前向きな意味での精神的逃亡記…?

2003/06/18
これにて

潜伏篇も、終了致します。
ご愛読ありがとうございました。
<了>







フォト日記
http://www.yapeus.com/users/calico/


2003/06/07
ぱんぱかぱーーん


携帯のカメラだとちょっと遠くて、まともに映らないんだよね〜。感動を誘うキャンドルサービスさえも、ただの発光体写真になってしまいました。悲しいものがありますが……。


2003/06/07
けっこーんしき


本日、予定通り、友人が6月の花嫁になりました。
彼女はもとからモデル並みにスタイルの良い美人である。チャペルにあらわれたウェディングドレス姿は、今度は……女優並み!? 新郎新婦が上司の助言にきちんと従えば、新婚旅行では「映画のような思い出を作る」ことになるでしょう★ お色直しでピンクのひらひらドレスで出てきた時の友達は、度を越して可愛すぎたために、何だかお人形さんのようで、現実感がわきませんでした。
人が感動しているのを、横で冷静に観察してきました。人の挨拶を聞いただけで目をうるませる方々が面白くて、ふきださないよう頑張ってました。賛美歌の途中で笑ってしまったのも私でーす。あ〜、最後までしんみりできなかった。でも、それは楽しいから笑ってたのよ。あとは一生懸命爆笑をこらえていたので、顔面の筋肉がつっぱってしまいました。あ〜あ。。。何はともあれ……しあわせそうでよかった。

宴が終わり、自宅に帰ってざぷざぷっとメイクを落とし、スーツをばっさり脱ぎ捨ててさっさと着替えた私は、急に普段着になったせいか体が軽くなったので、気をよくして、ぷらぷらと買い物に出かけた。と、「木谷梨子〜〜!(仮)」と聞きなれた声で呼ばれる。
今日の主役である新郎新婦も、ラフな服装で歩いているところではないですか!! 近くで、新郎側の二次会があるそう。ついさっきまでばりっと正装して壇上にいたお二人が、今度は目の前でフツーの若者として歩いているという……、ちょっとしたファンタジーでした。
友人には「綺麗だったよ」と言えばよかったんだが、気がついたらぶしつけにも「ドレス、重いの?」とたずねてしまいました。自分もスーツが重かったからかな(^^;; でも、ウェディングドレスというのは、本当に重いものらしいです。気づくと目の前にすそがすぐあって(つんのめってるってことか?)、転びそうになっていたとか。朝からずいぶん気をはっていたのでしょう、「疲れたよーー」とぼやいていました。リアル花嫁の正直な声を聞いてしまった……。綺麗って、重いのだ!


2003/06/06
らいむぎばたけでつかまえられたい

過去2回に分けて、サリンジャーの『ライ麦』について感想を書き殴っておいたのですが、ここに書いて、しかもこれだけでは、ただの戯言にすぎるので、自分で納得の行くようなかたちで、しかももっと客観的な文章にしたいと考えているのです、が……。書評というか評論というか、何ということになるのだろう……? つまり、体裁を整えて読めるものにしたいような気はしているんだけど、やっぱり計画倒れに終わってしまうのかもしれません。

この本には、一行一行、一言一言に、敏感肌テストみたいにばば〜っと反応が起きてしまうので、扱いが難しい。触れただけで自分の表面に発疹ができるような刺激の強い作品で、ここまでちゃんと読んでいるだけでも、楽じゃないよなぁと思っています。とても、つらい。
ライ麦だけじゃなくて、何事についてもそうです。感じすぎると、きちんと冷静に自分の中で整理がつけられなくなってしまう。


2003/06/01
野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(2)

決して周囲と分かり合えず、毎回すれ違ううちに擦れて痛んでゆく魂。から元気で、今時っぽい言葉なんか使っちゃっても、実は疲れ果ててよろよろのホールデン。彼の懊悩を、誰が理解するだろうか。これ、今になってさえ、私にとっては洒落にならんくらい切実な問題なのですが、なぜに切実なのかって、それが相手に通じないというところにあります。多くの大人にとっては、少しも切実な問題じゃないというところに。
大人に反発するホールデンを、人はどんな目で見るのだろう。
「ああ、大人は分かってくれないって、よくある話だよね」「どうせちょっと体の悪いおぼっちゃんの愚痴だろ」「思春期の子にはよくありがちな悩みさ」などと、変に人生の垢が積もってしまった人間は、いとも簡単に片付けてしまう。有名な書評家でさえ、垢に邪魔されてホールデンの悲鳴をぐしゃっと握ってしまう。実は、経験が障壁になることがある……。話せば分かるだろうか? 違う、話しても分からない壁というのは存在するんです。

その壁の分厚さと、閉じ込められてゆく不安の気配を、野崎孝の翻訳はうまく反映させるのに成功しています。「こちとら江戸っ子だい!」くらいの威勢のよさ、スラング混じりでにぎやかにまくし立てるホールデンのショータイムみたいな文体は、ずばり、目くらましです。簡単に不安を気取らせないように喋り倒している。むっつりと黙り込んでいかにも悩んでいるような子よりも、ずっと重症です。
その目くらまし効果ごと訳されているあたりも、野崎訳の功績ではないかと思った。今見ると訳文に古いところが見当たって、「ほんとに江戸っ子口調で訳してるなぁ〜。奴さんって何だよ!?」なんて細かいところに目が行ってしまうので、ますます効果倍増かも分からない!?!?

