした。
「なっ、何だこいつらは!?何でこんなに強いんだ!?」
まだ技量未熟と思われる残る1人は、アフターバーナーを全開まで吹かして、退避に掛かる。しかし、
「遅い。」
短い呟きと供に、葵はエアインテーク後部のウェッポンラックを開いて内部に搭載されたサイドワインダーを放った。
サイドワインダーは猟犬のように逃げるF−15アクティブに食いつくと、そのまま追尾に掛かる。
「たっ、助けてくれえ!!」
叫びながら、スティックを滅茶苦茶に動かすパイロット。個々で冷静な判断力があったなら、フレアを放出して身を守るだろう。しかし、この場で冷静な判断力を有するには、彼はあまりにも経験が浅すぎた。
高速で追尾してきたサイドワインダーは、F−15アクティブの主翼付け根から内部に進入し、そのボディーをまるで巨人が掴み掛かったかのように、真っ二つに引き裂いた。
「ナイス、衛。」
葵は自機の横に並んだ衛のX−02を見て、親指を立てた。実に息の合ったコンビネーションで、葵と衛は自分達に倍する敵をあっさりと葬り去ってしまった。
2人はヘルメット越しに笑みを見せ合うと、次の目標に機種を向けた。
一方そのころ、エルジア軍の第1防衛ラインである、旧アンカーポイント市の戦いは、機先を制したエルジア軍が戦局を優位に進めていた。何しろ、頭上から雨霰と砲弾が降り注ぐのである。ISAFは前進も後退もできずに、ただ熱砂の上に空しく躯を晒して行くのみだった。戦車隊が前進しつつ砲撃し、既にエルジア軍の陣地となっているビルをいくつか沈黙させているが、それでもエルジア軍の攻撃は留まるところを知らなかった。
遮る物すらない砂漠では、身を守る盾は存在しない。戦車隊ならともかく、歩兵部隊にできる事は、迫撃砲の射程外まで逃れる事のみだった。
「くそ!エルジアの奴等め。好き勝手やりやがって!!」
現場を指揮する中隊長が歯噛みしながら吐き捨てる。既に味方の兵士には犠牲者が続出し、残った者達も負傷や士気の低下で恐慌に陥り掛けていた。戦いはまだ始まったばかりである。このままでは戦線を維持するのも難しい状態だった。
その時だった。
「メビウス1だ!!メビウス1が来たぞ!!」
突然何を思ったか、中隊長はそんな事を叫び始めた。
ISAF空軍最強とも目されているエースパイロットの噂は陸軍にも聞こえていた。しかし、その名前が突然自分達の中隊長の口から聞こえてくるとは思わなかったのだろう。周りにいた兵士達は呆気にとられた表情で、中隊長を見ている。
そんな部下達の顔を見て、中隊長は声を低めていった。
「ほら、お前達も叫べ。嘘でも良いから!」
「しかし隊長。メビウス1などどこにもいませんが……」
「良いんだよこの際そんな事どうでも。ようは味方の増援がくるまで、戦線を維持できれば良い!!」
そう言うと、中隊長は再び叫び始める。
「メビウス1だ!俺達の頭上にメビウス1が来てくれたぞ!!」
それにつられて、他の兵士達もためらいながら口を開いていく。
「おっ、おう!あんな所にリボンの付いた戦闘機が飛んでいるぞ!!」
「メビウス1だ!!メビウス1が来てくれたぞ!!」
その声は次第に他の部隊の兵士達にも伝染し、やがて巨大な合唱になっていった。
そんな彼らの頭上には、轟音を上げて騎兵隊が到着していた。
部隊を指揮する鎌田信吾中佐は、眼下の砲煙を臨みながらマイクのスイッチを入れる。
「シオンより各機へ。下の連中がだいぶ苦戦しているようだ。気合い入れてかかれ!!」
「「「「「「了解!!」」」」」」
信吾の命令を受けて、攻撃隊は次々と翼を翻して高度を下げていく。
それを確認してから、信吾は自分の後方に目をやった。そこには、開戦以来常にパートナーを組んできたタフこと大谷二郎中佐のバイパーゼロがいた。
「準備は良いか、タフ?」
「ああ。いつでもいける。」
信吾の声に、大谷は親指を立てて答える。
「よし。行くぞ!!」
言うが早いか、信吾はスティックを急激に倒して機体を傾かせ、一気に高度を下げていく。高度計の数字はは見る見るうちに下がっていき、それまで不鮮明だった両軍の砲火が鮮やかに見えてくる。
