リボンつきの翼
第二十一話「禁忌と言う名の愛情」
作者 ファルクラムさん
1
「38・1度。完全に風邪ね。」
体温計の表記を見て、上杉咲耶空軍大尉は言った。
「あんたの場合、あんまり無理しすぎるからよ。この機会に少し体を休めなさい。」
そう言うと咲耶は、自分の足もとのベットに視線を移す。そこには、彼女より四つ年下の妹が、布団に包まって横になっていた。
「別に、そんな無理しているつもりはないんだけど……」
鼻の詰まった声で咲耶の言葉に反論したのは、彼女の妹、上杉衛空軍中尉だ。鼻の事もそうだが、彼女の頬は赤く火照り、目は涙が滲んで僅かに潤んでいる。
衛が体調不良を訴え始めたのはつい先日、ストーンヘンジ攻撃を目的とした「グーングニル作戦」が大成功の内に終了した五日後の事だった。
その日は朝から体がだるく、食欲もいつもより無い。それでもよもや風邪だとは思わず、いつものトレーニングを開始したのだが、徐々に目眩を起こし始め、足元もふらつき始めた。
もう少しで倒れるかと言う所で、偶然通りかかった姉の一人、千影に助けられ医務室に行った所、風邪と診断されたのだった。
「まあ、大陸に上陸してからこっち、いろいろあってあんたも疲れていたんでしょ。仕方ないわ。」
「…………」
咲耶の言葉に、衛は黙り込む。
実際、衛の疲れの原因は、戦闘による物だけではない。兄、葵が過去に負った心の傷。そして自分の出生の真実と、これまで培ってきた価値観の崩壊。それらが雪崩のように、衛の小さな体を押し流そうとした結果だった。
ちなみに衛はまだ、咲耶達に自分が実の妹ではないと言う事を話していない。これは葵と相談した結果、言ったら少なからず混乱する事が目に見えている為、暫くの間伏せていた方が良いと言う結論に達したからだ。であるから空軍でこの事実を知っているのは、葵と衛、それに葵の親友であり、飛行副隊長を務める鎌田信悟中佐の三人だけであった。
「しかし千影、あんた良く偶然衛のそばにいてくれたわね。」
咲耶はそう言って、ドアの横に寄りかかっている上杉千影空軍大尉に目を向けた。
千影はと言うと、先程から会話には加わらず、一人で腕を組んで経っている。
咲耶の言葉に対して千影は、フッと笑って顔を下に向ける。
「偶然じゃ……ないさ。」
「え?」
「精霊達が……教えてくれたからね……衛君が……危ないって。」
「「…………」」
相も変わらぬ千影の超絶的な言葉に、絶句してしまう衛と咲耶。
それを見て千影は、もう一度笑う。
「別に……驚く事はないよ……精霊達はいつも……私達を見守ってくれているのだからね。」
「そっ、そう。それは、心強いわね。」
「そっ、そうだね。」
取りあえず、引きつった笑いを浮かべる衛と咲耶。
そんな気分を転換するように、咲耶は衛を見た。
「しっかし、ほんと、あんたが風邪を引くとは思わなかったわ。」
「それって……どういう事?」
布団から顔だけ出した状態で、衛は尋ねる。そんな衛に対し、咲耶は悪戯っぽい微笑を向ける。
「だって、『何とかは風邪を引かない』っていうでしょ。良かったわね衛。あんたがその『何とか』じゃなくて。」
「ひどいよ、あねぇ!!」
叫んではみたものの、すぐに喉がむせび、衛はせき込む。それを見て、咲耶は可笑しそうに笑った。
「冗談よ冗談。まったく、すぐムキになるんだから。」
「…………」
それを聞いて、衛はもうどうにでもしてくれと言わんばかりに、頭から毛布を被った。
丁度そこへ扉が開いて、上杉春歌大尉が入って来た。その手には、ワゴンの取っ手が握られており、その上には湯気の立つ小さい土鍋が置かれていた。
「衛さん、おかゆができましたよ。」