世間の壁に阻まれて、壁を壊すには体力がいるし、限界があるしで、くたびれてきたホールデンは、ただ反抗期の少年をやっているわけではない。もはや無邪気な反発ではなく、勢いの良さでごまかしても、本当は悲鳴をあげているところなんじゃないだろうか。これからうまく生きのびていこうと思ったら「インチキだ!」と思っている世界に身を染めていかなければならない……。ホールデンのアレルギー反応は強烈です。でも、もしかしたら、そのうち、汚い奴らと会ってもアレルギーが起きなくなってしまうかもしれない。抵抗を感じなくなることこそ、ホールデンにとって耐え難いものがあるはず……。
そんな恐れの気配をほとんど表に出さず、あくまでスラングを駆使したにぎやか文体の奥にとどめおくところが、サリンジャーなのだと思う。これがたとえばカポーティくらいの作家だったら、ホールデンがもっと天使っぽく無垢に描き出されたかもしれないし、文体なんかももっと傷ついているのが見える書き方をするのかもしれません。でも、サリンジャーはホールデンを天使に仕立てあげず、彼の繊細さを気取らせない。そこら辺は水面下にとどめておく感じ。

その辺で「水面下はあくまで水面下に訳す」ところまでやっているのが野崎訳なので、見た目以上にデリケートな訳文だなと思いました。訳者のアメリカ文学への深い造詣がさせることに違いありません。
もう古くててんで読めない、なんて大袈裟な声を聞くから、どれどれと思ってめくってみたけど、なーんだ、この程度★ ところどころはちょっとしょうがないところも出てきているけど、あげ足取りに終始してはいけないんだと思った。中身を開けてみて、野崎訳はまだまだ有効だということを確信しました。

野崎訳といえば…私は『フラニーとゾーイー』の訳文、そして訳者の解説なんかを見ていて、ふと、本が誠意で光り輝いているのに気づいたことがあります。どれだけの努力がここにひそんでいるのか想像もつかないなと思って、しかも、その汗くささを感じさせないところに胸をつかまれて、ふと涙ぐんでしまったことがあります。
『フラニーとゾーイー』『大工よ、屋根の梁を〜』など、他のサリンジャー作品を通って、読みの筋力を鍛えてから『ライ麦』に戻ってきたら、一層凄さが分かりました。既に『ライ麦』から涙ぐましかったのだ!
私は野崎訳をかいます!


2003/05/31
山形の映画館に行きたかった…が


前に撮ったチューリップの写真をスキャン♪
チューリップにもいろんな色があるものですのよね。今回は、ふんわりと柔らかい花びら、おいしそうなオレンジ色をしたチューリップを気に入りました。でも、茎や葉っぱはがちっと固かったっ。

本日は久しぶりーに山形に出かける予定だったのですが、ぎりぎりのぎりぎりになって取りやめにしました。直前までは行く気持ちでいましたが。地震、台風と相次ぎ、日本列島は大いに揺れているようです。一応、東北地方は危ないのである。朝に窓を開けたらしとしとと雨が耳を濡らし、出かけようと思って折り畳み傘をひらいたら、しばらく使わないうちに壊れてしまいました。なんでだ〜!? しかも、さりげなくではなくって、思いっきりばきっと折れていて、傘の骨を見ているだけで痛々しく、どんどんブルーに。出かける気分ではなくなってしまいました……。骨は二箇所折れていた。特に風が強かったわけでもないのにおかしいな……。というわけで、手負いの傘を片手に駅まで到達する頃には、旅気分もすっかり抜けてしまい、近所でお茶した程度で戻ってきたのでした。

山形では、映画館に行く予定でした。近場では上映してくれそうにない芸術ぅ、文学ぅな演目に惹かれたんだけどな。私の住んでいるところでは、どうしても全国ロードショー一挙どっかん、みたいな大雑把な作品が回ってきてしまうけど、しかし、山形は侮れません。地方の映画館にしては時々びっくりするくらいいい作品を持ってくるのです。そのわりにあまり儲かっていないようにお見受けしますが、まあ、すいている方が客としてはありがたかったりもして、ゆっくり(ゆったり)観てこれる感じ。
山形に住んでいるひとたちは、自分たちの文化水準を知らないような気がする。その、「自分たちの長所を分かっていない」ところも含めて魅力的です。市民の方々は、自分たちが映画館の多い街に住んでいるなんて絶対気づいていないと思う。天然だ〜。