エルジア軍が建物の中から砲撃を行っている事は、既に咲耶からの情報で分かっていた。
建物を砲撃陣地にするという戦法は、地上軍が相手なら有効だろう。大量の火器をを配置すれば、容易には落とせない要塞が簡単に完成する。しかし、それは空軍が相手となると話が違ってくる。
「行くぞ、タフ!」
「了解、シオン!!」
2人は互いに声を掛け合うと、低空まで自機を誘導して水平飛行に入る。2人のバイパーゼロの主翼下には、6基のロケットランチャーが吊されている。
信吾は機体の進路をヨーイングを使って微妙に機体進路を調整すると、廃墟となったビルに照準を合わせた。そのビルからは今も砲煙が立ち上り、眼下の友軍に向けて炎を吹き上げていた。
目標を捉えた事を確認した信吾は、迷うことなくトリガーを引いた。
「ファイア!!」
気合いの籠もった声と供に、バイパーゼロの主翼からロケット弾が勢い良く射出された。それに合わせるように、後続の大谷も廃墟に砲撃を行う。
砲撃を食らった廃墟は、一瞬弾痕が穿たれたかと思うと、次の瞬間鉄筋という鉄筋をまき散らして吹き飛んだ。同様な情景は、他の場所でも繰り広げられていた。それぞれ各機が抱えてきた兵装を、陣地となっている廃墟に叩き付けていく。刈る者と刈られる者。その立場が今や完全に逆となっていた。
それでも、陣地に籠もったエルジア兵士達は諦めずに、上空を乱舞するISAF機に向けてサブマシンガンで応戦する。しかしマッハのスピードで飛行する戦闘機を相手に、対人用火器など子供の水鉄砲以下の存在でしかなかった。彼らもやがて、上空から唸りを上げて襲い掛かってくるISAF機の餌食となって炎に巻かれていった。
旧アンカーポイント市の戦いは、信吾達の参戦によってあっという間に戦況が逆転しつつあった。
その頃、戦場から少し北側、ランバート山脈の稜線上空を低速で飛行する編隊があった。
機体もカラーもまちまちで、およそ「統一性」という言葉を連想するには困難なその部隊は、ISAFに所属している傭兵部隊の物だった。
その先頭を行く前進翼の機体は、スホーイS−37Aベルクト。隊長であるレイ・ラブロック・村雲大尉の愛機である。
彼らは今回、本体と別れて別行動をとっていた。
「ハンズクロスより各機へ。」
レイはマイクのスイッチを入れて、指揮下の航空隊に語りかける。
「地上に異変を察知したらすぐに報告しろ。僅かな異常も見逃すな。」
言い終えてから、レイ自身も眼下に目を向ける。
今回の別行動を総飛行隊長の高士に提案したのは、レイの方だった。その理由は自分の長い戦場暮らしがもたらした勘によるものだった。
『さて……俺の考えが正しければ、そろそろ見えてくるはず何だが……』
この行動が徒労に終わったなら、それはそれで良い。しかしもし、自分の勘が正しければ、地上軍が甚大な被害を被る事は間違いなかった。
そこまで考えたときだった。
「隊長、いました!!」
横に並んだ部下の声を聞いて、レイはとっさにそちらに目を向けた。その眼下には、ランバート山脈の稜線があり、その裾野に隠れるようにエルジア軍機甲部隊が待機していた。
「やはりな。」
自分の勘が正しかった事を確認し、レイは口の端をつり上げて笑みを浮かべる。恐らくこの部隊は、ISAF地上軍がエルジア軍の第2防衛ライン、通称、中央抵抗線に取り付いた所を見計らい、横合いからその隊列を分断しに掛かるつもりだったのだろう。先頭集団が突出し隊列が縦に伸びきった軍は、横合いから奇襲を受けた場合容易に隊列が分断されてしまう。レイはメリア大陸の戦いでそうした戦法を幾度も見てきた。
「行くぞ。全機突撃!!」
言うが早いか、レイは自ら翼を翻して急降下に入った。彼の愛機、ベルクトの胴体下には2発の1000ポンド爆弾が吊されている。
眼下では、上空から接近してくるハゲワシの群にようやく気づいたエルジア軍兵士達が、慌てて迎撃体勢を整えようとしているのが見えた。しかし、その動作は呆れるほどに遅い。奇襲を目的とした部隊は、逆に攻撃を食らうと案外脆い物なのだ。