春歌は今朝から、衛の為におかゆを作っていたのだ。春歌は一流の大和撫子になる為に、日々修行を怠ってはいない。その中には当然大和撫子にとって必修科目とも言える料理も含まれている。そんな訳で、春歌は料理もそこそこできるのだ。もちろん、上杉家の料理責任者である九女白雪には及ばないが、それでも他の者から見れば十二分に合格ラインを突破しているレベルだ。
「ほら衛、起きなさいよ。」
そう言うと咲耶は衛の背中に手を入れ、上半身を抱き起こしてやると、衛の空軍のジャケットを肩に掛けてやる。
一方で春歌は、卵の入ったおかゆをレンゲでかき混ぜている。
「さあ衛さん、食べさせて差し上げますわ。」
「え?」
春歌のその言葉を聞いて衛は赤く火照った顔を、さらにりんごのように赤くする。
「さあ、遠慮なさらずに、あ〜ん。」
そう言って春歌は、衛の口元にレンゲで掬ったおかゆを運ぶ。
その様子を、衛は引きつった顔で見据える。最近ではほとんど病気らしい病気をしていなかった衛にとって、誰かに物を食べさせてもらうなどと言う事は子供の時以来である。当然、恥ずかしい。
しかし春歌は、やさしげな瞳で衛におかゆを差し出し、咲耶と千影も興味津々と言った感じでその様子を眺めている。つまり、非常に「断りにくい」状況に衛は立たされている訳である。
そんな衛の様子に、春歌は怪訝そうに首をかしげる。
「どうしました、衛さん?」
「え?、いや……」
春歌の言葉に、衛はやや口篭もる。
それで察したように、春歌は頷いた。
「ああ、ひょっとして熱いのですね?ちょっと待ってください。」
そう言うと春歌は、手に持ったおかゆに息を吹きかけ冷ます。
「さあ、これで大丈夫ですよ。はい、あ〜ん」
「…………」
もはや完全に断れない状況だ。衛は観念して口を少し開いた。
「…………あ〜ん」
「はい。」
春歌は、衛の口におかゆを流し込んだ。ほのかな旨みと、内から広がる温かさが衛の口に広がって行く。文句無しに、春歌が作ってくれたおかゆは美味しかった。しかし、恥ずかしい事には変わり無かった。
しかも、春歌は既に二口めを冷ましに掛かっている。どうやら衛にとってこの心地良い地獄は暫く続く事になりそうだ。
結局衛は、春歌の作ってくれたおかゆを、半分ほど食べて後は残してしまった。なお、本人の名誉の為に言うなら、それは決して食べさせてもらうのが恥ずかしいからではなく、食欲が無く、それ以上は胃が受け付けなかったからである。もっとも、胃が受け入れ拒否を起こすまでは、しっかりと優しい姉の手で食べさせてもらった訳だが。
おかゆを食べ終わった衛はふと、ある事に気付いて口を開いた。
「あれ、そう言えばあにぃは?今朝から顔を見てないけど。」
普段なら、衛に限らず妹達誰かの身に何かが起これば、我先に飛んでくる兄、葵が、今日に限っては今だに姿を見せていない。その事が、衛には気に掛かった。
しかし、その不安はすぐに解消された。
衛の言葉に対し、咲耶がやや呆れ気味に口を開いた。
「あんた、忘れたの?」
「何が?」
衛はキョトンとした顔で、聞き返す。
「今日は、あんたとお兄様がアラート待機の日だったでしょ。」
「……あ!」
言われて衛は、今日メビウス小隊がスクランブル要員に指定されていた事を思い出した。
「しょうがないからお兄様は他の人に代わりを頼んでいたわ。」
「そっか……あにぃにも、迷惑かけちゃったな。」
「そう思うんだったら、しっかり休んで早く風邪治しなさい。」
そう言うと咲耶は衛をベットに寝かし、上から布団を掛けてやる。
「じゃあ、私達は行くからね。」
「うん、ありがとう。」
衛がそう言うと、咲耶達は部屋の外に出て扉を閉めた。
それを確認した衛は、ゆっくりと目を閉じた。やがて衛は眠りの女神に抱かれ、静かな寝息を立て始めた。