2003/05/25
野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』   敬遠かホームランかっ。

J.D.サリンジャー著 野崎孝訳 白水社
『ライ麦畑でつかまえて』(原題:The Cather in the Rye)

こんなに面白かったっけ!? と、驚きました。

読んだら気持ち溢れ返ってきて、簡単にはまとめられない読後の感触! すぐに書評や読書感動文をまとめ上げるのは無理と判断しました。この雑記帳を使って下ごしらえをしておこうと思っているんだけど、真相は下ごしらえのまま放置するというのに近いかな。あとでもっとすっきりまとめたかたちのテキストにしてみたいことはみたいけれども、自分ができるとも思えないのである。本格的に着手したら、大工事になってしまいそうだぁ。。。


この作品には、本当に熱心に、真摯に、取り組んでいる方が多くいらっしゃって、やはりそれだけ深いところまで鉱脈を探っていける小説なんだろうな〜と再確認しています。また、新訳・村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を手に取られる方というのが、大概は従来版である野崎孝氏の翻訳『ライ麦畑でつかまえて』を読まれていて、比較しながら読み進めては考察を深めたりしているみたいです。
私自身、『ライ麦畑でつかまえて』という作品、そしてサリンジャー著作全般に対して、独特の思い入れを持っています。何だか分からないけれど大きな魅力がある、とにもかくにも人の心をキャッチしてしまう(さぶっ)大きな器であるがゆえに、ライ麦は今日もじんわり売れ続けているんだと思う。両訳を通読することで読み漏らしの部分が少なくなり、より『ライ麦』の本質に絶対に迫れる、と感じ取ったりしています。

というわけで、私もとりかかってみようかなと思ったりなんかして、まずは野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』を数年ぶりに開いてみたのですが……表紙がぱりぱりっと音を立てるくらいくっついていて、我ながら恥ずかしい。口ほどにもないことに、私にとっての『ライ麦』は、あまり繰り返し読みたい本ではなかったのだ。
で、読み返していなかっただけに、自分の敬遠について、「ぴんと来なかったから」「あまり好きじゃなかったから」だと勝手な理由を捏造していたのですが、ところがところが、読んでみたらびっくりするくらいキャッチー。痛いくらい読めます★ 初読の際、ホールデン少年と同じ年くらいだった私が、今は社会人。月日は読み手の成熟(及び老化)を促したのであった。そうして向き合ってみて、この再読は自分の深層心理を覗き込む作業だと不意に悟ってしまいました。
学生時代の私はおそらく、無意識のうちに『ライ麦』の波動を受けた時、「これは避けなければならない危険な相手だ」と感じて、肌に触れぬように遠くに置くようにしていたんじゃないだろうか? 触れたところから切れてしまうから。サリンジャーが意図して書いたものと同じ痛みとは限らないけれど、ホールデン少年の言動や何やからは、どうしても自分の悲鳴が聞こえてくるような気がしてしまうのですなぁ……。

『ライ麦』は、この世界がいかに馬鹿げているか、証明してくれますね。ホールデンの言葉を借りれば、大人はインチキばっかり並べ立ててる。思ってもいないこと、考えてもいないことを平気で口にできる……。子供の頃には、というか今でも心の奥底では「上っ面ばっかじゃん★」と思いながら見ているんだけど……。その上っ面が世界を覆ってしまっているから、柔なこころのままでいたら窒息してしまいそうになってしまう。反発しようにも力が出ない、へろへろ抜けていってしまう。これは、ホールデン少年の、精神的な酸欠状態の物語ではないでしょうか。

でも、どうしてその「上っ面」とやらが出来上がってきたのか、なぜにぐっどもーにんぐとかぐっどらっくとか、いちいち良いとも思っていないことにgoodをつけた言い回しをするようになったか、私は分からなくもないんです……。気持ちを明るく引き立てるような言葉って、好きでもあるしね。
だから、大人に「けっ。」と思った一瞬後には、ひねくれたものの考え方をしているのはこちらなのだとわが身をふりかえってしまう私は、ホールデンと気が合いそうにもないんだけどさ……。

私は今この本が断然好みで、まるで小説を抱きしめるようにしっかりと体全体で行けます。でも、言うなれば抱きしめたこの腕は傷だらけ、小説を感じ取った先からどんどん古傷が再発していくような感じを味わっています……。
つづく?


2003/05/24
しつこく桜




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