レイは充分に高度を下げると、狙いをすまして爆弾2発を同時に投下した。
急角度に投下された爆弾は、風を切りながら目標に向かい、見事に待機中だったエルジア軍奇襲部隊の中央に落下し、そこから爆炎を上げた。
それが合図であるかのように、傭兵部隊が投下した爆弾が純白の砂の上で炎を踊らせていく。
その頃になってようやく、エルジア軍側も反撃の対空砲火を撃ち上げ始めた。護衛として配置されていた対空車両が一斉に火を噴き、弾幕を形成する。しかし、その火線も、頭上を自在に飛び回る傭兵達の翼を傷付けるには至らない。
「地上軍の司令部に通達しろ!!」
炸裂する砲弾をかわしながらレイが叫ぶ。
「『ランバート山脈近郊に敵奇襲部隊あり』だ!!」
そう言った瞬間、レイのコックピットに耳障りなロックオン警報が鳴り響く。
「チッ!!」
レイは軽く舌打ちして、アフターバーナーを点火する。どうやら地上の兵士が炎の切れ間からスティンガーミサイルを発射したようだ。
迫ってくるミサイルは2発。食らえばベルクトは木っ端微塵に砕け散るだろう。
レイは軽く指をはじいて、後部からフレアを放出する。放たれた火炎は、1発のスティンガーを捉え、それを自爆に追いやる。しかし、もう1発はフレアをかわしてベルクトに迫る。
「クッ」
もう一度フレアを放出する時間的余裕はない。レイはアフターバーナーを全開まで吹かして加速する。小型軽量のスティンガーはそれでもグングン距離を詰めてくる。
しかし、命中の直前にレイは翼を翻した。それに併せて、目標を失ったスティンガーは空しく空を切った。
それを溜息と供に確認したレイは、機体を傾けて眼下の状況を確認する。既に地上のエルジア軍の陣列は爆撃によってズタズタに引き裂かれ、当初予定したいたISAF地上軍に対する奇襲横撃が、もはや実行不可能である事は明白だった。
それを見越して、レイは貴下の傭兵部隊に通信を入れた。
「ハンズクロスより各機へ。目的は達した。これより本隊と合流する。」
そう言うと通信を切り、機首を回頭させた。
3
レイ達がエルジア軍奇襲部隊を逆奇襲で潰している頃、旧アンカーポイント市の激闘を制したISAF地上軍はその余勢を駆って前進し、エルジア軍の第2防衛ラインである中央抵抗線に取り付き、激しい砲火の応酬繰り広げていた。
エルジア軍が重厚な陣形を敷いて迎え撃つ体勢を整えていれば、ISAFは紡錘陣形を持って一点突破背面展開戦術を狙う。もちろんその上空では、信悟に率いられたISAF空軍が支援攻撃を行って、エルジア軍への空爆を敢行している。言わば空中と地上からの挟み撃ちである。前線からは地上軍が突撃し、空軍が爆撃で隊列を分断する。いかに数に勝るエルジア陸軍でも、これには一溜まりもない。本来これを阻止するはずのエルジア空軍は、前線の遙か後方で葵に率いられた制空隊に阻まれ、援護できない状況にあった。その為、攻撃隊は心おきなく空爆に専念できたのだ。
「しぶといな。」
眼下で繰り広げられる戦闘を見ながら、信悟は呟いた。既に搭載してきた武装は使い切り、高度を上げて監視の任務に就いている。
「奴等も必死なのさ。ここを抜かれたら後は帝都まで一直線だからな。」
そう答えたのは同じように武装を使い切った大谷だった。
その言葉には応えず、信悟は水平線の彼方に目をやった。その方向には、エルジア帝国帝都ファーバンティがある。
「俺達、とうとうここまで来たんだな。」
信悟のその言葉には、感慨という要素が多分に含まれていた。ついぞ一年半前までは大陸の東の端まで追いつめられ、今ある命を明日には失うかもしれないと言う不安と戦っていた。それが、今や逆に敵を追いつめる立場にあるのだ。
「もうすぐ……終わるな。」
「ああ。」
信悟の言葉に、大谷が頷いた。
「なあ、大谷。」
信悟は少し声のトーンを落として、声を掛けた。
「ん?」
「この戦いが終わったら、一緒に軍を抜けないか?」