2
衛が体力回復の為に寝入った頃、上杉葵空軍少佐は待機所で今日のパートナーと向かい合っていた。
「悪いな。非番の所を付き合ってもらって。」
「なに、構わんさ。こちらもデスクワークばかりで気が滅入っていた所だ。」
葵の言葉に対し苦笑混じりに答えたのは、総飛行隊長の河村高士中佐だった。
彼等に限らず、グーングニル作戦に参加した者は、全員一階級昇進していた。
衛というパートナーを欠いた葵は、友人達に当たってアラート待機に付き合ってもらおうとしたが、信悟は書類整理が終わっておらず、大谷二郎中佐と富永紀人大尉は新編成された部隊の訓練で忙しかった。さりとて、千影と春歌には衛に付いていて欲しかった。となると、残るは高士のみだった。
しかし当の高士はと言うと、この年下の親友の頼みを二つ返事で了承してくれたのだ。理由は先程言った通りである。
「思えば……」
葵は懐かしむような口調で、高士を見た。
「俺とお前の仲も随分続いているよな。」
「…………そうだな。」
高士は飲み掛けのドリンクをテーブルの上に置いて、答えた。
「初めて会ったのは、北方戦線時代だったな?」
「ああ。」
高士の言葉に、葵は頷く。
「セントアークだったはずだ。」
葵の言葉を聞いて、高士は昔を懐かしむように目を細める。
「補充のパイロットが来ると言うので、私は少々期待していたのだが、いざ会ってみれば年端の行かない少年だった。」
「あの時のお前の落胆顔は、今でも覚えているぞ。」
二人の脳裏に、三年前のセントアークでの光景が思い浮かぶ。
その日高士は、補充パイロットが来ると言うので、朝から機体のチェックがてら滑走路に出ていた。
その日来る予定になっていたパイロットは、南方戦線撤退作戦において六機のエルジア軍機を叩き落としたエースだと言う。その噂を聞いた高士は、一番乗りでその顔を見てやろうと滑走路に陣取っていたのだ。機体のチェックと言うのもその為の口実に過ぎなかった。
やがて、独特の風切り音と共に、厚く垂れ込めた雲の彼方から一機のスホーイ27フランカーがセントアーク基地の滑走路に降りて来るのが見えた。
フランカーが駐機位置に停止するのを確認した高士は、持っていたスパナを放り投げて走り出した。
高士が見ている前で、尾翼に青いメビウスリングを描いたフランカーから降りてきたパイロットは、妙に華奢な体付きをした人物だった。
女か?と一瞬思ったくらいだった。しかしヘルメットの下から現われた顔は、先端が鼻にかかる程度に切った黒髪と、鋭い眼光を持つ少年だった。しかも、年の頃から言って恐らく十七、八歳と言った所だろうか?ようやく少年飛行隊を卒業したばかりと言った感じだった。だが、全身からかもし出される雰囲気は、人のそれでは無く、まるで血を飲み肉を食らう事に慣れた獣のようだった。
その少年は、高士を見るなりこう告げた。
「あんた、パイロットか?」
そのぞんざいな口調に、高士はやや眉をひそめながらも、質問に答えた。
「そうだ。君は?」
高士の質問に対し、少年はやや胡散くさげな目を向けた後、低い声で答えた。
「上杉葵空軍少尉。本日付でセントアーク基地に配属になった。よろしくな。」
それが、葵と高士の出会いだった。
「あの時は驚いたよ。歳も階級を上の私に、あれだけぞんざいな口調で話し掛けてくるのだからな。」
葵はそれを聞くと、やや視線を下に移してフッと笑った。
「あの時の俺は、戦場においては誰も信じる事ができなかった。戦場では誰かを信じた奴から先に死んで行く。なぜなら、誰かを信じてしまうと、いざと言う時にもそいつを頼ってしまう。そいつがいつでも助けてくれるとは限らないのに。だから俺は、誰も信じられなかったんだ。」
「でも、今は違うのだろう?」
高士の意味ありげな一言に、葵は思わず顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「気付かないのか?」
高士はやれやれと言った感じに溜め息をつき、葵の目を見据える。
「君は前に比べて、随分感情が豊かになった。前はほとんど見る事ができなかった笑顔も、最近ではよく見かける。」
「…………」
高士の言葉に、葵は黙り込む。その顔には、高士の言葉を肯定する色が伺えた。
「やはり、君の中では『彼女』の存在が大きいようだ。」
「!?」
思わず葵は息を呑んだ。
それに構わず、高士は先を続ける。
「きっかけさえあれば、人は変わる事ができる。もっとも、君の場合は変わったのではなく、元の鞘に戻っただけなのだろうがな。」
「でもあいつは!!」
思わず腰を浮かし掛ける葵。それを制して高士は言った。
「自分の心に嘘を付いてはいけない。よく、『自分の人生がついていない』と言う者がいるが、そんな事は誰だって同じだ。誰の人生だっていつでもついている訳ではない。だからと言って嘘を付く事によって、その現実から逃れようとしても、それは結果的に自分の首を絞める行為にしかならない。ならば、しっかりと前を見据え、二本の足で歩いていくべきなのだ。」
「…………」
高士の長い言葉を、葵は黙って聞き入る。
そう、今こそ自分は決断の時に立たされているのではないだろうか?
人生と言う長い道程の中で、最大とも言える選択肢を目の前に突きつけられているのではないだろうか?
そんな思いが、葵の頭を駆け抜けていった。
3
衛が風邪で倒れた頃、エルジア軍占領下にある独立都市国家サンサルバジオンでは彼女の同年の妹である上杉四葉もまた、病床にあった。
先のグーングニル作戦時、黄色中隊の基地に居合わせた彼女は、レジスタンスが仕掛けた爆弾の爆発に巻き込まれ軽傷を負った。
傷は右腕に一個所、右足に一個所、計二個所である。その時その場に居合わせた、エルジア空軍大尉藤原一矢が助けなければ、確実に四葉はその儚い命を戦火に散らしていた事だろう。
一命を取りとめ医者の診断を受けた四葉は、下宿先であるバー、スカイキッズで静養していた。
そんな四葉を、黄色中隊隊長村岡虎太郎中佐が見舞いの訪れたのは、ストーンヘンジ陥落から五日後の事だった。
「どうだ、具合は?」
虎太郎はベットに横たわる四葉に、そう尋ねた。
四葉は愛用の黄色い半袖のパジャマを着ている。しかし袖から覗く右腕には。痛々しく包帯が巻かれている。
虎太郎の質問に対し四葉は、普段通りの笑顔で返した。
「もう大丈夫デス。なのに姉チャマ達がベットから出してくれないのデス。」
それを聞いて虎太郎は一瞬呆気に取られた後、短く吹き出した。普段からあちこちを走り回っている四葉がこうしてベットに縛り付けられているのだから、その退屈さは想像を絶する事だろう。
「それは大変だな。」
「まったくデス。」
四葉は憤懣やるかたないと言った感じに、口を尖らせる。
それから四葉は、虎太郎の顔を伺うような目をして口を開いた。
「あの、虎太郎さん。」
「ん?」
四葉の改まったような口調に、虎太郎は目を上げる。
そんな虎太郎を、四葉は言いずらそうに見詰める。
「あの…………操さんと一矢さんは…………」
自分を助けてくれた一矢と、爆発でエンジンを破壊された操がどうなったのか、四葉は気に掛かった。
それに対し虎太郎は、やや顔を俯けて答える。
「一矢は、無事だ。何とか、生きて帰ってきた。」
「え?」
虎太郎の言葉に、四葉は目を見開く。
「あの……それじゃあ操さんは?」
それ以上聞くのが恐かった。しかし四葉は、聞かねばいけない事を感じていた。