「……」
信悟の突然の申し出に、大谷は絶句する。それに構わず信悟は続けた。
「そんで2人で組んでアクロバットのチームを作るってのはどうだ?俺とお前の腕なら、人気ナンバー1間違いなしだと思うぞ。」
「…………悪く、ないかもな。」
そう言って大谷は微笑を浮かべる。その脳裏には、多くの観客の前で自慢の技を披露して喝采を浴びる自分達の光景が浮かんでいる。
「なら、チーム名を今から考えておく必要があるかもな。」
「葵達に聞いてみるってのはどうだ?」
「やめとけやめとけ。あの堅物に頼むと、きっとろくな答えが返ってこないぞ。」
「違いない。」
そう言って2人は笑った。
まさにその時だった。
突然、大谷のコックピットで警報が鳴ったかと思うと、飛来したミサイルがバイパーゼロを木っ端微塵にした。
「……え?」
信悟は顔には笑顔を貼り付けたまま、首だけを横に向けた。
そこには、先程まで併走していた大谷のバイパーゼロは影も形もない。ただ、バックミラーに映る炎だけがその余韻を残している。
「……大谷?」
無線で呼びかける。当然、反応はない。
「大谷!!」
もっと強く呼びかける。しかし、結果は同じだった。
「冗談はよせ大谷!!返事をしろ!!」
信悟は狂ったように叫ぶ。
しかし、それに答えたのは聞き慣れた大谷の声ではなく、駆け抜ける灰色の疾風だった。
「…………」
信悟は呆然とした眼差しで、その疾風を見つめる。疾風だと思ったそれは、灰色の翼をしたスホーイ37スーパーフランカーだった。その機首には「001」の文字がある。
「灰色の……1」
呟くと同時に、信悟の瞳が鬼のような形相に吊り上がる。
「お前が!……大谷を!!」
言うが早いか、信悟はバイパーゼロを回頭させて庸介のスーパーフランカーに向き直った。
一方、庸介ももう1機のバイパーゼロがこちらに向かってくる光景が見て取れた。
彼は、後方で奮戦する味方空軍の指揮を別の物に託すと、自らは少数精鋭を率いて中央抵抗線上空の制空権確保についたのだ。彼が率いてきた航空隊は直率する灰色中隊の他にもう1個中隊、合計で32機のみ。100機以上の機数を誇る信吾達に比べれば3分の1以下である。しかし、エルジア空軍全体が技量低下を来している昨今の状況では、これが取りうる最良の策と言えた。
庸介は、突っ込んできた信吾のバイパーゼロの攻撃を翼を翻して回避する。
「もらった!!」
回避運動に入って速度が落ちたところに、信吾は翼端のパイロンからサイドワインダーを放った。これまで対地攻撃任務に専念してきたので、2発のサイドワインダーはまるまる残っている。そのうちの1発が庸介のスーパーフランカーの排気熱を捉え突き進む。
「チッ!!」
回避しきれないと踏んだ庸介はフレアを放出し、同時に機首を下方に向けて回避に移る。
熱源シーカーを誤魔化されたサイドワインダーは、その場で自爆する。しかし、ミサイルはごまかせてストームナイトの目を誤魔化す事はできない。
「逃がすか!!」
信悟は下方に逃れたスーパーフランカーを高速で追尾し、もう一発サイドワインダーを放つ。
それに対し庸介は、地面すれすれで急激に機首を引き起こし、サイドワインダーを地面に突っ込ませて自爆させた。
しかし、一連の急激な機動で庸介のスーパーフランカーは速度が急激に落ちた。それに対し信悟は、後方上部と言う有利な位置から急降下を掛けてスーパーフランカーに迫る。
「死ねェェェェェェェェェェェェェェェ!!」
信吾は必殺の気合いを込める。そのトリガーを引くには、ここまで供に戦ってきた戦友を、そして未来を共に歩こうと誓った親友を殺された恨みが詰め込まれている。
しかし次の瞬間、庸介はコブラ機動の要領で機首を大きく引き上げた。
「なっ!?」
向かい合うバイパーゼロとスーパーフランカー。しかし、このような低空でコブラを使うとは思っていなかった信悟は、一瞬虚を突かれた。その一瞬が命取りとなった。
吹き出した弾丸が、信悟のバイパーゼロを正面から捉える。
機首が砕かれ、主翼が引きちぎられる。さらにコックピットに収まった信悟の体も圧倒的な力で引き千切られる。その瞬間、信悟は絶命した。おそらく、激痛も一瞬の事だっただろう。
やがて、信悟のバイパーゼロは空中で大爆発を起こし、砂塵の中に消えていった。2人で誓い合ったささやかな夢を永遠の墓標として。
鎌田信悟、大谷二郎両中佐戦死の報は、AWACSである咲耶によって瞬く間にISAF全軍に伝わった。
とりわけ、彼らの指揮下にあった攻撃隊各機の動揺は激しかった。彼らは言わば、首を失った獣も同じである。手足は残っているが頭がないので次に何をすればいいのか考える事ができない。
少数精鋭で奇襲を掛けると言う庸介の目論見は、図らずも最良の形で成就されたのだ。
その事は、庸介自身すぐに気付いた。初めの2機を落として以来、ISAF空軍の動きが目に見えて乱れている。
「成る程、どうやら指揮官を殺ったようだ。」
庸介は右往左往するISAF空軍を見据えながら、独り言のように呟いた。まだ味方は1機も落とされていない。対して敵は着実に数を減らしている。まさに、好機と言えた。
「灰色の1より各機へ。この機を逃すな。ISAFを押し返せ!!」
「「「「「了解!!」」」」」
指揮下の航空隊のパイロット達が、庸介の命令に力強い返事を返してくる。
少数ながら信頼に足る狩人達は、逃げ惑う多数の獲物達に向かって飛び掛かっていく。それに対して、群れを統率するリーダーを失った獣達は脆かった。まるで砂の城でも蹴散らすかの如く、次々と白銀の機体を地表へと叩き付けていく。
その殺戮の輪の中に、庸介も躊躇わずに加わる。彼は、狩人としては超一流だった。伊達や酔狂でエルジア空軍ナンバー2の撃墜記録を誇っているわけではない。
庸介は瞬く間に、味方機を追尾していたスーパーホーネットに取り付くと、アーチャーを叩き付けて撃墜する。さらに、機首を下に向けつつ加速すると、低高度を逃走しようとしているスーパーホーネットを捉え、これにバルカンを浴びせて撃ち落とす。
その頃になってようやく、一部のISAF機が体勢を立て直して反撃に転じてくる。
庸介のスーパーフランカーには、2機のバイパーゼロが向かってくる。
と、背後から接近してきたバイパーゼロ2機に対し、庸介はバレルロールの要領で機体を浮かせる。しかし、バレルロールの頂点に達したとき、そこでロールを止めてスティックを引き、機首を下に向けた。つまり、機体を逆立ちさせたのである。
その射線上に、絶妙のタイミングでバイパーゼロが現れた。
「食らえ。」
庸介は機体を横滑りさせながらバルカンを放ち、弾幕を形成する。その弾幕の網は、見事にバイパーゼロを絡め取り、炎の中に沈める。
庸介は、戦闘開始から僅か数分で4機ものISAF機を撃墜してしまった。まさに神業。この一事だけを取っても、彼が葵や虎太郎と言った両軍のエースと比肩し得る存在である事は明白だった。
ハットトッリクを決めた庸介は、一旦高度を上げに掛かる。指揮官として状況を確認しておく必要があるからだ。
高度を3000まで上げた庸介は、その場で水平飛行に入った。
眼下では、敵味方の航空機がコントレールを描きながら空戦を行っている。
しかし、状況はやはりエルジア側優位に進んでいる。地上の戦闘も空軍の活躍に触発されてか、エルジア陸軍がISAF地上軍を押し返しつつある。この調子で行けば、今夜中には形勢逆転し、旧アンカーポイント市まで押し返す事ができるかもしれない。
「まだ……勝機は失われていないか……」
と、庸介が呟いた時だった。
一瞬、ほんの一瞬、頭上で日が陰った。
素人目には、それが単に太陽の照り返しに見えただろう。しかし、庸介の脳髄は、頭上から降り注ぐ明確なほど強烈な殺気に気付いていた。
「!?」
次の瞬間、庸介は本能に従ってスティックを倒した。それにつられてスーパーフランカーも主の要求通り横転する。
その一瞬後、強烈な弾丸が上空から降り注いだ。
「チッ!?」
急旋回を掛けつつ、庸介は襲撃者の姿に目を向ける。そこには異形のW字翼を持つ戦闘機が存在した。その尾翼には、青いメビウスリングが描かれている。