ややあって、虎太郎は短く言った。
「死んだ。」
四葉は鈍器で頭を殴られたような感覚に襲われた。それと同時に目眩が起こり、頭を押さえる。
『そんな……それじゃあ操さんを殺したのは…………』
四葉の心の呟きに答えるように、虎太郎は先を続ける。
「相手はリボン付きだった。いくら立花でも、エンジンが一つ壊れている状態じゃ、勝ち目はなかっただろう。」
「そんな……操さんが……」
四葉の大きな瞳から、涙が零れ落ちる。
遊びに行った四葉を歓迎してくれ、一緒に遊んでくれた操はもうこの世にいない。もはや操のあの笑顔を見る事ができない。
「そんな…………そんな!!」
四葉は声を上げて泣いた。
戦争に犠牲は付き物である。なぜなら戦争と言う言葉自体が人の血を欲する貪欲な神なのであるから。しかし、それを知り得ながらも人は剣を取って戦場へ赴く。その剣が、やがて自らの体を切り裂くと知りながらも、人は戦う事を止めようとはしない。そしてその代償は、余りにも大きかった。
ベットに突っ伏したまま泣きじゃくる四葉の背中を、虎太郎は優しく撫でる事しかできなかった。
「落ち着いたか?」
まだしゃくりあげている四葉に、虎太郎は優しく問い掛ける。
「……はい。」
そう言いながらも四葉の瞳からは、止めど無く涙が零れ落ちてくる。
そんな四葉を、虎太郎は痛いたしげに見詰た。この小さな少女が、操の死をこれほど強く受け止めていてくれたのかと思うと、ほんの少し救われるような気がした。
そんな四葉に、虎太郎はゆっくりと口を開いた。
「あいつは、本当はあんな場所で死ぬような奴じゃなかった。」
「え?」
四葉は涙で真っ赤に染まった目を、虎太郎に向ける。
その目を真っ直ぐ見据えて、虎太郎は話す。
「立花に初めて会った時、あいつはお前とほとんど変わらない少女だった。妙にだぶついたパイロットスーツを着込み、自分の頭より大きいヘルメットを持って、当時訓練所の教官をしていた俺の前に現われた。」
「…………」
虎太郎の言葉を、四葉は黙って聞き入る。
「……俺は、立花に俺の持つ全ての技術を叩き込んだ。そして立花は、俺が教えた事を真綿が水を吸い込むように覚えていった。こんな戦争が無ければ、あいつには輝かしい未来が待っていただろう。」
虎太郎は一旦言葉を区切って言った。
「だが俺は、立花を殺したリボン付きを憎む事ができない。」
「え?」
虎太郎の意外な一言に、四葉は虎太郎の顔を見詰める。その顔は聖人のそれと思える程穏やかで、今言ったようにリボン付きを憎んでいる様子は微塵も感じられない。
「どうしてデスか?」
「これは戦争だからな。人が死ぬのは当たり前だ。それは立花にも分かっていたはずだ。だから、相手を怨む事は俺にはできない。」
「虎太郎さん……」
「むしろ、許せないのは俺自身だ。立花を救える立場にありながら、それができなかった。」
「そんな!自分を責めないで下さい!!」
自責の念にかられる虎太郎に対し、四葉は慌てて否定の声を掛ける。そんな四葉に、虎太郎は優しく微笑み掛けた。
「ありがとう。四葉。」
その微笑みは、普段の虎太郎のそれとほとんど違わないように思えた。しかし、その笑顔の裏にある虎太郎の決意を、四葉は見抜く事ができなかった。
4
衛は、夢を見ていた。
戦争が終わり家に帰ると、家には誰もいない。
不審に思った衛は家の門の方に向かうと、母や姉、妹達が楽しそうに門から出て行く所が見えた。
「みんな、待ってよ!!」
思わず叫ぶ衛。しかし、
「あなたはうちの子じゃないでしょ」
その言葉を残し、家族は去っていった。
呆然として立ち尽くす衛の前に、今度は葵が現われた。
「あにぃ!!」
思わず駆け寄る衛。
「あにぃ!!みんながボクを置いてっちゃったんだ!!」