「貴様か、リボン付き!!」
庸介は殺気に満ちた目を、X−02に向ける。
「…………決着を付けるぞ。」
底冷えする声と供に、葵は決闘のベルを鳴らした。
親友、鎌田信悟の戦死を聞いた時、葵に率いられた制空隊はエルジア軍司令部上空の戦いを制した所だった。今や質量供にエルジア空軍を上回っているISAF空軍にとって、いかに精鋭を寄せ集めたとは言え、今のエルジア空軍を圧倒するのにさほどの時を必要とはしなかった。
その直後の悲報だった。
その瞬間、葵の中で何かが弾けた。
「あにぃ!!」
衛の制止すら、葵の耳には入らなかった。
葵はそのまま翼を翻すと、中央抵抗線上空へと全速力で引き返したのだ。
機首を引き起こした葵は、自身の右方向で旋回している庸介のスーパーフランカーを睨み付ける。
「灰色の1……お前が、信悟を!!」
言うが早いか、葵は急旋回して庸介に向かう。
「あにぃ!!」
そんな葵の耳に、ようやく追いついてきた衛の声が響いた。
「熱くならないであにぃ!!それじゃあ勝てない!!」
「分かってる!!」
苛立たしげに叫ぶ葵。しかし今の葵の目には、庸介以外の獲物は映っていない。
急激に突っ込みを掛ける葵。それに対して庸介は翼を翻して葵の攻撃をかわし、反転してその背後に回りこもうとする。
「あにぃ、後ろ!!」
衛の言葉に、葵はとっさに後ろに目をやる。
その間に庸介は、アーチャーの発射体制を整えていた。
「灰色の1、フォックス2!!」
翼下に搭載されていたアーチャーが、白煙を上げて葵のX−02に向かう。
「クッ!!」
葵はとっさにフレアを放出し、突っ込んできたミサイルを回避する。
それに対し庸介は、間髪入れずに第2撃を放つ。2発目のアーチャーは、フレアを回避してX−02に向かう。
「チィ!!」
葵は翼を翻して背後から迫るアーチャーを直前でかわした。これで、両者ともミサイルは撃ち尽くした。残る武装はバルカンのみである。
葵は機首を持ち上げるようにして機体をひねり込ませ庸介のスーパーフランカーと正対する。
「食らえ!!」
間髪入れずに30ミリバルカンを放つ葵。
「クッ!?」
それに対して庸介はアフターバーナーを吹かして加速し、間一髪の所で射線から逃れる。
葵の攻撃をかわした庸介は、機首をやや下に向けたままエンジン出力を上げ、加速を開始する。
対して葵はスプリットSの要領で機体を振り向かせ、再び庸介に向かう。
庸介は機体を旋回させて振り向かせようとする。しかし、それより先に葵が背後に回り込んできた。
再びバルカンを撃つ葵。しかし旋回中である為に、軸線が合わない。
庸介はその間に機体を水平に戻し、アフターバーナーを全開にして振り切りに掛かった。
対応が一瞬遅れた葵は、庸介の急加速に付いていけずに後方に取り残される。
距離を置いてから、庸介はスティックを引いて機体を上昇させる。高度を取って空戦を優位に進めようと言う作戦のようだ。
それに気付いた葵もすぐに追撃を掛けてくる。アフターバーナーの使用によって異形のW字翼が閉じられ、無尾翼デルタの姿に変わったX−02が、庸介のスーパーフランカーを追って上昇する。
と、ある程度まで上昇した庸介はエンジン出力を絞りだした。当然、機体は重力に引かれて失速、反転する。
「なっ!?」
その光景に、葵は目を剥いた。
その一瞬を逃さず、庸介はエンジン出力を上げて葵に襲い掛かる。
放たれたバルカンの一閃が、コックピットのすぐ脇を抜けていく。
「っ!?」
軽く舌打ちすると、葵は機体を水平飛行に戻して体勢を立て直しに掛かる。しかし、それを黙って見逃す庸介ではない。すぐに自身も水平飛行に入り、逃げる葵を追撃する。
その様子は、バックミラー越しに葵にも確認できた。
「まずいな。」
葵はボソリと呟いた。この背後を取られた状況もそうだが、既に弾薬が残り少なくなりつつある。ここまでの戦闘で消費しすぎた事が原因だろう。せいぜい後2、3斉射が限界だ。
どうする?