そんな衛に対し、葵は優しい笑顔を向けて頭を撫でる。
その様子に、衛はホッとした。
『やっぱりあにぃは、ボクの傍にいてくれるんだ。』
しかし、次の瞬間葵の口から発せられた言葉は、衛を地獄の底に突き落とすに等しい言葉だった。
「お前は、俺の妹じゃないだろ?」
「ウワァァァァァァァァァァァァ!!」
叫び声と共に、衛はベットから跳ね起きた。
「…………夢?」
見ると、ラセツ基地の自分の部屋だ。いつの間にか夜になったらしく、部屋の中は薄暗い。
「やな夢。」
衛は溜め息混じりに呟いた。先程の夢の映像が、まるでこびりつくように頭の中に残っている。相当寝汗を掻いたのだろう。シャツも下着もパジャマもぐっしょり濡れている。
「着替えなきゃ。」
そう呟いてベットから出ようとした時だった。
部屋に備え付けられた机とセットになっている椅子の上に、誰かが座っているのが見えた。近付いてみると、それが兄、葵だと言う事が分かった。
「あにぃ?」
兄の意外な登場の仕方に、衛はやや呆気に取られる。
アラート待機が明けてその足で来たらしく、葵は疲れきって眠っていた。
しかし人一人が動く気配を察知して、葵は瞼を開けた。
「……ん……衛?」
目の前にいる人物が衛と分かり、葵は顔を上げる。
「あにぃ、来てくれていたんだ。」
「ああ。今回は何も無かったからな。待機が解除されたらすぐに来る事ができた。」
「そう……なんだ。」
そう呟く衛の脳裏に、先程の夢の光景が浮かびあがる。
自分はこの人の妹じゃない。まったくの赤の他人だ。もし、このまま戦争が終わってみんなが家に帰る時、自分はどこに帰れば良いのだろうか?
「ねえ、あにぃ。」
そんな不安を胸に抱えたまま、衛は葵に尋ねた。
「何だ?」
「あにぃは……ボクを、捨てたりしないよね?」
衛の意外な質問に、葵は一瞬絶句する。なぜ急にそんな事を言い出したのか、とっさに理解できなかった。
しかし、すぐに真顔に戻った。
「誰が、そんな事を言ったんだ?」
「え?」
衛は葵の目を見た。その瞳はまるで貫くかのように真っ直ぐに衛を見据えている。
「誰が、お前を捨てるたりするか。」
そう言うと、葵は衛の髪を優しく撫でる。
「お前は俺の、大事な妹だ。絶対に捨てたりなんかしない。」
そう言って葵は、衛を優しく抱き寄せる。
「だから、安心しろ。」
「……うん。」
衛は目を閉じると、そのまま葵にもたれかかった。
葵は、衛の愛らしい寝顔をじっと見詰めている。
先程の葵の言葉で安心した衛は、静かな寝息を立てていた。この分なら、明日の朝には動けるくらいには回復している事だろう。
その衛の右手は、今もしっかりと葵の手を握っている。
そんな衛の寝顔を見ながら、葵はふと、今日一日の事を思い出す。
高士との会話、そして衛が口にした不安。それらは全て自分と衛と言う不安定な要素が生み出しているのだ。
「衛、俺は…………」
葵は衛の寝顔に、そっと話し掛けた。
「お前を…………愛してる。」
第二十一話「禁忌と言う名の愛情」 おわり
あとがき
どうもこんにちは。ファルクラムです。さて今回、ついに葵君がパンドラの箱を開けてくれました。いや〜ここに来るまで長かった。この後、二人をどのように接近させていくかが、私の中の課題となるでしょう。クライマックスまで時間がありませんので、少々急ごうかと思っております。
さて次回、ついに「彼女」が再登場します。彼女が葵にもたらすものは一体何なのか?どうぞ、ご期待ください。
ファルクラム
ファルクラムさんへの感想はこちら
nymausht@cna.ne.jp
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