葵は唇を噛んで、考える。迷っている暇はない。もうすぐ灰色の1の射程に捉えられる。その前に考えをまとめる必要がある。
その間にも庸介のスーパーフランカーは背後から接近してくる。もう時間がない。
「ええい!!」
普段には聞く事ができないような気合いと供に、葵は急激にスティックを全開まで引いた。それに答えるように、X−02は機首を大きく引き上げたまま水平飛行に入る。プガチョフコブラである。
「何っ!?」
これには庸介も度肝を抜かれた。
葵も、まさかできるとは思っていなかった。コブラは何度かやった事はあるが、全てフランカーに乗っていた時であり、それ以降は全く経験がなかったのだ。まさに、ぶつけ本番である。しかし、それが結果的に功を奏した。
オーバーシュートする庸介のスーパーフランカー。その瞬間、狼の目は鋭く光った。
葵はすぐに機体を水平に戻す。その視界の先には、必死に逃走を図る庸介のスーパーフランカーがいた。
千載一遇の好機だ。絶対に逃がさない。この機を逃せば、食われるのは自分だ。
葵はありったけの力を込めてアフターバーナーを吹かした。
視界の中でスーパーフランカーのシルエットが急速に膨らんでいく。灰色の1は必死の思いで逃走しようとしている。だが、こちらの方が早い。
捉えた。
「食らえ!!」
照準レティクルが合った瞬間、葵はトリガーを引いた。
吐き出される砲弾。それは確実に庸介のスーパーフランカーを捉えて、引き千切った。
右翼がボディから分離する。それにつられるように、右エンジンも引き剥がされた。それを待っていたかのように、スパイラルダウンが始まった。
急激に回転する視界の中で、庸介は妙に落ち着いている自分に気付いた。こうも機体にGが掛かっている状況では、脱出は不可能だった。
確実に訪れる死。にもかかわらず、自分の精神はこの上ないほど落ち着き払っていた。
『俺が死ねば……ウィスキー回廊は落ちるな。』
庸介は心の中で呟いた。ここが落ちれば、帝都ファーバンティは丸裸になる。しかしそれすらも、もう自分にとってはどうでも良い事だった。唯一心残りがあるとすれば、今、帝都防衛の任に就いている戦友に、残りの責任を押し付けて逝く事だけだった。
「悪いな……村岡……」
庸介は声に出して呟いた。
「後……頼む……」
次の瞬間、庸介のスーパーフランカーは地表に激突して巨大な火柱を立てた。
その光景は、葵の目でも確認する事ができた。
強敵「灰色の1」。リグリー飛行場襲撃作戦以来の好敵手。その死闘に、ついに幕が下ろされた。葵の勝利というフィナーレで。
しかし、葵の胸に感慨は湧いてこない。そうするには、彼はあまりにも大きな物を失った。大谷二郎、そしてかけがえのない親友である鎌田信悟。
「…………」
葵は無言のまま、バイザーを上げて酸素マスクをはずした。
狼の瞳には、涙が浮かんでいる。
葵は計器板を拳で思いっきり叩くと、声を出さずに泣いた。
その日の夕刻、中央抵抗線を突破したISAF地上軍は第3防衛ラインであるエルジア軍前線司令部に殺到した。これに対しエルジア軍は、利、我にあらずと判断して撤退を決断、降りしきる砲弾の中を帝都方面へと退却して行った。
しかし、その時点で全兵力の4割に当たる20万を喪失、さらに8万が負傷や退避の遅れからISAFの捕虜となり、最終的に撤退に成功したのはわ僅か22万に過ぎなかった。
ついに、ISAFはエルジア帝都ファーバンティにチェックメイトを掛けたのである。
4
その日、サンサルバジオン近郊にあるフーレ空軍基地の一角にある自室で、上杉葵は、遠くの夜景を眺めていた。
眺めていた、と言えば聞こえは良いかもしれない。しかし実際にはその光景は全くと言っていいほど葵の視界に入っていなかった。
信悟が死んだ。
南方戦線以来、常に同じ戦場にあり続けた年上の親友。自分にとっては人生の先輩であり、兄のように頼りがいのある男だった。その信悟が死んだ。
「…………」
葵はゆっくりと、手にしたグラスを傾けた。
不味かった。まるで血を飲んでいるかのような不味さが、葵の喉に流れ込んでくる。
思えば、葵に酒を教えたのも信悟だった。
戦闘で疲れた葵に対して、飲めば楽になると言って一杯だけ飲ませた。次の瞬間、葵が仰向けにひっくり返った時の信悟の顔は今でも覚えている。まるで殺人でも犯した後のように慌てふためいて、必死になって葵を介抱してくれた。
「クッ……」
葵はそのまま突っ伏す。
戦友を戦いで失う事には馴れていた。しかし、まさか信悟を失う事になるとは思っても見なかった。
悲しみが奔流となって葵を押し流す
その時、
「あにぃ。」
まるで押し流されそうになる葵を受け止めるかのような声が鼓膜を刺激して、葵は振り返った。
そこには、自信のパートナーである衛が立っていた。しかし、次の瞬間には葵は自分の目を疑った。
驚愕の理由は、衛の格好だった。
衛は、以前葵が買ってやった、純白のワンピースを着ていたのだ。
「衛……お前、それ……」
「えへへ。」
葵の声に、衛ははにかんだように笑う。しかしその顔は、リンゴよりも赤くなっている。しかし、葵は動揺してその事に気付いていない。
「どっ、どうしたんだ、その格好?」
「うっ、うん。あにぃが、落ち込んでるみたいだったから……」
それで、少しでも元気づける事ができれば、と思っての行動だった。
「あにぃ……あんまり落ち込まないで。あにぃが落ち込んでると、ボクも悲しくなっちゃうよ。」
「…………」
「そりゃあ、鎌田中佐達が死んじゃった事は悲しいよ。けど、あにぃがそんな風にふさぎ込んでいたら、中佐達も悲しむんじゃないかな?」
「…………なよ。」
「え?」
葵の低い声に、衛は思わず聞き返す。
「勝手な事、言うなよ。」
葵は絞り出すように言う。しかし、吐き出された言葉の端端に、微妙な殺気が含まれている事を、衛は見逃さなかった。
「あにぃ……」
そんな葵を、当惑した目で見つめる衛。そんな衛に、葵は言葉を続けた。
「お前に何が分かるって言うんだ……俺の気持ちの、何が……」
そう言う葵の頬には、ひと筋の涙が零れる。
「……あいつは……信悟は昔からお節介ばかり焼いて鬱陶しい奴だった。でも、あいつは……あいつだけはいつも、どんな状況でも俺の前に戻ってきてくれた……それなのに……」
そう言うと葵は、掌を組んでそこに額を押し当てる。
そんな葵に対して、衛はやや冷めた口調で答えた。
「卑怯だよ、あにぃは。」
「え?」
意外な一言に、葵は顔を上げる。見上げた衛の顔は苦悩に満ちたように歪められていた。
衛は続けた。
「自分一人が悲しいような事言ってさ。ボクが……ううん、みんなが悲しくないとでも思っているの!?」
衛は声を荒げた。こんな事は初めてだった。
「衛……」
絶句する葵。
衛はスカートを皺ができるまで握りしめる。
「卑怯だよあにぃ。自分だけ、そうやって逃げてさ。」
「…………」
葵はゆっくりと立ち上がる。暗闇である為、その表情を伺い知る事はできない。しかし、とっさに殴られると感じた衛は、首を竦めて衝撃に備える。
と、葵は衛の細い体に腕を回した。
「あっ、あにぃ?」
突然の葵の行動に、当惑する衛。
「ごめん……ごめんな衛……俺、自分の事しか考えてなかった……ごめんな。」
「あにぃ……」
衛も、ゆっくりと葵の背中に手を回す。
衛はその顔に、僅かに微笑を浮かべた。
「あにぃって、以外と泣き虫なんだね。」
「馬鹿。」
その言葉に、葵は涙混じりに苦笑する。
「今頃気付いたのかよ。」
「……うん。」
そう言って、衛は両手に力を込める。
「ねえ、あにぃ。」
「ん?」
抱き合ったまま、2人は言葉を交わす。
「あにぃは、ボクの事、愛してるんだよね。」
「…………ああ。」
衛の突然の質問に、葵はぎこちなく答える。
衛は少し体を離して、葵の顔を見上げた。葵の顔は涙に濡れながらも、優しい光を湛えていた。
「ボクも……あにぃの事、愛してるよ。」
その瞬間、全ての動が消え、静寂のみが世の支配者となる。
「…………衛。」
「…………あにぃ。」
2人はゆっくりと、互いの名を呼び合う。
そして、ゆっくりと唇を重ねた。
リボンつきの翼 第二十五話「死闘、ウィスキー回廊」 おわり
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